人間の実相を語る歴史人(蓮如上人 貪欲なへの御教導)
ある日、「金持ちになりたい」
という男が山科本願寺を訪れた。
山科に本願寺が
建立された頃のことである。
摂津国に、郡家の主計という
非常に貧しい男がいた。
ある時、京都東山の清水寺の
観世音堂に七日間参籠して、
「大金持ちになって、
幸福になれるように」
と祈願した。
すると、ある夜の夢に、
観音菩薩が現れて、
こう告げたのである。
「汝、福徳をえんと思わば、
山科に至るべし。
彼処に尊き聖あり。
必ず福を与うべし」
夢さめて、主計は大いに喜び、
直ちに山科へ向かった。地元の人に、
「この地に、尊い聖が
おられるはずですが、
お住まいは、どちらでしょうか」
と尋ねた。すると、人々は皆、
「それは、蓮如上人のことでしょう」
と教えてくれた。
主計は、山科本願寺へ行き、
上人の御前で、
臆面もなく申し上げた。
「私は金持ちになりたいのです。
山科へ行けば必ず幸福になれると、
夢のお告げがありました。
どうか私に、大金持ちになる
方法を教えてください」
蓮如上人は、
この的外れの来訪者の言葉を、
にこにこと聞いておられた。
心得違いを叱られるのではなく、
こう諭された。
「そうか、分かった。
ならば私のもとへ五十日間参詣し、
私が説く仏法をよく聞きなさい。
聴聞すれば、必ずお前の願いが
かなうだろう」
「上人のたまわく。
われ福徳を与べし、
我もとへ五十日参詣して、
わがすすむる所の法を
よく聞べしと」
(蓮如上人縁起)
主計の喜びは大変なものだった。
翌日から、熱心に聴聞を始めたのである。
ひたすら聞法に励んでいたある日、
ご説法中に、主計が声を
あげて泣き出した。
「私は間違っていました。
どんな大金持ちになっても、
死んで後生へ旅立つときには、
少しも持っていけません。
夢か幻のような、
この世の幸福ばかり
追い求めていました。
そんな我らを哀れに思し召され、
この世も未来も、
最高無上の幸福に救うと
誓われた阿弥陀仏の
ましますことを、
まったく知りませんでした。
なんと浅ましい自分
だったのでしょうか」
と、涙ながらに懺悔するのであった。
蓮如上人は、
「五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり」
(高僧和讃)
という親鸞聖人のご和讃を
読み上げられ、信心獲得とは、
大宇宙の大功徳のおさまっている
南無阿弥陀仏が我がものに
なったことだと、懇ろに説かれた。
億万長者などとは比較にならぬ
大安心、大満足の幸福に
救われるのである。
主計は、蓮如上人のお弟子となった。
阿弥陀仏の本願を喜び、
常に念仏の絶える間が
なかったという。
「津国郡家の主計と申す人なり。
暇なく念仏申す間、
ひげを剃るとき切らぬことなし、
忘れて念仏申すなり」
(御一代記聞書62)
何をしていても休むことなく
念仏を称えていたので、
髭を剃るとき、
誤って顔を切ってばかりいた。
髭を剃っていることも
忘れて念仏を称える幸福者に
なったのであった。
後に、摂津国郡家(大阪府高槻市郡家)に
妙円寺を開いている。
ある日、「金持ちになりたい」
という男が山科本願寺を訪れた。
山科に本願寺が
建立された頃のことである。
摂津国に、郡家の主計という
非常に貧しい男がいた。
ある時、京都東山の清水寺の
観世音堂に七日間参籠して、
「大金持ちになって、
幸福になれるように」
と祈願した。
すると、ある夜の夢に、
観音菩薩が現れて、
こう告げたのである。
「汝、福徳をえんと思わば、
山科に至るべし。
彼処に尊き聖あり。
必ず福を与うべし」
夢さめて、主計は大いに喜び、
直ちに山科へ向かった。地元の人に、
「この地に、尊い聖が
おられるはずですが、
お住まいは、どちらでしょうか」
と尋ねた。すると、人々は皆、
「それは、蓮如上人のことでしょう」
と教えてくれた。
主計は、山科本願寺へ行き、
上人の御前で、
臆面もなく申し上げた。
「私は金持ちになりたいのです。
山科へ行けば必ず幸福になれると、
夢のお告げがありました。
どうか私に、大金持ちになる
方法を教えてください」
蓮如上人は、
この的外れの来訪者の言葉を、
にこにこと聞いておられた。
心得違いを叱られるのではなく、
こう諭された。
「そうか、分かった。
ならば私のもとへ五十日間参詣し、
私が説く仏法をよく聞きなさい。
聴聞すれば、必ずお前の願いが
かなうだろう」
「上人のたまわく。
われ福徳を与べし、
我もとへ五十日参詣して、
わがすすむる所の法を
よく聞べしと」
(蓮如上人縁起)
主計の喜びは大変なものだった。
翌日から、熱心に聴聞を始めたのである。
ひたすら聞法に励んでいたある日、
ご説法中に、主計が声を
あげて泣き出した。
「私は間違っていました。
どんな大金持ちになっても、
死んで後生へ旅立つときには、
少しも持っていけません。
夢か幻のような、
この世の幸福ばかり
追い求めていました。
そんな我らを哀れに思し召され、
この世も未来も、
最高無上の幸福に救うと
誓われた阿弥陀仏の
ましますことを、
まったく知りませんでした。
なんと浅ましい自分
だったのでしょうか」
と、涙ながらに懺悔するのであった。
蓮如上人は、
「五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり」
(高僧和讃)
という親鸞聖人のご和讃を
読み上げられ、信心獲得とは、
大宇宙の大功徳のおさまっている
南無阿弥陀仏が我がものに
なったことだと、懇ろに説かれた。
億万長者などとは比較にならぬ
大安心、大満足の幸福に
救われるのである。
主計は、蓮如上人のお弟子となった。
阿弥陀仏の本願を喜び、
常に念仏の絶える間が
なかったという。
「津国郡家の主計と申す人なり。
暇なく念仏申す間、
ひげを剃るとき切らぬことなし、
忘れて念仏申すなり」
(御一代記聞書62)
何をしていても休むことなく
念仏を称えていたので、
髭を剃るとき、
誤って顔を切ってばかりいた。
髭を剃っていることも
忘れて念仏を称える幸福者に
なったのであった。
後に、摂津国郡家(大阪府高槻市郡家)に
妙円寺を開いている。