西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

監視小屋

2015-12-08 21:31:42 | 石木ダム
今朝の長崎新聞に「迂回道路」の予定地に建てた監視小屋の記事が載っていた。



3日から地権者の男性陣が集まって、パイプを立てバラスを敷きトタンを葺き、2日で外観が出来上った。

そして、さらに2日、小屋の中には作り付けの椅子に戸棚も付いているではないか。









みなさん本当に起用な方ばかりである。


この小屋のことが新聞記事になったからか、今日は長崎放送が取材に訪れた。



午後6時15分からのニュースの中で、

県は、「小屋が設置された場所はすでに県の管理地になっているところであり、今後は口頭でや文書などで撤去を求めていく方針だ」と話している。

ダム事務所からは2日に所長と建設課長がやって来たが、それ以後はまだ訪問がない。

しかし、この監視小屋が建てられているのは早くから知っていたとも書かれていた。

いつもやって来る車両以外の偵察車両が行き来していたのだろう。

今日、来なかったのは、「撤去を求める文書」が出来上がっていなかったからなのだろうか?

明日はゲートを通り過ぎて、まっすぐ監視小屋へと向かうかもしれない。



どちらにしてもダム建設に繋がる「付替え道路も迂回道路も作らせない。」という私たちの決意は変わらないのだから、所長たちの来訪は無駄なだけなのだけど…。

沖縄連帯集会~辺野古現地からの報告

2015-12-06 14:33:07 | 反戦・平和
昨日は長崎で行なわれた「長崎・沖縄連帯集会~いま、辺野古現地からの報告~」集会に参加した。



前に2度ほど参加したことがあったが、今回で15回目になるそうで、もうそんなになるのかと驚いた。

今回は、辺野古の新基地建設の埋め立てに使われる「岩ズリ」(土砂)が五島椛島の採石場からも運ばれる予定だが、その搬出に反対している五島の歌野礼さんのお話がある。それと同時に、名護市市議会議員の川野純治さんが来られるということで、お話を聞いてみたいと思っていた。

川野純治さんのお名前は聞き覚えがあって、多分あの方だろうと想像は付いていた。

川野という苗字が示すように、ウチナンチュウーではなく熊本のご出身だと云うことだった。

最初に15分ほど、辺野古の今の闘いの様子がDVDで流された。
そこでは老若男女がキャンプシュワブのゲート前に座り込み、やって来た機動隊に「もう戦争は嫌だと座り込んでいるみなさんを排除しないで欲しい。どうか、あなたがたも一緒に座り込んで欲しい。」と切々と訴える場面があって、沖縄の闘いの深さが感じられた。





川野さんは、過去のことについては何も話されなかったので、私もここでは書かないが、とつとつとした話ぶりで、「これでアジテーションはできるの?」と思ったほどだ。



「日本には本当に地方自治が存在するのか? 国が沖縄県知事を訴えるということは沖縄の民意を訴えたことになる。沖縄の自己決定権を認めるべきだ。」と話された。

現在、現地闘争を各市町村で支える「島ぐるみ会議」があるが、これが発展して今月14日に「オール沖縄県民会議」として立ち上がり、これがバックボーンとして、運動を支えるとも話された。

五島の歌野礼さんのお話は「五島・椛島の土砂が町民が何も知らされないままに、辺野古新基地建設のために搬出されようとしている。沖縄の県民も欲しがってはいない。



そのような岩ズリを700キロも離れた沖縄に運ぶより、本土で、五島で基地を引き取ることのほうがいいのではないか。」というもので、私や夫の考えと共通するところが大きいと感じた。





私は高橋哲哉の「沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える」を読んでやっと県外移設を考え始めた新参者なので、もっともっとお話を聞きたいと思ったことだった。

12月2日のゲート前

2015-12-02 21:20:59 | 石木ダム
午前9時10分、ダム事務所前のテントで県の動向を見張っている支援者から電話。

白いワゴン車が、ダム事務所の所長を乗せてこちらへ向かったとの連絡だった。

いつも阻止線を張る網と横断幕を急いで用意し、ゲート前にみんなで並んだ。



今日は、島原からも3人の支援者の方が来てくださって、ゲート前は総勢27人だった。



ワゴン車から降りて来た所長は「(3月の年度末まで)あと4ヶ月しかありません。何とか工事をさせて下さい。」と言う。

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現在、私たちが工事現場入口で阻止を続けている工事は、もうすでに土地を売って移転した人たちが建てた新しい墓地(代替墓地)までの道路工事だ。

しかし、その道路は単なる墓地までの道路ではなく、工事用道路としても使用され、この工事の先にダム本体工事があるからこそ、私たちは必死に阻止をしてきたのだ。

それがどうだろう。

「たとえ裁判の結果がどうあろうとも、意味のある道路です。もしも、ダムが中止になっても生活道路として生きる道路です。だから、この道路工事だけはさせて下さい。」などと言うのだ。

ええーっ! 仰天! 今までこんな発言をしたことはなかった。


しかし、誰も納得する者はいない。

所長の残りの任期、4ヶ月の間に代替墓地までの工事をさせて欲しいということだが、まず、ダムの中止が先なのは当然のことだ。

「ダム建設を中止するから、何とか代替墓地までの道路を作らせてくれ」ということならば考える余地もあるだろうが、今日の話だけではとても納得などできはしない。


まず「ダム建設中止」を掲げて来るべきでしょう、石木ダム建設事務所所長さま。

闘う師走

2015-12-01 21:48:54 | 石木ダム
12月になった。

付替え道路工事の阻止行動も、とうとう7ヶ月目である。



今朝のこうばるは、昨日よりも朝もやがひどくて辺り一面真っ白だった。
今日も、ゲート前からダム小屋の先まで歩いて、もやに煙るこうばるの景色を堪能した。





このあと、もやもはれて青空が広がり、みんな厚手のコートを脱ぐまでになった。




10月20日には、付け替え道路に繋がる迂回道路工事の入札があり、工事業者が決定している。いつ工事が始まってもおかしくない状況なのだ。

それで、今日から地権者の男性たちが、岩屋地区の迂回道路工事の予定地で焚き火をしながら県や業者が来ないか見張り番をやっている。

今日はテントに沢山の差し入れがあり、山菜おこわが35人分も届けられたし、湯ねりの柿も大きな竹かごにいっぱい届けられた。



その山菜おこわと柿を、正午前、迂回道路予定地で座り込んでいる皆さんに届けに行った。

普段は吹きさらしで寒い場所なのだろうが、焚き火もあってとても暖かい。




ゲート前と迂回道路工事予定地と阻止する場所は2ヶ所になったが、みんな意気軒昂で、力は3倍にも4倍にもなった気がする。

さあ、今月も闘い抜いていこう!