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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(39)(遠きは近き道理、近きは遠き道理)

2010年11月07日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(39)(遠きは近き道理、近きは遠き道理)

「遠きは近き道理、
 近きは遠き道理なり。
 灯台もと暗しとて
 仏法を不断聴聞申す身は、
 御用を厚く蒙りて、
 「いつものこと」と思い、
 法義におろそかなり。
 遠く候人は、仏法を聞きたく、
 大切に求むる心あるなり。
 仏法は大切に求むるより聞くものなり」
  (御一代記聞書)    

「遠きは近き道理、近きは遠き道理なり」とは、
遠いということは近いということであり、
近いことは遠いということである。

これはちょっと変に感ずることだが、
昔からあることわざで
蓮如上人は仏法を教えてゆかれたのである。

灯台とは、昔の室内照明具で、
「灯台もと暗し」とは、
灯台はすぐ下が暗いことから、
手近なことがかえって分からないたとえだ。

「仏法を不断聴聞申す身」というのは、
いつも聴聞をしているという意味で、
絶え間なく聴聞している人という意味。
 
そのようにいつも聴聞している人は、
「御用を厚く蒙りて」ということで、
如来聖人のご恩を厚く蒙って、
聴聞を「いつものこと」と思ってしまう、
というのである。

「いつものこと」とか、
「またあの話か」といって
法義におろそかになり、
仏法を軽くみてしまうという。
 
いつも聴聞している人をみれば、
あの人は信心決定するだろうと思っても、
心の中は、

「いつものこと」
「またあの話か」

と仏法を軽んじたのでは
それは信心決定からは遠い人である。

だから、「近きは遠き道理なり」で、
そのように仏法を軽んじていれば
信仰は深まらないということである。

「遠く候人は、仏法を聞きたく、
 大切に求むる心あるなり」

ということは、遠くにいてご法話に来る人は、
真剣に求める心があるということ。
近くにいる人は楽に行くことができるが
遠くから来る人は大変だ。
 
近くにいる人は、

「遠くから来られる、
 あの人は金もあり、
 暇もあるのだろう」

と言われるかもしれないが、
金があればあるほど、
欲が出る。
欲はあればあるほど、まだ欲しい、
もっと欲しいという心だから、
その欲をおさえて
ご法話に来ることは大変である。

近くにいる人と同じ心で
聞こうと思っても、
とても聞けない。

だから、

「仏法を聞きたく、大切に求むる心あるなり」

で、仏法を聞きたく、
大切に求めようとするのである。

仏法は心がけが大事なのである。
そのほかに蓮如上人は、

「足で聞け」

とも仰有っている。
足で聞けというのは、
足で歩いて法話の場所に
体を運んで聞けということである。

しかし、いくら足を運んだからといって、
家にいても用事がないし、
心配することがない、
だからご法話に来るようでは、
近くにいる人と同じで楽に聞いてしまい、
遠くにいて遠き者と同じで
真剣に聞法しているとはいえない。
 
あくまでも仏法は心がけが
大事なのである。
仏法を大切に思って
聞かなければならない。

どうしたら仏法が大切に感じられるか、
重く感じられるかと言うと、
まず後生の一大事のあることを
知らなければならない。
 
後生の一大事というのは、
私たちの死んだ後生に
無間地獄に堕ちて苦しみ続けて
ゆかなければならない一大事がある
ということだ。
 
私たちに一番大事なものは
私たちの命である。

もし病気になって、医者から、

「一千万円なければ治すことができません。
 一千万円あれば完全に治るのですが……」

と言われたとき、

「一千万円とは高すぎます。
 それならいいです」

と言っておれるだろうか。
一千万円借金してでも治す。
家の主人が倒れたときなど、
奥さんは必死に治そうとする。
 
体のことを大切に重く感じているからこそ、
病気を治すのである。
その体以上に大事なのが後生の一大事。

後生の一大事が分かってくればくるほど、
仏法の大切さが分かる。
また仏法をよく聞けば聞くほど、
後生の一大事が分かってくる。
 
ではどのくらい重く感じればよいのか。
龍樹菩薩は、

「仏道を求めることは、
 大宇宙を持ち上げるよりも重い」

と仰有っておられる。
地球を持ち上げるぐらいではなく、
大宇宙を持ち上げるくらい
重いものであると仰有った。
 
後生の一大事を知らされて、
初めて仏法は始まる。
 
そして、求めていって、
後生の一大事を解決したと
いうところで仏法は終わる。

仏法は後生の一大事で始まり
後生の一大事の解決で終わる。
後生の一大事が分かれば
仏法が重くなる。
 
仏法は心がけ一つが大切なのである。
仏法を重く考えて求めなさいよとの
蓮如上人のご教導である。




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