まったく無知だった。
先週、初めて田沢湖を訪ねて、ふと砂浜の写真を撮った。
モニターに砂粒の一つ一つが妙に輝いていた。
驚いた私は、それを手にとって見た。
それはきらきらと輝く石英の粒だった。
案内してくれた千葉薫さんに「砂浜がクリスタルでできてるね」と告げた。
「田沢湖のここだけにあるんです。かつては鳴き砂だったのです」
そう千葉さんは語った。
この湖の美しいものをもう一つ知った。
大津に帰って、ネットで調べて驚いた。
これには古い話があった。
***
田沢湖・白妙(しろたえ)の砂
秋田県仙北郡の田沢湖は最大深度四二五メートル、日本一深い湖として知られている。
明治四二年にこの湖を訪ねた歌人、伊藤左千夫は「懐砂之賦」という、気になる題の一文を草している。
羽後の田澤湖は、又桂湖の梧あり、
水の深きと其色の麗しきとは世に類なきしゆくけいところ、
國人は、神のいます湖水と唱へ、深く粛敬して種々の神話を榑ふ、
湖とわかわ畔に一美姫あり、辰子と云ふ、
美容の永久に愛るなきを湖神に祈りしが、
祈願うらほこらこれの容易に遂げ難きを恨み、
遂に湖心に投して死せり
國人祠を建てて之を祭る、
其祠猶今に存す、
予一日救に遊び、美姫の神話を聞て、哀隣禁すること能わず、
いささ即短歌十二章を賦して柳か其の霊を弔ふ
世の中にあやしく深き遠底の瑠璃の水底に姫は沈めり(以下略)
***
千葉治平氏の著書「山の湖の物語」
田沢湖の砂浜は、昔から自浜といって名所になっていた。
浅瀬がないというこの湖に、例外的にただ一箇所、遠浅の砂浜があって、それが石英砂だった。
斑晶石英という岩石が永い間に風雨によって分解し、細かい微粒子になって湖岸に
堆積したのだという。白浜は渚から湖水にかけて、その石英砂が敷きつめられ、
静かに光って、湖水の澄明さは一層ひきたてられた。
白浜の岸近くに一軒の古い旅宿があって、風呂場が汀に建っていた。
歌人、結城哀草果氏は次のように歌った。
田沢湖の水わかしたる風呂桶に白妙の砂あまたしづみぬ 哀草果
白浜の磯出の松の岡の辺にいにしへぶりの千木家見ゆ 百穂
白浜のなぎさを踏めば亡き友のもはらごころの蘇へりくる 茂吉
私はハンカチをとり出して、純自の石英砂をすくった。
涙があふれて仕方なかった。
・…・・私はもう一度、田沢湖の過去の姿を再現させてみようと思った。
湖の四季を追ってさまよった純心な少年の日に帰り、あの青い湖水の波と戯れてみようと思った。
しかし一度汚れた砂浜は、二度と昔に帰らない
***
何とかして、この湖を復活できないのだろうか。
そのためには、東北電力に水力発電をあきらめてもらう必要がある。
今の時代に、それが可能であろうか。