パンセ(みたいなものを目指して)

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他市との比較(市議会一般質問)

2018年03月01日 08時49分51秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

豊川市議会一般質問の傍聴に行ってきた
文句ばかり出てしまう新城市の市議会との比較を行うためだ
前々から一度は他市のを見なければ!と思っていたがようやくタイミングが合った

正直なところ、これはなかかなの苦行だった
自分の住んでいる市のことではないので実情がわからないとか、切実感がイメージしにくいとか
関心が湧きにくいとか、そういった面もあるかもしれないが、何しろ討論が頭に入ってこない
言葉が音として存在するだけで少しも頭の中とか感情まで達しない
よくよく通告書を見れば他市であっても関心を持つべき内容はある
それなに、、、

傍聴は結局のところ午前中で逃げ出すことになった
自分以外の傍聴者は、この日二人目を前に徐々に増えて20人ほどにはなったが
その人物が終わると一気に彼らは引き上げてしまった
あとで聞くところによると、傍聴者の大半はその議員さんの地元の支援者らしいとのこと
(自分の一般質問する姿を見て欲しいと声がけしたらしいが、新城市でも皆この様に声がけすればいいのに)

豊川市の一般質問の時間は、議員さんが質問している間は時計は残り時間が徐々に減っていくが
行政が答える時は時計はストップしたままだ
最初から設定されていた時間は30分で、議員さんが話している時間だけが消費時間となっている
これはなかなか現実的でいい方法かもしれない、何しろ国会などではダラダラと関係のないことを読み上げたり
質問に答えず時間だけが過ぎていくことがあるが、この様な時間管理ならば答える側がどんなに時間を費す作戦を
実行しようとしても無駄になる
これは、時間量だけが決まっている新城市と比べて豊川市の方がいいかもしれない
議員さんと行政の方の話す時間は、消費時間を比べると行政の方が少し長い感じ(2割位多い?かな)
何しろ行政は答えるのに前書きが長い、質問に答えるのにそこだけかいつまんで答えるということはなくて
そもそも、、、という時点まで遡るものだから、一体質問は何だったのかと忘れそうになってしまう
(これは国会でも)

しかし、質問や答弁が全然頭に入っていかないのは、なぜだろうと想像してみた
その前に、新城市の一般質問と違ったのは質問する議員さんが、新城市ではたくさんの資料を抱えて
壇上に向かうのに対して、豊川市の議員さんはとても軽装な感じ
(一枚の紙、しかも傍聴席からみると文字が質問も答弁も書いてあるような)
3人見ただけだが新城市で見られるようなパネルを掲げるとか、資料の朗読許可とか、そういったシーンは見られなかった
そして何よりも、とても円滑に物事が過ぎていった
この円滑ぶりは新城市の議会を見ている目からはどこか不自然な気がしてしまう
新城市議会では別室で市の職員が上司の答弁の間違いを心配しながら耳を澄ませ
間違った場合は直ぐに訂正するような指示や、議員さんのちょっとした言い過ぎや不当発言が出てしまう
生の(ライブの)スリル感があるが、ここではまったくそういった心配はなく、予定調和のように時が過ぎていく

一般質問だから、質問することがメインなのだが、その質問が質問だけに終止して議員さんの思いとか
もう少し突っ込んだ、疑問を前提とした討論というのが見られなかった
つまり行政の答弁になんとも素直に直ぐに理解してしまって(もっとも難しい質問はしていなかったかもしれないが)
機械的に時間が費やされるだけ
この一般質問では議員さんの個性とかはあまり感じられなかった
議員さんをもっと知っていけばあれだけの時間でも個性や特質は感じられたかもしれないが
すくなくとも皆同じような質問のしかたをしているな、、、、というのが実感

そして、なぜこれらの話が頭に入らなかったのかは
質問も答弁も自分の言葉、話し言葉ではなく、書かれた言葉を読んでいるからではないかと想像した
書かれた言葉は正確で間違いがないかもしれない、でも、自分の理解した言葉になっていないと人には伝わらない
そして傍聴している身に少しも面白くない

これらのことは、実は前々から聞いていた
豊川市も豊橋市も質問は事前に打ち合わせをしていて、それこそ読み合わせをするだけで儀式のようなものだと
なるほど、現場を見るとその状況はまったく理解できた

議会を円滑に進めていこう、妙な答えになって時間を無駄に費やさないために、お互いに予め打ち合わせをしておく
そういう考え方も一理あるかもしれない
それが良いか悪いかは自分にはわからない、ただ、新城市を見てきただけにおおいに違和感があったのは事実だ

それでこんなことなら文句ばかり言ってる新城市は、「まだまともなのかもしれない」と思ったが
考えようによっては予定調和のように何ごともなく済んでいく豊川市に大きな問題はなく
一見政治的に(?)進んでいるように見える新城市の方に、住民投票や市長リコール、産廃反対の市民運動などの
大きな問題が起きているのは、果たしてどちらが住民としては幸せなんだろうとふと考えてしまう

いずれにせよ人間の行うことに完璧な方法はないってことだろうけど
やっぱり比較ってのは、大事かもしれない




コメント
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