最悪の政治家⑩-6(恐怖の大粛清)
スターリンの独裁はついに
恐怖の大粛清への繋がってゆく。
第一次五カ年計画が終わる頃、
農民の強制集団化で富農層をほぼ撲滅した。
しかし、スターリン独裁の陰では、
トロツキー、カーメネフ、ジノビエフと
言った反対勢力がまだ幅をきかせていたし、
党の幹部の中には、粗暴なスターリンを嫌って
排除しようという動きもあった。
ここでスターリンは再び狡猾な手段に出る。
かつて、党から、追放したはずの
カーメネフ、ジノビエフらを再び党員に迎え、
要職につけたのである。
しかし、これは、さらなる大嵐が
来る前の凪(なぎ)のようなものだった。
キーロフの暗殺が大粛清のきっかけとなった。
キーロフは、共産党の中央委員でもあり、
人気があった。
実際、スターリンの後継者と見なす党員がほとんどだった。
スターリンは、表向きは、
キーロフを同志として信頼しているように
振る舞っていたが、本心は、
彼の存在が我慢ならなかった。
結局、キーロフの暗殺は、
カーメネフ、ジノビエフらの犯行ということになり、
彼らは、即刻、銃殺刑にされた。
しかし、これはでっち上げで、
キーロフの暗殺を仕組んだのは、
スターリンの仕業に他ならない。
後は、さらなる大粛清を行い、
自らの独裁を揺るぎないものにして
ゆくことであった。
粛清の死の嵐は、たちまちソ連全土に波及していき、
37年には空前絶後の規模で行われた。
スターリンの独裁はついに
恐怖の大粛清への繋がってゆく。
第一次五カ年計画が終わる頃、
農民の強制集団化で富農層をほぼ撲滅した。
しかし、スターリン独裁の陰では、
トロツキー、カーメネフ、ジノビエフと
言った反対勢力がまだ幅をきかせていたし、
党の幹部の中には、粗暴なスターリンを嫌って
排除しようという動きもあった。
ここでスターリンは再び狡猾な手段に出る。
かつて、党から、追放したはずの
カーメネフ、ジノビエフらを再び党員に迎え、
要職につけたのである。
しかし、これは、さらなる大嵐が
来る前の凪(なぎ)のようなものだった。
キーロフの暗殺が大粛清のきっかけとなった。
キーロフは、共産党の中央委員でもあり、
人気があった。
実際、スターリンの後継者と見なす党員がほとんどだった。
スターリンは、表向きは、
キーロフを同志として信頼しているように
振る舞っていたが、本心は、
彼の存在が我慢ならなかった。
結局、キーロフの暗殺は、
カーメネフ、ジノビエフらの犯行ということになり、
彼らは、即刻、銃殺刑にされた。
しかし、これはでっち上げで、
キーロフの暗殺を仕組んだのは、
スターリンの仕業に他ならない。
後は、さらなる大粛清を行い、
自らの独裁を揺るぎないものにして
ゆくことであった。
粛清の死の嵐は、たちまちソ連全土に波及していき、
37年には空前絶後の規模で行われた。