「まずは『上州土産百両首』。
こちらは、アメリカの作家オー・ヘンリーの短編小説をもとに、昭和になってから作られたお芝居です。オー・ヘンリーの小説といえば、『最後の一葉』『賢者の贈り物』など、人と人との心の通い合いが印象的に描かれているイメージ。こちらのお芝居でも、ふたりの登場人物、正太郎と牙次郎という幼馴染同士の関係性がとてもぐっとくるものになっています。小説を読んでいるような感覚で、物語に入り込めるような作品です。
今回は、正太郎を中村獅童さん、牙次郎を尾上菊之助さんという、歌舞伎以外のドラマや映画でも活躍の場を広げているお二人が演じますが、このお二人の「コンビ」というのは意外と珍しい組み合わせ…!お芝居の化学反応が楽しみです。」
今回は、正太郎を中村獅童さん、牙次郎を尾上菊之助さんという、歌舞伎以外のドラマや映画でも活躍の場を広げているお二人が演じますが、このお二人の「コンビ」というのは意外と珍しい組み合わせ…!お芝居の化学反応が楽しみです。」
江戸時代という絶望の社会にもなお一筋の光明が存在したことを示す、あるいは錯覚させてくれる作品は、歌舞伎座では昼の部の最初に上演されることが多いという印象である(もっとも、その後の「自己犠牲強要型」の演目によってイヤ~な気分に陥れられるところまでがお約束ではあるが。)。
この「上州土産百両首」も、そのような佳作の一つである。
幼馴染みの正太郎と牙次郎は、共に掏摸になっていたが、互いにそのことを知らないまま、抱き着いた相手の財布を摺ってしまう。
牙次郎は驚くと「あじゃ!」というのが口癖で、何をやってもドジをするので、周囲の人間たちから蔑まれている(これはおそらく知的障がい者という設定ではなかろうか?)。
正太郎は、その牙次郎のことを一人前に扱い、牙次郎も正太郎を「兄貴」と呼んで慕っていた。
牙次郎は、盗み取った紙入れの記載から正太郎の住所を探り当て、再会した正太郎に摺った5両を返すとともに、「足を洗って堅気になろう」と語る。
それを見ていた正太郎の親分:与一は、「お前は堅気になれ。これで縁を切ろう」と述べて別れの水盃を交わすが、与一の弟分の三次はこれが気に食わず、正太郎と牙次郎に向かって塩を撒く。
与一の家を出た正太郎と牙次郎は、幼い頃よく遊んでいた待乳山聖天の森を訪ね、「ここで別れて地道に働き、十年後の同じ日、同じ時刻に再会しよう」と誓い合う。
十年後、正太郎は上州舘林の料亭「たつみ」で板前になっていたところ、たまたま江戸から逃れてきた与一と三次が客として訪れ、予期せぬ再会を果たす。
正太郎は「たつみ」に婿入りする予定だったが、三次は正太郎の過去をネタに婿入りを妨害するぞと強請を行い、正太郎が牙次郎のために貯めた二百両を脅し取る。
これでキッパリ縁を切ったつもりの正太郎に対し、三次は次の台詞を放つ。
「金がなくなりゃ、また来るぜ」
これぞ、「échange における無際限の給付義務」である。
激高した正太郎は三次と揉み合い、料理用の包丁で三次を殺害し、お尋ね者となる。
他方で牙次郎は、御用聞き(犯罪者を探す職業人):勘次の家で働いており、百両の懸賞が懸かった罪人を捕らえ、賞金を正太郎に捧げようと張り切っている。
こうした中、約束の時刻が訪れ、牙次郎は待乳山聖天で正太郎と再会するが、正太郎こそ例の罪人であった。
大勢の捕手が正太郎を捕らえるが、正太郎は、「牙次郎に手柄を立てさせてやって欲しい」と述べる。
だが、牙次郎は、
「俺はもう一文も要らないよ」
という決め台詞を放ち、仲間には、「縄を解いて自訴(自首)させてやって欲しい」と懇願する。
これぞ、「échange の拒絶」である。
この光景を見て心を打たれた勘次は、正太郎の縄を解く。
正太郎と牙次郎は肩を組んで、自訴するためお役所へ向かって歩き出すところで幕切れとなる。・・・
以上の次第で、「上州土産百両首」では、正太郎によるポトラッチは牙次郎によって封じられたため、ポトラッチ・ポイントはゼロ。