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西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

寒い日には

2010-12-27 22:06:07 | その他
ここ3日ほど寒い日が続いている。

「こんなに寒い毎日なのに、大掃除なんかできない…」とストーブの前に陣取り、ゴロリと横になって
韓国ドラマを見続けている。

何を隠そう、私は韓国ドラマの大ファンなのである。



もう8年も前になるだろうか?私は自分専用に小さなノートパソコンを買った。

その前年、夫は相談も無く仕事を辞めた。
年金生活まで7年もあるのに、その間の生活はどうするのだろう?
生活の不安で一杯だった私は仕事を探しにかかったが、50歳を過ぎた身に仕事など見つかるはずがなかった。
友人の伝手で探した出したのは、ビルメンテナンスの仕事。つまりお掃除おばさんだった。

25年ぶりの就職、それも肉体労働というわけで、慣れるまでは苦労したし、いつまで続けられるだろうかと思ったりもしたが、汗水たらしての汚れ仕事は、職場の人との仲間意識も生まれ楽しかった。

そうやって働き出して1年目に、少しづつ貯めたお金で、自分への褒美として自分だけのノートパソコンを買ったのだった。

そんな中、友人から「冬のソナタ」という韓国ドラマが面白いと聞いた。しかし、聞いたものの、当時の我が家のテレビはBSなど映らず、夜は疲れはてて、ばたんきゅうの日々。とてもドラマなど見る余裕は無かった。

ある日、近所に住む甥が「おばちゃん、これ面白いですよ。」と持ってきたのが、CDにコピーされた「冬のソナタ」だった。「へえ~。」と気乗りせずに見始めたそのドラマは…、私を虜にしたのだった。

ヨンさまの横隔膜に響くようないい声ではなく日本語版だったし、パソコンの小さな画面だったのに、私は寝る間を惜しんで見続けた。
韓国ドラマは、どこか懐かしい匂いがした。爽やかさを強調する日本ドラマと違って、どろどろとした人間関係の愛憎劇は、ちょうど子どもの頃に見た「君の名は」や「この世の花」といった映画のようだった。

それ以来、嵌りに嵌って、買い揃えた韓国ドラマは50作品を超えた。DVDの枚数も500枚を下らない。友人と「韓国ドラマ普及委員会」を名乗り、リクエスト作品があれば貸し出しもやる。

長く冷戦状態だった夫との関係も、韓国ドラマを見ることで、つかの間忘れる事ができ、救われてきた。
世の韓国ドラマ好きのオバ様方も、私のような状況下で嵌る人も多いかもしれない。

これまで韓国ドラマに関心が無かった人から「DVD貸して。」と言われると、嬉しくなる。
「おお!あなたもウィルスに感染したのね。」

最近では、夫も見るようになり現在は「アイリス」と「カインとアベル」を貸し出し中である。

してやったり!韓国ドラマファンの裾野は広がっている。








クリスマス礼拝

2010-12-24 14:38:07 | その他
今日はクリスマスイブ。

友人から、「クリスマスイブを教会で過ごしてみない?」と誘われた。
友人の夫は、佐世保復活教会の司祭さんである。

「信者じゃないけどいいの?」と不安もあったが、出かけてみることにした。

教会の登り口には、けばけばしくはないが大きなツリーが飾られていて、やっぱり教会という感じがする。



自宅には何回も遊びに行っているけど、教会の中に入ったのは3度ほどしかないし、それも昼間である。

今日のように、夜の礼拝堂は初めてだ。
礼拝堂の中は天井が高く、壁は真っ白である。





午後7時から、礼拝が始まったが、灯りが消され手に持ったローソクに火が点けられて行く。



そのローソクの明かりで、歌詞を見ながら賛美歌を歌い、その賛美歌にちなんだ聖書の一節を信者さんたちが朗読する。
それを、9回繰り返してローソクの火は消され、電気が点けられた。

そして、友人の夫である司祭さんのお話。

友人夫婦は、私たちが、「石木ダムの付替え道路工事」に反対して、座り込みを続けていた時、石木の現地に陣中見舞いにやってきてくれたこともある。

友人の夫は、物腰は柔らかいが、なかなか硬派の人物なのだ。

礼拝が終わったあとは、隣にある集会所で信者のみなさんと一緒に、食事をしながらの歓談。

みなさんとてもまじめで、好感が持てる方々ばかりである。

クリスマスと言えば、世を挙げて飲めや歌えの大騒ぎだが、ひっそりと賛美歌を歌い聖書読み、世界の紛争地域に思いを馳せ、平和を考える、そんなクリスマスイブはとても素敵だった。

来年は、友人も誘ってみようかな。


近現代史講座 第4回

2010-12-12 21:23:36 | その他
昨日は、「石木ダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場」という長たらしい名称の会議が開かれた。
民主党政権になってから打ち出された「出来るだけダムに頼らない治水対策」によって、
見直し対象の一つとなった石木ダムを検証するために開かれたのだ。

夫をはじめ、一緒に長崎へやってきた仲間達は、みんなそちらへ参加。
私は別れて、「近現代史講座」の開かれる長崎市立図書館へ。

今日は、葛西よう子先生の講座なので、何としても参加したかった。
葛西先生の語り口は明快で、いつ聞いても面白く、飽きることがない。



その豊富な知識をひも解いて、次々に話は広がってゆき、最後はNHKでやっている
「坂の上の雲」批判となる。出演俳優にも精通されていて、「主人公はもっくんよ。」と言われる。
「もっくん知らない?お茶屋の主人。」コマーシャルにも詳しくて、思わず笑ってしまう。


英語で歴史は「ヒストリー」これは「he story(彼の歴史)」である。
男の歴史はあるが、女の歴史はない…と言われる。
母方は、3代前になるともう分らなくなるとも言われた。本当にそうだ。

日露戦争の時には「君死にたもうことなかれ」と反戦の歌を歌った与謝野晶子も
岡本かの子も第二次世界大戦では、戦地にいる兵士たちを賛美したし、国政翼賛会
の役員になった市川房枝は女性が認められたと評価した。

また、平塚雷鳥も高群いつ枝も戦争賛美者となった、とも話された。

お話を聞きながら、前日に見た映画のことを思った。
途方もない格差社会であるアメリカの底辺から、志願兵というかたちで若者たちが
押し出されていくが、日本も遠からずそうなるのではないか?

広がっていく格差社会の中で、困窮する若者たちが自衛隊に殺到する時が来る可能性
は大きい。

そんな事を思いながら、時代に流されることのないようにと自分に言い聞かせた。



チェルノブイリのカレンダー

2010-10-22 21:15:04 | その他
心待ちにしていたチェルノブイリ子ども基金の『2011年版カレンダー』が送られてきた。



カレンダーに使われている写真は、すべてフォトジャーナリスト・広河隆一さんの撮影だ。





広河さんはご存知の方も多いと思うが、写真月刊誌『DAYS JAPAN』を編集・発行されている
フォトジャーナリストである。


2005年秋、広河さんの【写真展開催を支援する会】の事務局長・宮西いづみさんから
私も参加しているメーリングリストに緊急のメールが送られてきた。

チェルノブイリ原発事故で被曝した子どもたちへの支援を行っている
「チェルノブイリ子ども基金」がピンチであること、
基金集めのために広河さんの写真を使ったカレンダーを発売しているので
ぜひ購入して欲しいこと、が書かれてあった。


買ってくれそうな(…というか、強引に売りつけるというか、、)友人たちの顔を思い浮かべて、
私も数冊を購入した。

送られてきたカレンダーの中に、写真展事務局のニュースが入っていたが、
そこには「広河さんの写真展を開催しませんか。」の見出しと
写真パネル貸し出しの記事が載っていた。

「広河さんの写真展をやりたい! それも、アフガニスタンやイラク関係の写真展を!」

市民運動は、やりたいと思った者がまず動かなければならない。
それで、事務局の宮西さんに連絡を取り、写真パネルを借り受けた。


そして、2006年1月26日から3日間、アルカスの交流スクエアで『本当のことを知るために』と題した
写真展を開催したのだった。



アフガニスタン関連写真25枚、イラク関連写真30枚の写真展は、来場者の心を打つものとなった。


アフガニスタンの子どもの写真の前で、涙を流しながら立ちつくしていた女性、
広河さんの資料が欲しいと言ってきた若者。

攻撃する側からの報道が溢れる中で、被害を受けた側、弱い立場の側からの写真は、
やはり見る人に衝撃的を与えるものだった。


…ところで、どなたかカレンダーいりませんか?
プレミアつけずに、定価で販売しますよ。

近現代史 2

2010-10-10 14:31:09 | その他
 9日が「長崎くんち」の最終日だということを、きれいに失念していた。

前回の講座の帰り、長崎の道路は混み合ってバスが高速道路に乗るまで30分を要した。
それに懲りて、今回は電車で長崎まで。

長崎駅に降り立った途端、人、人、人、やたらに人が多い。

かもめ広場も紅白の幕で覆われ、特設ステージが出来ている。横に一時荷物預り所まである。
ああ~そうだ!今日は「くんち」の最終日だった。

こんな日に、「近現代史」講座を設定するなんて、いかにも「岡記念館」らしい。
天邪鬼の私は、俄然嬉しくなる。

さあ、今日の会場である「アマランス」へ。

会場へ行くと、ピースサイクルのⅠさんが「今日は少ないと思うよ。」と言われたが、椅子も机も足りず、会場は一杯になった。

講師は「岡記念館」理事のOさん。



中江兆民を通してみた「明治」というものを話された。

西欧文明の自由・平等・人権に普遍的な価値を見出しながらも、西洋の価値基準で物事を見なかった中江兆民の考えが「明治」の主流になっていたら、日本も違った国になっていたのではと思えた。

しかし、会場からは「理想主義だけでいいのか?当時、力を持たなければ欧米と渡り合えないと考えるのは当然ではなかったのか?」や「後進国を先進国にしていくには独裁主義が効率がいい。だから天皇をうまく使った。」「日本人は集団でどっと動く国民。国より個人という考えの確立が必要では。」などいろいろな意見が出されて、とても面白かった。

一番面白かったのは、天皇家は明治以降「神道」になったと発言された葛西先生のお話。
京都の泉湧寺(せんにゅうじ)には歴代天皇の墓がずらりと並んでいるとか。

来年3月の「スピカまつり」には、私たち「広報させぼを読む会」で葛西先生をお呼びする事にしているので、またまた面白いお話が聞けるのではと、期待が大きくなっている。