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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(24)(仏光寺派・経豪の転向)

2010年10月23日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(24)(仏光寺派・経豪の転向)

蓮如上人、ご幼少の頃の本願寺は、
京都東山に小庵を構えるにすぎなかった。

それに反し、仏光寺派、木辺派、
高田派などの真宗他派は、
数の上では、ずっと優勢だった。
中でも、最大勢力を
誇っていたのが仏光寺だった。

しかし、山科建立を境に、
真宗の流れは、大きく転換していった。

山科本願寺へは、全国各地から参詣者が集まった。

「その数幾千万ともしれず」

と、『御文章』に記されています。
山科の繁栄は、真宗他派の本山に、
衝撃を与えずにおかなかった。
なぜなら、門徒が次々に、
蓮如上人を慕って離脱していったからだ。

親鸞聖人の本当のみ教えを
知らされた人々が、
熱烈な伝道を展開した結果だろう。

仏光寺にしてみれば、門徒を奪い取ってゆく
本願寺が憎いに決まっている。
しかし、十四代法主・経豪は、自ら、
蓮如上人のご法話を聴聞するようになっていた。

最初は、

「なぜ、門徒が仏光寺から離れるのか」

と確かめるつもりであった。
しかし、聞法を重ねるにつれ、
蓮如上人の偉大さに心服していった。

「私だけでなく、門徒一人一人に
 後生の一大事がある。
 自分は今、法主として何をなすべきか」

経豪の心の中には、一大決心が
固まっていた。転向だ。
自分だけではなく、
一人でも多くの仏光寺門徒を連れて……。

当時、仏光寺には、
四十八人の幹部がいた。
それぞれが、多くの末寺、門徒を
統括しているブロック長である。
経豪は、彼らを集めて諄々と説いた。

「私は、法主の座を捨て、
 一聞法者として蓮如上人に教えを請う。
 後生の一大事の前に、
 見えや外聞など問題ではない」

この時、実に、四十八人中、
四十二人の幹部が経豪に
従ったという。
仏光寺門徒のほとんどが
蓮如上人の元へ帰属した。

真宗統一へのうねりは、ますます高まってゆく。





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