スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

12.普遍意識5-4

2011-01-18 18:32:26 | ◆「黎明」考察
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・それでは「真理を悟る」とは、一体どのようなことなのでしょうか。この当然の疑問は、
思考を超えたものを思考によって捉えようとする、よくある間違いに陥る可能性を含んでい
ますから、慎重に話を進めたいと思います。

・私達の個的意識が進化して、自らの内に在る本質が顕れていくと、顕在意識の上限がある
特定の波動領域に達したとき、「自分は宇宙そのもので在り、宇宙を創造した主体で在る」
と言う真理が、疑う余地のない実感を伴って体験されます。この強烈な体験をいったん通過
してしまうと、地上での喜びや幸福といわれているものの一切が、色褪せたガラクタ同然の
ものとなり、それまでに造りあげてきたものの考え方や、最高の認識だと思っていた知識の
全てが、極めて制約された視野の中で造られたものであり、間違ったものの見方であったこ
とに気付きます。

・この意識状態に達したときの人は、時空間に制約された物質世界特有の意識構造や、地球
生命系の歴史の中で造り上げられてきた、あらゆる固定観念から解き放たれ、もはや物質的
ヴァイブレーションという、意識の牢獄の中での限定された表現にとどまることなく、自由
自在、融通無碍である生命の本来の状態に戻ります。この意識状態を普遍意識と呼ぶわけで
すが、ここで重要な点は、ある時点から個人意識が普遍意識に変化するのではなく、初めか
ら普遍意識の他にはなかったことに、ある時点で気付くのだと言うことです。個人意識の幻
影い囚われたままの状態で、認識していることの一切を「在るがまま」として肯定してしま
うといった事実関係の誤認が、これまでにも多くの人達の間であったことには注意して頂き
たいと思います。

・この普遍意識が自覚される波動領域では、意識の媒体は物質原子のように特定の時空間を
規定する波動を持っていないので、肉体の場合のように、意識を特定の個体内に制約するよ
うな効果を持ちません。従ってこの波動領域より上のヴァイブレーションでは、個人という
境界が存在しなくなるために、総ての個的表現形態の意識が、初めて唯一つの意識に統合さ
れ、またこの唯一つの意識が、総ての個的表現形態、すなわち私達ひとりひとり、象や桜の
木、ダイヤモンドから一個の原子に至るまで、その内なるヴァイブレーションの領域に浸透
します。

・普遍意識は色々な意味においてひとつのゴールであり、この波動領域では、不安、恐怖、
憎しみ、怒りといった、あらゆる否定的な想念が、自我意識によって造り出された幻影であ
ることが客観視できるので、一切の不調和に囚われなくなります。

・自分自身が宇宙そのもので在ったことを識るとともに、宇宙の創造者で在ったことを悟り、
「事成れり」と言う想いに至ったとき、それまでの気が遠くなるような転生の経験の全てが、
迷っていた意識の造り出した幻影であり、同時にこれから必要な様々な能力を身に付けるた
めのトレーニングであったことを悉く理解することができたとき、それからが生命としての
本当の表現が始まるのです。

・普遍意識は、初めて個人意識から解放されて全体を自覚するレヴェルが最終的な到達点と
いうわけではなく、現象世界においては、意識の進化に対応した様々なヒエラルキー(階層
構造)があって、より深い全体との一体化、より大きな力と、より深い叡智の顕現と言う、
意識の進化の過程が無限に続いています。
(「黎明 上巻」より)
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「顕在意識の上限がある特定の波動領域に達する」為の具体的な手法はあるのでしょうか?
まだまだ読み始めなので、これから示されるのかもしれません。また、「個人という境界が
無くなり、唯一つの意識に統合され全ての個的表現形態の領域に浸透する」というイメージ
も捉え難いですね。瞑想や夢、白昼夢などで、そのような状況下で似たような意識の拡大が
得られる場合もありそうですが、判断するのは難しそうです。いずれまた読み進めるうちに
回答が得られるかもしれません。

それらの手法とはべつに、普遍意識には様々な階層があるようですが、その第一段階として、
上記に書かれている「否定的な想念(不安、恐怖、憎しみ、怒りなど)が幻影であると客観
視し、不調和に囚われなくなる」ことが入り口となりそうです。この状態を維持し続けるこ
ともまた、普遍意識の波動領域を高める道なのかもしれません。そのときから「生命として
の本当の表現」が始められそうです。

下記にシルバーバーチが語っているように、霊的理解の活用もまた同じでしょう。
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霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一
種の悟りを開きます。
(霊訓1 P33)

地上生活に何一つ怖いものはありません。取り越し苦労は大敵です。生命力を枯
渇させ、霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れる
ことを知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこには恐怖心の入る
余地はないのです。それは無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖
がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きることです。
(霊訓1 P73)

霊的真理は、これを日常生活に活用すれば不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利
己主義、うぬぼれ等々を追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基づく平和を確
立することでしょう。
(霊訓1 P97)

あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指
標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけで
す。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時
、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります。
(霊訓5 P96)

その人生の難問がどの程度の影響を及ぼすかは、各自の霊的進化の程度に掛かって
おります。ある人には何でもないことが、あなたには大変に思える場合があります
。反対に、ある人には大変に思えることが、あなたには些細なことに思えることも
あります。各自が自分なりの運命を切り開いて行くのです。
(霊訓12 P213)
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