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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(3)(法主就任に貢献した叔父如乗)

2010年09月28日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(3)(法主就任に貢献した叔父如乗)

1457年6月18日に父存如が没し、
継母如円とその息子応玄との
後継者争いにおいて、
叔父如乗の強力な後押しで
蓮如上人は43歳にして
本願寺八代目をを継がれた。

蓮如6歳のときに母上が
本願寺を去り、
入れ替わるように存如は
正室如円を迎えて以後、
蓮如上人は存如の長子とは言え、
何十年も庶子の扱いを受けていた。

当時ただでさえ貧しかった
本願寺の部屋住みとして
貧窮の中にありながら、
蓮如上人は親鸞聖人のみ教えを
真摯に学ばれるとともに、
そのころ隆盛していた真宗他派に
比べて衰微としか言いようのない
本願寺をなんとかしなければと、
15歳のとき決心したと
述べておられる。

蓮如上人の本願寺法主就任を
強く推した如乗は、
存如の実弟で蓮如上人の叔父ではある。
しかし、蓮如上人より3歳年上でしかない。

如乗が加賀国二俣の地に
本泉寺を建立したのが、
如乗31歳、蓮如上人28歳の時だから、
それ以前の2人は叔父甥の間柄を越えて、
兄弟のような付き合いをしていた。

そんな中で如乗は、
蓮如上人が親鸞聖人のみ教え振興の決心や
教学研鑚の様子から、
蓮如上人しか真宗再興ができる人はいないと
確信していた。

蓮如上人は如乗の恩を忘れず、
彼の自坊・二俣本泉寺に二男の蓮乗を、
如乗の娘婿として送り出している。

蓮如上人の本願寺法主就任直後、
破れた継母如円と弟応玄は
本願寺にあった経典などの
聖教類ほとんどを持ち出し、
加賀国大杉谷に逃げて
いってしまった。

継母如円はしばらくして前非を悔い、
1460年10月に死去、
弟応玄もその後、
蓮如上人の下に帰参した。

蓮如上人は真宗本願寺派の
振興に乗り出してゆかれた。

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