面白いものである。
かつて、会津藩は賊軍であった。
今、八重の桜の大河ドラマでは、正義である。
負けたら賊軍。。。
何とも悲しい宿命を語る言葉だ。
さて、不思議な話題が飛び交うものである。
昨夜、時事通信が伝える以下の記事を見て愕然とした。
****(引用)
太平洋横断中に遭難したニュースキャスターの辛坊治郎さんら2人が海上自衛隊に救助されたことに関し、 25日の自民党国防部会で、辛坊さんの行動を批判する意見が相次いだ。
中山泰秀部会長は 「東日本大震災(の津波)で流し出された人を救出するなら納税者も納得すると思うが、本当に深謀遠慮に足りる計画があったのか」と無謀さを指摘。
辛坊さんを部会に呼んで事情を聴くことも検討する考えを示した。
部会に出席した防衛省の黒江哲郎運用企画局長は、救出費用を当事者に請求しない根拠を問われ、「災害派遣は自衛隊の任務であり、任務遂行のために認められた予算の範囲内で対応した」と説明した。
****
どこか、おかしな論理である。
おそらく、欧米ではこのような批判は起こらない。
むしろ、賞賛されることではないだろうか。
困難に挑戦し、勇気をもって乗り越えていくことは、人類が誕生してから営々として辿ってきた道のりである。
私は、辛坊さんをよく知らないが、ハンディキャップを持った岩本さんと二人で、ヨットで太平洋を横断するというチャレンジは素晴らしいと思う。
誰にでもできることではない。
日本国民の一人として、応援したい。
もし成功していたら、彼らは大きな歓声をもってアメリカ市民に迎えられていたことだろう。
昔、堀江健一さんがたった一人で太平洋を横断した時は、密出国だった。
アメリカにしてみても不法入国だったのだ。
彼がサンフランシスコに入港した時、多くのアメリカ市民が歓呼で出迎えた。
石原裕次郎の映画「太平洋ひとりぼっち」でもよく知られている話だ。
今でもサンフランシスコの波止場に堀江さんのヨットが展示されている。
1981年に訪米したとき、偶然それを見つけて私は唖然とした。
何と小さな船で、太平洋を渡ったのだ。
人間が独り寝ればいっぱいになるようなサイズでしかない。
まるで棺桶だ。
この中で、夢を持ち、不安に耐え、苦難を克服してたどり着いたのだ。
****(引用)
当時はヨットによる出国が認められなかったため、「密出国」という形になった。
日本では当初この点について非難が殺到し、犯罪者扱いすらされたが、当時のサンフランシスコ市長が「コ ロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れたところ、日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように堀江の偉業を称えるものに変化した。
その後帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果起訴猶予となった。
****
大切なことは、身に余る志を持ち、周到な準備をし、果敢に挑戦する勇気であり、そのことは万国共通に理解される美徳でもある。
憲法違反とされる定員削減や、無駄とも思われる歳費の削減もできない政治家諸氏の絵空事とは違うことを強調したい。
実体というのはまさにこのことを言うのであって、税金の上で胡坐をかくことではない。
一日一個のおにぎりを売ることによって得られる収益で生活をしている人もいる。
辛坊治郎さんと岩本光弘さんの挑戦は、そういう人々に勇気を与えるものでこそあれ、何も生産しない政治家に批判される筋のものではない。
植村直己は、マッキンリーで死してなお、国民栄誉賞を得た。
三浦雄一郎も、成功したから賞賛されているが、失敗していたらどうだったろうか。
大切なことは挑戦したという事実であり、自然を相手にしている限り、結果はいろいろある。
また、国民を救出するのは国家の義務であって、たとえそれがハイキングにおける遭難であっても、航空機の事故によるものであっても、等しく最善を尽くして実施すべきというのが、正しい国家の在り方だと私は思う。
その意味で防衛省の局長の答えは、全く正しい。
むしろ、国の威信をかけて救うことが大切なのだ。
彼らがもしアメリカの沿岸で同じような事故に会っていたとすれば、彼の国の威信をもって救出したことだろう。
国とは、本来、そういうものなのだ。