風景画家ブライアン・ウィリアムズの新しい本の出版に寄せて(近刊)
「2次元と3次元の狭間(はざま)で」
私の専門は地球物理学である。
その中でも特に湖水の運動について研究している。
琵琶湖のような大きな器に貯まった水は、時として奇妙な動きをする。
それは地球の重力と自転の存在によって引き起こされる。
重力は、深さ方向に水を押しつけ安定させようとする。
一方、湖水は太陽の熱で加熱されたり冷却されたりする。
また、風によって波が起こったり、一方向に水が吹き寄せられたりする。
水が動き始めると地球の自転効果が働いて回転し始め、渦まき流れ(環流)という不思議な運動が生じる。
そこには、太陽から到達するエネルギーが、地球上の海や大湖沼に大きな渦巻運動を引き起こし、やがてさまざまな形に変化していくという壮大なエネルギーの物語がある。
こうして、琵琶湖の中には水平面内を流れる2次元流(環流)と、立体的な構造を持つ3次元流(乱流)が共存することとなる。
そして、この2次元と3次元の狭間には奇妙な関係が存在する。
!!!!!!!!!!!!!!!!
風景画家ブライアン・ウィリアムズに私が初めて出会ったのは、今から30年ほど前、1980年代後半のことである。
当時、私は滋賀県琵琶湖研究所に勤務していた。
その時に主催した環境に関わる講演会に、聴衆の一人としてブライアンはやってきた。
琵琶湖周辺を題材に風景画を描いている彼にとって、対象として見つめる自然の破壊は我慢のならないことだったのだろう。
強い調子で湖岸の改変を批判した。
折から琵琶湖総合開発の最中で、自然湖岸は人工湖岸に置き換えられ、美しいヨシ原はコンクリート湖岸に変わっていった。
ブライアンの絵には湖岸のヨシ原が多く登場する。
田舟とヨシ原の向こうに浮かぶ竹生島は、画家だけでなく多くの写真家の絶好のスナップショットでもあり、特に、夏場の太陽が西空に沈む頃には、多くのプロやアマの写真家が自慢のカメラをもって詰めかける。
それほど風情のあるヨシ原の原風景が、琵琶湖では激減してしまった。
それは、単に湖岸の改変だけが原因でもない。
1970年代、都市化の波が押し寄せてきた琵琶湖南湖周辺では、人間の活発な生産活動によって地下水脈がすっかり変わってしまった。
ヨシは、地下水がコンコンと湧き出す湖岸を好む。
そこでは根もとの水が常に入れ替わるからだ。
開発に対する批判を受けた滋賀県が人工的にヨシ原を復元したのだが、なかなか成功しないのもそこにある。
水の入れ替わりがない場所にヨシ原を造成しても、健康なヨシは育たない。
生き物にとって水の動きはとても大切で、単に水があればよいというものではない。
水温や栄養や濁りといった複合的な組み合わせの結果、それぞれの生物に好適な水環境が存在する。
ブライアンは、職業柄そのことをよく知っていた。
だからこそ、本書では分水嶺から話が始まっている。
山に雨が降り、森を涵養(かんよう)する。樹木から滴り落ちた水は、谷間を下り、小川を経て川となる。
そして、同じくらいの水量が地面にしみ込んで、地下水となる。
「分水嶺から少し下ったあたりに、原生林かそれに近い状態の森林が生き残っている一帯がまだある。
朽木の北西部、京都と福井と滋賀の境あたり、生杉(おいすぎ)の山村より数キロメートル奥まった場所だ。
そこの一画に、巨木が生い茂る小さな斜面がある。周長が2~3メートルからなるブナやナラなどの大木の間を散策すると、まるで緑の大聖堂にいるようだ。
特に新緑の時期には、淡い緑の若葉と、古くて太い幹とのコントラストが実に美しい。
その美しさ、その静けさが心に染み入る。
こうして琵琶湖の水は涸れることなく溢れ、ヨシ原は息づく。
その根源が琵琶湖周辺に鬱蒼として広がる森林地帯だとブライアンは語る。
そこには、樹木たちの息遣いがあり、瑞々しさにあふれた命の営みがある。
神々しささえ醸し出す巨木群こそ琵琶湖の源であると、この老齢の域に差しかかった風景画家は主張する。
「日本の一番美しい季節を彩っているのは新緑だ。
(中略)美しく芽吹くこの森が、向こうにキラキラ輝く湖を守ってくれている」
なんとブライアンの思いのたけがあふれ出た表現だろう。
こうして、私はすでに30年近くブライアンと付き合っている。
共に数回、モンゴルへも出かけた。
写生をする彼の姿を間近に眺め、自然を語り、ゆっくりとした時間を共有するときに、たびたび彼の人間性に触れてきた。
一見して大雑把な性格に比して、彼の絵は精緻である。
まるで写真のようだと皮肉る人がいるが、私はそうは思わない。
しっかりした筆遣いがあるからこそ、ごまかしがない美しさがある。
たぐいまれな表現力が、常に生存競争に明け暮れる自然の世界を生き生きと写し取っていく。
自然にごまかしは存在しないのだから。
そんなブライアンに転機が訪れた。
2007年のことだ。
それまでの平面画を曲面画へ発展させたのだ。
そう、2次元から3次元への華麗なトランスファー。
そこに自然科学をこよなく愛すブライアン・ウィリアムズの真骨頂がある。
普通の画家は平面の中に立体を描こうとする。そこには何となく窮屈な感覚がある。
キャンバスを曲面にすれば、見た景色にもっと近くなるのではないだろうか。
それが、ブライアンというちょっと変わった画家の発想だった。
彼は、そのことをトンビの目と表現した。
「私は、高所作業車を写生道具にする、世間ではまずいない絵描きだ。
絵にならない平凡な場面でさえ、作業車のバケツに乗って上がれば上がるほど、感動させてくれる景色に変わる。
松の木内湖との新しい出会いも、こうして始まった。
(中略)
水田、川、ヨシ群落、内湖、湖との間に農漁村、そして光る琵琶湖そのもの。
まさしく人の命をつなぎ、水質と生き物の多様性が守られる営み。
(中略)
魚の産卵・生息・水鳥も豊富、命あふれる美しい世界」
私は、そんな彼の発想が大好きだ。
それほどに、2次元から3次元への転回は大きな意味を持っている。
見方を変えることによって、彼は自由になった。
最近の彼の曲面絵画は精緻であることに加えて深みも出てきた。
平面から飛び出して立体的に表現しようとしている曲面絵画は、まるで漫画の「ど根性ガエル」のようだ。
平面から飛び出して自由になりたいというエネルギーのほとばしりがひしひしと感じられる。
こうして、ブライアン・ウィリアムズは自分自身を解き放った。
世界で唯一の曲面絵画師であるブライアンの絵画は、もっともっと多くの人々に知られてもよいのではなかろうか。
そういう熱い思いから、私たちは本書の制作に取り掛かった。
最初にも述べたように、2次元(平面)と3次元(立体)の狭間で起こるエネルギーのやり取りは、自然の中でもよく起こる。
ブライアンが風景画家として生涯をかけて表現しようとしている琵琶湖。
その中で起こっている奇妙な現象がある。
例えば、コップに水を入れて箸でかき混ぜると渦ができる。
混ぜるのをやめると、水の運動は次第に遅くなり、やがて静止する。
物理学では、このことをエネルギーカスケードと呼んでいる。
大きな渦が小さな渦となり、やがて熱に変わる。
こうしてできた渦は決して永続しない。
琵琶湖にも渦の流れがある。
環流と呼ばれる渦だ。
この渦を作るのは、太陽から与えられる自然の力だ。
風や熱によってエネルギーが供給される。
そして、奇妙なことに、この渦はなかなか消えない。
台風が来るとしばらく見えなくなるが、2~3日経つと元の渦が忽然と現れてくる。
かつて私たちが実際に琵琶湖で測定した渦の流れを図で示そう。
この渦は、世界で最も美しい渦だと言われている。
なぜ渦はすぐに消えないのだろうか。
その答えは、3次元から2次元へのエネルギーの流れの存在である。
風や熱によって琵琶湖へ入るエネルギーは、上から下へ流れる3次元のフローである。
一方、湖の成層が作り出す環流は水平方向に流れる2次元の性格をもっている。
水の流れと渦が共存するとき、そこでは小さな渦から大きな渦へとエネルギーが運ばれるのである。
このことを逆エネルギーカスケードと呼んでいる。
何と自然はよくできているのだろうか。
この逆方向へのエネルギー輸送がなければ、地球上の水や空気の運動はすぐに止まってしまう。
私たちは雨のない世界で暮らすことになる。
であれば、多くの生命は生存しなかったと言ってもよいだろう。
同じような現象は、20年から30年に一度現れる土星の大白斑にも見られるという。
ブライアンは、平面の世界から曲面の世界へ飛び出した。
それは、決して平面を無視するということではない。
むしろ3次元から2次元へ向けての大きなエネルギーの流れが、彼の絵をもっとダイナミックなものにしている。
ひょっとしたら、私たちは今、偉大な瞬間に立ち会っているのかもしれない。
琵琶湖という自然に触れて開眼した風景画家ブライアン・ウィリアムズが絵筆で表現する曲面絵画が、ちょうど物理学の法則が教えるように、琵琶湖から溢れでて地球そして宇宙の真理にまで触れる普遍的で壮大なロマンを紡ぎ出す、そんな新たな物語の始まりなのかもしれない。
何かしら心の疲れた時に、ぜひ座右においてひも解いていただきたい画集随筆である。
「2次元と3次元の狭間(はざま)で」
私の専門は地球物理学である。
その中でも特に湖水の運動について研究している。
琵琶湖のような大きな器に貯まった水は、時として奇妙な動きをする。
それは地球の重力と自転の存在によって引き起こされる。
重力は、深さ方向に水を押しつけ安定させようとする。
一方、湖水は太陽の熱で加熱されたり冷却されたりする。
また、風によって波が起こったり、一方向に水が吹き寄せられたりする。
水が動き始めると地球の自転効果が働いて回転し始め、渦まき流れ(環流)という不思議な運動が生じる。
そこには、太陽から到達するエネルギーが、地球上の海や大湖沼に大きな渦巻運動を引き起こし、やがてさまざまな形に変化していくという壮大なエネルギーの物語がある。
こうして、琵琶湖の中には水平面内を流れる2次元流(環流)と、立体的な構造を持つ3次元流(乱流)が共存することとなる。
そして、この2次元と3次元の狭間には奇妙な関係が存在する。
!!!!!!!!!!!!!!!!
風景画家ブライアン・ウィリアムズに私が初めて出会ったのは、今から30年ほど前、1980年代後半のことである。
当時、私は滋賀県琵琶湖研究所に勤務していた。
その時に主催した環境に関わる講演会に、聴衆の一人としてブライアンはやってきた。
琵琶湖周辺を題材に風景画を描いている彼にとって、対象として見つめる自然の破壊は我慢のならないことだったのだろう。
強い調子で湖岸の改変を批判した。
折から琵琶湖総合開発の最中で、自然湖岸は人工湖岸に置き換えられ、美しいヨシ原はコンクリート湖岸に変わっていった。
ブライアンの絵には湖岸のヨシ原が多く登場する。
田舟とヨシ原の向こうに浮かぶ竹生島は、画家だけでなく多くの写真家の絶好のスナップショットでもあり、特に、夏場の太陽が西空に沈む頃には、多くのプロやアマの写真家が自慢のカメラをもって詰めかける。
それほど風情のあるヨシ原の原風景が、琵琶湖では激減してしまった。
それは、単に湖岸の改変だけが原因でもない。
1970年代、都市化の波が押し寄せてきた琵琶湖南湖周辺では、人間の活発な生産活動によって地下水脈がすっかり変わってしまった。
ヨシは、地下水がコンコンと湧き出す湖岸を好む。
そこでは根もとの水が常に入れ替わるからだ。
開発に対する批判を受けた滋賀県が人工的にヨシ原を復元したのだが、なかなか成功しないのもそこにある。
水の入れ替わりがない場所にヨシ原を造成しても、健康なヨシは育たない。
生き物にとって水の動きはとても大切で、単に水があればよいというものではない。
水温や栄養や濁りといった複合的な組み合わせの結果、それぞれの生物に好適な水環境が存在する。
ブライアンは、職業柄そのことをよく知っていた。
だからこそ、本書では分水嶺から話が始まっている。
山に雨が降り、森を涵養(かんよう)する。樹木から滴り落ちた水は、谷間を下り、小川を経て川となる。
そして、同じくらいの水量が地面にしみ込んで、地下水となる。
「分水嶺から少し下ったあたりに、原生林かそれに近い状態の森林が生き残っている一帯がまだある。
朽木の北西部、京都と福井と滋賀の境あたり、生杉(おいすぎ)の山村より数キロメートル奥まった場所だ。
そこの一画に、巨木が生い茂る小さな斜面がある。周長が2~3メートルからなるブナやナラなどの大木の間を散策すると、まるで緑の大聖堂にいるようだ。
特に新緑の時期には、淡い緑の若葉と、古くて太い幹とのコントラストが実に美しい。
その美しさ、その静けさが心に染み入る。
こうして琵琶湖の水は涸れることなく溢れ、ヨシ原は息づく。
その根源が琵琶湖周辺に鬱蒼として広がる森林地帯だとブライアンは語る。
そこには、樹木たちの息遣いがあり、瑞々しさにあふれた命の営みがある。
神々しささえ醸し出す巨木群こそ琵琶湖の源であると、この老齢の域に差しかかった風景画家は主張する。
「日本の一番美しい季節を彩っているのは新緑だ。
(中略)美しく芽吹くこの森が、向こうにキラキラ輝く湖を守ってくれている」
なんとブライアンの思いのたけがあふれ出た表現だろう。
こうして、私はすでに30年近くブライアンと付き合っている。
共に数回、モンゴルへも出かけた。
写生をする彼の姿を間近に眺め、自然を語り、ゆっくりとした時間を共有するときに、たびたび彼の人間性に触れてきた。
一見して大雑把な性格に比して、彼の絵は精緻である。
まるで写真のようだと皮肉る人がいるが、私はそうは思わない。
しっかりした筆遣いがあるからこそ、ごまかしがない美しさがある。
たぐいまれな表現力が、常に生存競争に明け暮れる自然の世界を生き生きと写し取っていく。
自然にごまかしは存在しないのだから。
そんなブライアンに転機が訪れた。
2007年のことだ。
それまでの平面画を曲面画へ発展させたのだ。
そう、2次元から3次元への華麗なトランスファー。
そこに自然科学をこよなく愛すブライアン・ウィリアムズの真骨頂がある。
普通の画家は平面の中に立体を描こうとする。そこには何となく窮屈な感覚がある。
キャンバスを曲面にすれば、見た景色にもっと近くなるのではないだろうか。
それが、ブライアンというちょっと変わった画家の発想だった。
彼は、そのことをトンビの目と表現した。
「私は、高所作業車を写生道具にする、世間ではまずいない絵描きだ。
絵にならない平凡な場面でさえ、作業車のバケツに乗って上がれば上がるほど、感動させてくれる景色に変わる。
松の木内湖との新しい出会いも、こうして始まった。
(中略)
水田、川、ヨシ群落、内湖、湖との間に農漁村、そして光る琵琶湖そのもの。
まさしく人の命をつなぎ、水質と生き物の多様性が守られる営み。
(中略)
魚の産卵・生息・水鳥も豊富、命あふれる美しい世界」
私は、そんな彼の発想が大好きだ。
それほどに、2次元から3次元への転回は大きな意味を持っている。
見方を変えることによって、彼は自由になった。
最近の彼の曲面絵画は精緻であることに加えて深みも出てきた。
平面から飛び出して立体的に表現しようとしている曲面絵画は、まるで漫画の「ど根性ガエル」のようだ。
平面から飛び出して自由になりたいというエネルギーのほとばしりがひしひしと感じられる。
こうして、ブライアン・ウィリアムズは自分自身を解き放った。
世界で唯一の曲面絵画師であるブライアンの絵画は、もっともっと多くの人々に知られてもよいのではなかろうか。
そういう熱い思いから、私たちは本書の制作に取り掛かった。
最初にも述べたように、2次元(平面)と3次元(立体)の狭間で起こるエネルギーのやり取りは、自然の中でもよく起こる。
ブライアンが風景画家として生涯をかけて表現しようとしている琵琶湖。
その中で起こっている奇妙な現象がある。
例えば、コップに水を入れて箸でかき混ぜると渦ができる。
混ぜるのをやめると、水の運動は次第に遅くなり、やがて静止する。
物理学では、このことをエネルギーカスケードと呼んでいる。
大きな渦が小さな渦となり、やがて熱に変わる。
こうしてできた渦は決して永続しない。
琵琶湖にも渦の流れがある。
環流と呼ばれる渦だ。
この渦を作るのは、太陽から与えられる自然の力だ。
風や熱によってエネルギーが供給される。
そして、奇妙なことに、この渦はなかなか消えない。
台風が来るとしばらく見えなくなるが、2~3日経つと元の渦が忽然と現れてくる。
かつて私たちが実際に琵琶湖で測定した渦の流れを図で示そう。
この渦は、世界で最も美しい渦だと言われている。
なぜ渦はすぐに消えないのだろうか。
その答えは、3次元から2次元へのエネルギーの流れの存在である。
風や熱によって琵琶湖へ入るエネルギーは、上から下へ流れる3次元のフローである。
一方、湖の成層が作り出す環流は水平方向に流れる2次元の性格をもっている。
水の流れと渦が共存するとき、そこでは小さな渦から大きな渦へとエネルギーが運ばれるのである。
このことを逆エネルギーカスケードと呼んでいる。
何と自然はよくできているのだろうか。
この逆方向へのエネルギー輸送がなければ、地球上の水や空気の運動はすぐに止まってしまう。
私たちは雨のない世界で暮らすことになる。
であれば、多くの生命は生存しなかったと言ってもよいだろう。
同じような現象は、20年から30年に一度現れる土星の大白斑にも見られるという。
ブライアンは、平面の世界から曲面の世界へ飛び出した。
それは、決して平面を無視するということではない。
むしろ3次元から2次元へ向けての大きなエネルギーの流れが、彼の絵をもっとダイナミックなものにしている。
ひょっとしたら、私たちは今、偉大な瞬間に立ち会っているのかもしれない。
琵琶湖という自然に触れて開眼した風景画家ブライアン・ウィリアムズが絵筆で表現する曲面絵画が、ちょうど物理学の法則が教えるように、琵琶湖から溢れでて地球そして宇宙の真理にまで触れる普遍的で壮大なロマンを紡ぎ出す、そんな新たな物語の始まりなのかもしれない。
何かしら心の疲れた時に、ぜひ座右においてひも解いていただきたい画集随筆である。