サーファー院長の骨休め

“ビッグマッサータハラ”のライフスタイル

タカチ

2018-08-01 | Weblog
今日は、修行時代の話をしよう。



昭和から平成になる頃。
湯河原と小田原の学校が合体し、鴨宮に新設された専門学校に全国から鍼灸マッサージ師を目指す若者が集まってくる。

私は、在学中の3年生の時、22か3で養生館に弟子入りした。

最初は、掃除、洗濯、先輩方の昼飯の用意、受付業務をこなす毎日で、患者さんのカラダに触ることなどなかった。ただ、見ているだけ。

だが、忙しくなってくると突然チャンスが巡ってきたりする。
ドキドキしながら触ってみるのだが、うつぶせの患者さんから「もっと強く!」などとダメだしをもらう。

「満足してるかどうかは、聞かなきゃ分からないでしょ。もっと聞いてきなさい。」と患者さんから教わり、自分の未熟さに落ち込む。

そうやって経験しながら半人前から一人前になっていく。

そんな時、一人の後輩が入ってきた。10代のタカチだった。

彼も洗濯から入り、仕事を覚えていった。

そこで辞めてしまう者も何人も見てきたが、何とか踏ん張り、生き残った者だけが患者さんに、師匠に認められ、指名を勝ち取り、給料が上がっていく。


弟子同士切磋琢磨し、競い合いながら経験を積んでいく。

お互い同じように教わったはずが、少しずつ治療法や手のタッチ、個性の違うところが面白い。


夏の暑さにやられた私のカラダをタカチ独自のワザで攻めてくれた。
小田原国府津「臥竜治療院」にて。

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