琵琶湖の西に延びる湖西道路を北に向かってひたすら進むと、右手の湖中に赤い鳥居が見えてくる。
白鬚神社(しらひげじんしゃ)の鳥居だ。
この神社の建立は古い。
近江の国では一番古いらしい。
社記には、
「垂仁天皇25年、皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)社殿を再建、天武天皇 白鳳2年(674)勅旨を以って比良明神の号を賜る・・・」
とあるから、紀元前後の神話時代の話である。
日本には多くの白鬚神社があるらしいが、ここの神社はそれらの大元締(総社)らしい。
一説によると、白鬚(しらひげ)は新羅(しらぎ)につながり、新羅からの帰化人秦氏が作ったと言われている。
湖から突き出たように立つ鳥居をとおしてみる琵琶湖は、一幅の趣がある。
でも、なぜ湖中に鳥居が?
昔はもっと水位が低かったという説もある。
しかし、我々が作った湖底の地図を詳しく調べるとこの辺り一帯には大規模な地すべりの跡が見られる。
いつ起こった地すべりかはあまりはっきりしないが、多くの記述では1662年の寛文地震によるものとされている。
この時の地震は大きかったようで、彦根城や膳所城も傾いたという記録があるらしい。
らしいというのは、私が原著を調べたわけではない、という意味でだ。
おまけに、次のような記載も見つけた。
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14世紀ごろの「比良庄堺相輪絵図」には、鳥居が陸上に描かれている。
それが琵琶湖の水位が変化するうちに湖の中に孤立し、16世紀の「江源武鑑」に記されている鳥居は湖上に立っている。
白髭神社の境内にある鳥居復興碑には、昭和12年に大阪の薬問屋の小西久兵衛が荒廃した鳥居を立て替え、今の鳥居は昭和56年の復興事業で建立されたものだ。
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ただ、江源武鑑というのは、1537-1623年のことを書いているので、1662年とは若干年代が合わない。
それに、この本は偽本だとも言われているので、あまり信じないほうがよいのかもしれない。
できれば原文をあたってみたいものだ。
いずれにしても、白鬚神社から安曇川にかけての一帯には大きな地すべり跡があるのは事実でおそらく大規模な津波が起こったことだろう。
アダムという数学者が書いた「自然の中の数学」という本には、次のような記述がある。
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1958年アラスカで起きた地震の影響でリツヤ湾の岬の上の不安定な岩の表面がゆるみ、約900万トンの岩が湾の中に落下した。大部分の岩は垂直に落下したので、エネルギーのほとんどは無数のしぶきとなったが、それは対岸の山に550m以上の高さにもなって達した。この水の移動により、湾の出口で巨大な孤立波が生じ、一連の運河のように進んだ。目で見る限り、波の高さは15-30m、速さは毎秒45mに近かった。この波は、岩が落下した地点から遠く離れたところで、30m以上の高さまで海岸の木々を薙ぎ払った。
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自然とは恐ろしいものだ。
もう少しきちんと計算をしてみる必要がありそうだ。
宿題です!