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私は、湖に沈んだものを回収することを、必然的に学んできた。
調査用の機器やブイが、沈んだりするのである。
時には、自律型水中ロボットが浮上しないこともあった。
その都度、自分たちで工夫して揚げてきた。
ただ、すべて目的物が見つかるということが前提となる。
広い湖で、小さなものをピンポイントで探し出すことは、とても難しい。
そこで特殊な装置を使う。
まず、サイドスキャンソナー(SSS)という機器だ。
今世界で一番性能が良いのは、Kline社製のものらしい。
図に示したのは、びわ湖の最深部近くを2011年に測定した結果だ。
前方に崖らしいものが見える。
10メートルくらいはあるのだろうか。
最深部が落ち込んでいるのがわかる。
この機器だと、30センチメートルくらいのものは判別できるらしい。
車くらいは平気だ。
白っぽいところは泡が出ているところである。
「この機器を使おう」
Hにそう伝えた。
こうしてSSSを用いて大まかに場所を特定する。
その後、水中ロボット(ROV)で探索し。ターゲットの確認と沈没状況を映像に収める。
これで完璧、、、の筈だ。
さっそく提案書を英語で作成しモンゴルへ送った。
「そういえば」
Hからの問いあわせに答えながら、私はふと過去に行った不思議な捜索のことを思い出していた。
びわ湖で最も大きい湾である塩津湾の入り口に、地元の漁師が廃船を沈める船の墓場がある。
漁船はFRPでできているので、再利用がしにくい。
そこで不要となった船をわざとここに沈めるのだ。
水面からはわからないので、一般の人は誰も知らない。
あまり行きたくない場所でもある。
ある日、私のデスクの電話が鳴った。
「遺体の捜索をお願いしたいのです」
ある男性からの電話だった。
「誰に聞いたの」
「地元の警察から紹介してもらいました」
ウソだろう。
なんで私のことを警察が知っているのだ。
「友人の奥さんが行方不明なのです」
詳しく話を聞くと、次のような顛末だった。
その男性は、友人の奥さんとその子供たちを連れて、塩津湾に遊びに来ていた。
バナナボートに女性が乗って、それをモーターボートで引っ張ていたらひっくり返って女性が沈んだという。
場所は、船の墓場の近くだった。
なぜ、その男性が友人の奥さんといたのか。
なぜ、その女性はライフジャケットをつけていなかったのか。
なぜ、私が彼女の捜索に行かねばならないのか。
などなど、不可解なことが多かった。
やがて、亡くなった女性の旦那さんからも電話がかかってきた。
仕方がないので、県庁の担当課の了解をもらってくれと言ったら、県庁に押しかけて許可を取り付けてきた。
あくまで私の本来用務のついでに探すという約束だった。
調査船に乗って現地に行くと、旦那とその友人は高価そうなバスボートに乗ってきていた。
奥さんが沈んだという場所で水中ロボットを入れるのだが、湖底にはゴミが多くてとてもではないが探せない。
濁りもかなりひどい。
結局、5回くらい捜索に出かけたのだろうか。
発見には至らなかった。
いまだもってわからないのは、男性と奥さんと、その旦那の関係だ。
普通、遺体は、しばらくすると腐敗してガスがたまり浮遊してくる。
ただ深さが40mを越えると、水温が低いのと圧力がかかることから、浮上する確率は低くなる。
ましてや、何かにひっかかっていれば上がってはこない。
最初に沈んだと指摘された場所は20-30mの深さだったので、浮上してもおかしくはなかった。
ただ水の流れが速い場所でもあるので、沖合に流された可能性もある。
本当に奥さんは沈んだのだろうか。
あまり気のすすまない捜索だったが、今でも気にかかっている事故でもある。
今回のモンゴルでの引き上げでも、古い遺体が出てくる気がする。
モンゴル語でのお祈りの仕方を覚えないと。
そんなことを考えていた。
Hからのメールは続く。
「フブスグル湖に沈んでいる車を引き揚げてくれませんか」
「えっ!」
「世界遺産に登録されるために、湖をきれいにしたいのです」
このことはよく知られていた。
冬になるとフブスグル湖は、厚い氷におおわれる。
ブラックアイスだ。
急激に気温が下がると、水は空気を含むことなく凍る。
とても透明な氷だ。
光のほとんどが透過するので、氷は黒く見える。
オンザロックに最適だ。
そして1メートルを越す分厚い氷は、天然の舗装路と化す。
すると、ロシアから多くの物資を積んだ車が往来するようになる。
この湖は、バイカル湖のほとり、イルクーツクからとても近いのだ。
ただ、自然は時としてとても非情だ。
氷の発達とともに、ところどころに歪みが生じる。
地殻と一緒だ。
知らないでその上に車が乗ると、氷が裂けて沈んでしまう。
こうして湖底に横たわる車やバイクなどの数が、16台を超えているという。
中には、ガソリンタンクを積んだ車も含まれている。
「何とかして湖をきれいにしたいのです」
それは、私の願いでもあった。
「OK。世界一のチームを作ってみるよ」
なんとなく、モンゴル人からのお願いには弱い。
この年になって、とんだ仕事を抱え込むことになった。
でも、やりがいのある仕事でもある。
びわ湖では、死体やガス弾が沈んでいることがわかっていても、誰も何も言わない。
表面だけきれいなら、それでよいのだろう。
悲しいことだが、それが日本人の現実だ。
フブスグル湖の透明度は20mを超える。
でも沈んだゴミは片付けようとしている。
深さは200m以上だ。
危険かもしれない。
こうして、アメリカ人、カナダ人、モンゴル人、日本人のエキスパートによる国際混成部隊ができあがった。
私は、徹夜で提案書を書いた。
「ところで、スポンサーは誰なんだ!」
「ご存知のように」とHのメールは続いていた。
「フブスグル湖は、2007年に世界遺産登録を申請したのですが、残念ながら採択に至りませんでした」
そういえば、アメリカの古い友人であるGから、世界遺産へのノミネートの話は聞いていた。
Gは、最初に私をモンゴルにある、その美しい湖へ招いてくれた人でもある。
1996年のことだった。
モンゴル人の奥さんと再婚し、ひたすらこの湖の保全に取り組んできたGに対して、私は尊敬の念を抱いている。
すでに70歳を越えても、なおフブスグル湖にこだわり続けるその姿勢は、感服に値する。
世界遺産の登録申請が却下された。
なぜだったのだろうか。
あれほどまでに美しく、神秘的なたたずまいを見せる湖を、私は知らない。
「フブスグル湖は、モンゴル国民の至宝です」
Hの言葉に嘘はない。
そう、モンゴル人なら誰でも生涯に一度は訪れたいと願う湖である。
そのフブスグル湖に、私はすでに何度も訪れていた。
市場経済に移行し、観光開発が進むこの湖の変遷を、10年以上も見続けてきた。
「何かが必要なのです。助けてくれませんか」
「私に何ができるというのだ」と、Hへの返信で尋ねた。
この質問に対して返ってきた答えは驚くべきものだった。
久しぶりにHからメールが来た。
彼の母親が正月に亡くなって、ずっと喪に服していたのだという。
モンゴルの人は、肉親の情が厚い。
特にHは末子ということもあって、母親に対する異常なまでの愛情を持っていた。
生まれ故郷の村は、ロシアとの国境近くにある、秘境である。
近くの町からたどり着くのに、車で2日はかかる。
道なき道を走り続け、時には川を横切る。
小さな湖の奥まったところに古い集落がある。
周囲には鬱蒼としたタイガが広がり、神秘的な趣を呈している。
森には今なおトナカイを飼育するツァータン族が暮らしている。
占いを専らとするシャーマンも住む村だ。
Hはダルハト族で、そのことを誇りにしている。
この村で彼は母親の遺体を安置し、毎日、身を清め、祈りをささげた。
今年は雪解けが遅い、とメールには書いてあった。
6月になったら、姉と二人で、母親の遺骨を山頂へまきに行くのだそうだ。
彼らは風と草原の民である。
死者の灰は風に乗り、やがて草原に舞い降りるのだろう。
彼らが住む家は、不思議に傾いている。
凍土の上に立てているので、氷が解けるにしたがって地面が凸凹する。
家も地面にならって、傾く。
そんなものだと思っているから、人々には屈託はない。
日本からたどり着いた旅人だけが、居心地悪そうに首を傾ける。
1996年に初めてこの地を訪れてから、長い年月がたってしまった。
Hも年を取り、私も老人となった。
湖のほとりで知り合った、何人かの人が他界したという。
私が死んだら、山の上で葬ってやる、とHは言っている。
私も鳥となり、モンゴルの草原をはばたくのだろうか。
そして、今日のメールの終わりには、もう少し俗っぽい話が付け加えられていた。
バイカル湖をご存知だろうか。
そう、世界で一番古くて容積が一番大きい湖だ。
2009年4月20日、NASAはバイカル湖の写真を公開した。
そして、仰天の事実を明らかにした。
この写真の黄色い矢印の先を見て欲しい。
2ヶ所あるが、その先に丸い穴が見える。
これは、いったいなんだ。
宇宙ステーションから撮影したものだが、さぞかし宇宙飛行士も仰天したことだろう。
4月25日には、拡大した写真を掲載した。
直径が20kmもあるという。
とてもではないが、人間が悪さでやったものとは思えない。
NASAは、おそらくハイドロサーマルベントのあとだろうといっている。
湖底から暖かい水が湧き出して、氷を溶かしているのだ。
注意深く地球を観察すると、面白いことがいろいろ見えてくる。
さっき地震があった。
脳天に響くような振動だ。
マグニチュード3.4だそうだ。
震源は滋賀県南部。
ちょうど私の足元だ。
直下型なので、警報は全く役に立たない。
困ったな。
なんだか嫌な予感がする。
確かにこの地は変だ。
今年に入ってこれで2回目。
みんな自分の身を守るようにしたほうがよい。
モンゴル人が羊を解体するところを見たことがあるだろうか。
まさに神業である。
かれらは一滴の血も流さないで、羊をさばく。
このような解体ができるモンゴル人も、数が少なくなってきた。
古き良き習慣はどこの世界でも失われつつある。
天に感謝、地に感謝、火に感謝して、彼らの宴は始まる。