家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

講師は増田末知子さん

2015-08-21 08:14:18 | Weblog
認知症にならない老後のためにという内容だった。

決して早すぎない年齢に達した私は真剣に聴く。

だが私よりも高い年齢層の女性が多いにも関わらず真剣さが足りない。

「レーガン元アメリカ大統領は12年間苦しみました。長いんですよ、この病気は」

「この中の130名中40名がなりやすい。ちょうどこの列の人くらいですね。誰がなるのか分かりません」

など先生は少し脅かすような話題を振る。

だがつまらない箇所で笑い思い当たることが出てくると、その都度私語が止まらなくなる。

「明日は我が身でじゃなくて今日の我が身だろ」と大声を出して会場を静まらせたかった。

先生は途中で洋服を着た。

それを見て「裏に着ている」という声がヒソヒソ始まる。

肩パットが肩から上に出ている。

そう。先生はわざと裏に着てみせたのだ。

「こういうことなのです認知症は。他人には分かりますが本人は全く気づかない」

なるほど分かり容易いと思い、また先生の気づかせるやり方に感心した

私の生活の仕方は合格のようだ。

友達が多く 会話や笑いが多く 日記を書き 趣味があり 散歩をし 

などなどどれを取ってもバッチリだ。

おまけに酒も飲む。

グー チョキ パーを使って「どんぐりころころ」を唄う。

まるで養老院か幼稚園。

自分には、まだ少し早い気がした。

「隣同士で誉め合うということをしてもらいます」

と言って「あなたとあなた。そこは、あなたとそちらの方ね」と決めていった。

私は偶然隣りあったおばあさんだった。

「今から1分間褒めてくだい」と号令がかかる。

おばあさんは私の右肩と左腕に手をかけて

「いい男ですね」と言ったあと口ごもってしまった。

交代して私は、おばあさんの指輪 メモする姿勢 友人と来ていること ご主人のお見舞いに毎日行っていることなどを8つ誉めた。

最高は25回誉めたという。

1分間に25回誉めるというと、とにかく全て目に付いたものを誉めるという頭を使わない、つまり真心のないものになるはずだ。

だが当人は喜んでいた。

よほど毎日の生活で誉められることのない人だと気の毒に思えた。

隣のおばあさんは口ごもった後自分のことを話し始めた。

「85歳になり、もうおばあちゃんです」

何と答えるべきか。

実は昨年7月25日の日記に出てくるおばあちゃんと同一人物だった。

タイトル 講師は石亀美夜子さん

http://blog.goo.ne.jp/begonomanagu1324/s/%B9%D6%BB%D5%A4%CF%C0%D0%B5%B5%C8%FE%CC%EB%BB%D2

この時も、このおばあちゃんと偶然隣り合い誉め合った。

また今回も手を握られた。

これが赤い糸でないことを切に願う。