サーファー院長の骨休め

“ビッグマッサータハラ”のライフスタイル

養生館

2023-03-02 | Weblog
「養生館」修行時代

専門学校1年時から大井町の「西湘アスレチッククラブ」というスポーツクラブでバイトを始めた。最初はサウナ施設の接客係として、サウナや風呂の掃除、リネンの取り換え、カウンターで生ビールなどをついだりしていた。その仕事の合間にマッサージ室に行って、先輩から技術を学んだ。

しばらくしてマッサージを許可され、仕事をしている時、養生館の先生がお客さんとしてマッサージに掛かりに来ていて、そこで養生館にスカウトされたのだ。

養生館と言えば、修行が厳しい所として有名だったので、ここで働くということは、本腰を入れないとやっていけないということは、分かっていた。23歳の時だ。
専門学校3年になり、マッサージ師の資格を取り、養生館に弟子入りした。その頃養生館は、小田原栢山にあり、小さな借家を改造した狭い治療院だった。

最初は下働きしかさせてもらえず、掃除、洗濯、先輩の昼食の用意をやった。夜に先輩から技術を教えてもらい、その後少しずつ患者さんのカラダを触らせてもらえるようになった。

しかし、「押し方が違う。」「全然きかない。」「いつもの人に代わって。」最初は色々言われた。悔しかったから勉強し、ひたすらかんばった。


1年後患者数が増え手狭になったので、養生館は、南足柄に新しい治療院を建てた。この写真はそこだ。広い面積でベッドが10台くらい設置され、弟子も10人くらいに増え、いつも予約でいっぱいだった。弟子同士切磋琢磨し、腕を磨いていった。指名してくれる患者さんも増え、自分の弟子もできた。こうして先輩から学んだ技術を後輩に伝え、またその後輩が次の弟子に伝える。私は、ここで29歳まで働いた。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 養生館 | トップ | Today's Beach »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事