歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

死の名場面(27)-6(孔子 論語)

2010年05月17日 | 死の名場面
死の名場面(27)-6(孔子 論語)

「六十にして耳順う」
天の声に耳を傾けるように、
孔子は諸国放浪にピリオドを打ち、
祖国魯で弟子達の教育に
すべてを注いでいくことになる。

「七十にして心の欲するところに
 従って矩(諸々の掟)を越えず。」

70になり、心のまま自由に生きても
間違いを犯さなくなった。

「天を怨みず、人をとがめず。
 ただひたすらに努力して、高みにのぼる。
 我を知るものはそれ天か。」

天だけは自分のことを見ていてくれるのだ。
それが孔子がたどり着いた境地だった。
そして彼が人間の生きる守るべき道
として目指した高み。

それが「仁」であった。
「「仁」とは人を愛すること…。」

それぞれが自らのいる位置、
役割を自覚し、そこで「仁」、
人間として人を愛すればいいのだ。
「仁(ジン)」は「人(ジン)」に通じる。
「仁」とは人間らしく人を愛し、思いやること。

七十四歳となった孔子は、
突然高弟の一人、子貢に謂水という川が
みたいと言い出したという。

「すべてのものはこのように流れていく。
 夜もなく、昼もなく。」

紀元前479年、孔子は運命という大河に
身をゆだねるように、
子貢に看取られ、静かに息を引き取った。

孔子が息を引き取った場所には
孔府という村が作られた。

その中で、弟子達によって孔子の教えは
「論語」の一冊にまとめられることになる。

論語とは、読んで字の如く
「論じ語る」、
つまり孔子と、
弟子達や要人達との間に
交された対話録である。

孔子晩年には、弟子の数
三千人とも五千人とも
いわれている。

弟子達は、孔子から聞いたこと、
教わったことをそれぞれが
断片的に記録していた。
孔子が亡くなってから
しばらくして弟子たちは、
師の語ったことを
忘れないうちにまとめておこうと
断片的に記録したものを
皆で持ち寄った。
そして出来上がったのが
「論語」である。

だから、全二十篇から成っているが、
篇名も出だしの二文字を
無造作に冠したものである。
中味とは何の関係もない。
所謂、雑纂である。

儒学は、一般に
「修己治人の学」と
いわれるようになるのである。

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