スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

17.創造の原理6-1

2014-06-23 17:28:33 | ◆「黎明」考察

 

2011.12 アルゼンチン(ロス・ロブレス、エコロッジ)にて(投稿内容とは関係ありません)

 

人間の理解において、真理を具体的な観念として定義することはできません。もし定
義してしまえばそれはひとつの制約になりますから、それ以外のあらゆる可能性を排
除するようになるわけで、無限なるものを自分達の未熟な意識レヴェルにまで引きず
り下ろして、有限の枠に閉じ込めようという愚かな行為になり明らかな間違いを犯す
ことになります。
人がいったん心の中にこの様な固定観念の枠組を造ってしまうと、その人はあらゆる
ことをこの枠組を通して判断するようになりますから、それに阻まれて真理の無碍自
在な表現がその人を通して展開できなくなり、より深い理解に進むことが妨げられる
のです。

真理と言う言葉が本来示しているのは偏在する唯一の生命そのものであり、この生命
が表現しつつある一切のものですから、それは宇宙の創造活動の全体であり、自然界
そのものなのです。ですから真理は、人間の限られた視野の中で造り出している様々
な観念、すなわち実際には存在していない単なる心の映像とは、光と影のようなもの
です。
従って自分の心の中に、幻影でしかない観念がどのようにして造られているのかと言
う実相を観ることができなければ、真理を把握することは不可能ですし、もしそうで
なければ、真理についてどんな推測をしたところで、それは自我意識の限られた過去
の経験の中から、生命の宿っていない抜け殻のような観念を造り上げて、それを事実
と思い込んでしまう可能性が高いのです。


普通の人々は、五感を通してでしかこの世を観ていません。その五感さえも、例えば
見えるものの範囲、聞くことのできる範囲など、かなりの制限を受けています。そん
な小さな五つの扉からしか世界を認識していないのです。

そんな五つの扉からの認識の事象だけを積み上げてみたところで真理に到達できるは
ずがないという事なのでしょう。

人の造り上げる法律・・・これらもある国では犯罪であるが、別の国では犯罪でない
というケースが山ほどある。正しいか間違っているかが国によって異なる。となると
人の造り上げるものは真理に照らして絶対ではないということになります。

ところで、上記の中の真理を把握する為の「実相を観る」にはどうしたらよいのでしょ
うか?

幻影でしかない観念の停止、自我意識の限られた過去の経験参照の停止・・・・・。

育ってきた環境(国レベル、学校レベル、家庭レベル、個別人間関係など)から生ま
れた各々の固定観念、先入観などを打破するということでしょうか。

これはなかなか容易でないことは推測できますね。具体的にはどうすればよいのでしょ
う?

内観などで自分を客観視する訓練を行う。根の深い自分の性格や思い込みを分析し、そ
れらの基盤となった過去の事象と向き合いひとつひとつ観ていくのもいいかもしれません。

これらの作業を丁寧に継続して行っていくと、どのような背景で自分の判断が行われて
いるのか、どのような経験を基にして自分の感情が動くのかが解るようになるのかもし
れません。

更に進めていけば、ヴィパッサナー瞑想のような自己客観視が研ぎ澄まされ、エゴ的な
意識も薄れ、自己判断を保留し、ありのままを観るようになるのかもしれない。その時、
普遍意識からの判断、正しい動機に基づいた判断が身に付くのかもしれません。そこか
ら真理を把握する道が見えてくるのかもしれない。

しかし、こう考えていくと、真理を知るには、垢まみれになったこの世で蓄積された精
神を、オギャーとこの世に生まれ出でたその時へと戻すような作業のようにも思えます。

黒文字部分:「黎明・上巻」より