パンセ(みたいなものを目指して)

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権力と支配(官僚さんの行動原理は、、、)

2018年03月22日 18時09分40秒 | Weblog

最近気になることと言えば前理財局長の佐川さんとか現理財局長の太田さんのこと
証人喚問によって公文書改ざんの真実が明らかにされるとか
1年以上続く森友問題の進展がどうのということではない
それよりは官僚と言われる人々のメンタリティとか、判断の基準とか、お役人さんはどのように行動するのだろうかということ
それで、昔購入して途中で投げ出した本をもう一度挑戦してみようという気になった

「権力と支配」マックス・ウェーバーの著作だ
この手の本に慣れていないので、用語も当然とされる知識もない
それで前回はあっさり白旗をあげてしまったのだが、今回はイメージとして佐川さんとか太田さんの行動を
思い浮かべることができているので架空の話ではなく、とても現実感をもって読んでいられる

と言っても、難しい本で、正直なところよくわからないことが多い
それで、本質とは関係ないところで、素人の自分が今まで読んでいるとことまでで気になったところをあげると
官僚制的行政幹部をそなえた合法的支配の章の以下の文章

官僚制的行政は、知識による支配を意味する。これこそは、官僚制に特有な合理的根本特徴なのである。専門知識に由来する強大な権力的地位に止まらず、官僚制(または、それを利用する首長)は、職務上の知識、すなわち、職務上の交渉をつうじて獲得されるか、「文書に精通した」実務知識によって、その精力をいっそう増大させようとする傾向がある。「職務上の秘密」ーーーその専門知識に対する関係は、技術的知識にたいする商業経営上の秘密に、ほぼ匹敵するーーーと言う概念は、唯一とはいえないまでも、とにかく官僚制に特有な概念であるが、それは、このような勢力をえようとする努力に由来するのである。知識、つまり専門知識が実務知識の点で官僚制より勝っているのは、自己の利害に関する範囲内では、おおむね私的な利害関係を持つ人、したがって資本主義的企業者だけであるにすぎない。

官僚さんは専門知識によって、そして文書化する技術によって誰にでも没個性的に仕えるとされるのだが、上の文章に例外、、つまり彼ら官僚さんが苦手とするタイプのことが書かれている
これが中小企業の経営者として生命力逞しい籠池さんの姿に被る

この本で上の文章に続くのが
知識、つまり、専門知識や実務知識の点で、官僚よりもまさっているのは、自己の利害にかんする範囲内では、おおむね、私的な営利に利害関係を持つ人、したがって、資本主義的企業者だけであるに過ぎない。
かれこそは、官僚制的・合理的な知識の不可避性にたいして、実際上(すくなくとも相対的に)免疫性をもった唯一の機関なのである。
それ以外の人びとは、すべて、大量成員団体のなかでは、官僚制的な支配に従属することを余儀なくされるのであって、それはちょうど、財貨の大量生産において、没主観的な精密機械の支配に従属することを
余儀なくされるのと、まったくことなるとところはない。

実はこれが本当なのか、確かめたことがある
一月ほど前、市の職員の人と偶然話す機会があった(ある催しで)
その人に、ちょいと聞いてみた
「公務員の苦手なタイプってのは、責任は俺がとる、、といって物事を進めていってしまうタイプではないですか、、」
イメージ的には責任回避が優先される公務員の方々は、根拠がなくても自信たっぷりに責任は俺が、、という人には
無いものねだりもあって、そしてその推しの強さについ負けてしまうのでは無いのか、、と思ったのだ
正直な職員の方は、全面とは言えないもののそれを否定しなかった

森友学園ではテープに籠池さんの、権力に近い人の名を挙げることと推しの強い発言で
修羅場での実戦に慣れていないひ弱な感じの官僚さんの声が聞ける

現在の多くの国の支配のシステムが合理的とか法的とか、そういうものの上で成り立っているとしても
マックス・ウェーバーの考えで抜けているところは「人が悪意を持って、あるいは最初から支配することを目的として支配しようとしたら」
の想定がされていないのではないかということ
と言っても、まだ途中なのでこれから先、その手のことは書かれているかもしれない

この本は、合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配という三分類でこと細かに考察されているが
現在自分の関心は合法的支配のところ(現在の日本のシステム)
支配という言葉の定義から本はスタートしているが、支配される方の前提も組織全体の合理性とか社会全体の合目的性が
前提になっているように思える
だから必ずしも現在の日本の状態のような、社会全体の利益とは思えないようなことが続く状態は想定していない
マックス・ウェーバーの想定外のことが日本で起きているのか、それとも彼が人をあまりにも抽象化しすぎた存在として
扱っているのかはわからない(専門家はついこういう傾向になり勝ち?)
何れにせよ、前よりは興味を持って読んでいられるこの本
今度は最後まで読めそうな(最後のページまでめくれそうな)気がしている
読み終えた時、果たしてどんな感想を持つだろうか
この時点でのこの投稿が恥ずかしい、、ということになるかもしれないが、その時は、その時、、
ま、いいか!としよう


 

 

コメント
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