一日一訓(1日 一緒に腹を立てないようにしよう)
「一緒に腹を立てないようにしよう」
怒りは恐ろしい。
中国の故事に
「断腸の思い」というのがあるが、
その由来はあまりにも
聞くに辛い話である。
晋の武将桓温(かんおん)が
舟で三峡を渡ったとき、
従者が猿の子を
捕らえて舟にのせた。
母猿が悲しい泣き声を
たてながら岸沿いに
どこまでも追ってきて、
ついに舟に跳び移ることが
できたが悶死した。
その腹をさいてみると
腸がずたずたで
あったという。
桓温は、これを聞くと怒って、
小猿を捕らえた者を
罷免してしまった。
この出来事から、
悲しい思い=腸が裂ける(断腸)
と表現し現在に至っている。
子供を取られた怒りは
腸までずたずたにして
いまうのだから恐ろしい。
スイスの哲学者・アボレー博士は
怒らないことで有名である。
十年間も仕えているお手伝いさんが、
怒った顔を見たことがなかった。
「おまえがもし、
彼を怒らせたら
褒美の金をやろう」
悪戯好きな博士の友人が、
彼女に試させる。
いろいろ考えたお手伝いさんは、
キチンと整えてあるベッドを
喜ぶ博士であったから、
わざとべッドの整理を
しないでおいた。
「昨夜は、ベッドが
整えてなかったようだね」
叱られるかなあと思っていると、
翌朝ニコニコしている。
一度ぐらいではダメかと、
次の夜もしなかった。
「昨夜も整理がしてなかったが、
多分忙しかったのだろう。
今夜はタノムよ」
女はしかし、その晩も無視した。
三度目の朝、彼女は
博士の部屋に呼ばれた。
「おまえは昨夜もベッドを
整えてくれなかったが、
よほどワケがあってのことだろう。
よいよい、もう慣れたから、
これから私がやることにしよう」
大目玉を覚悟していた女は
たまりかねて、
博士の膝に泣き伏し、
ワケを話して深く詫びた。
相変わらず博士は
微笑していたという。
なんと奥ゆかしい忍辱だろう。
怒りは一切の善根を
焼き払う猛炎である。
そして、怒りは一緒に
腹をたてることが恐ろしいのだ。
ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲よくやっているのか
不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず
困っております。
お宅はみなさん
仲よくやっておられますが、
なにか秘訣でもあるのでしょうか。
一家和楽の方法があったら、
どうか教えていただきたい」
「それはそれは、
別にこれといった
秘訣などございません。
ただお宅さまは、
善人さまばかりの
お集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりが
そろっていますので、
ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、
A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」
と、言おうとしたとき、
B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも
割ったようである。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗をこわしてしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが
悪かったのではありません。
先ほどから始末しようしようと
思いながら横着して、
そんなところに置いた私が
悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
そこでB家の主人は考えた。
もし、同じことが我が家で
起きたらどうなるか。
「誰だ、こんなところに
ものを置いてるのは。
婆さん、あんたか」
と、怒鳴り声をあげる嫁。
それに頭にきた姑が
「ものがあれば、皆転ぶのか。
そそっかしいお前が
悪いのじゃ。
まあ、その皿、私の買った
ものじゃないかね。
弁償してもらわにゃ」
と憎憎しい言い方で応戦する。
こうなれば、誰も止めに
入ることはできない。
些細なことから、
「口の減らぬクソ婆。
殺してやろか」
「殺せるものなら
殺してみろ。
化けて出てきてやる」
と、つかみ合いのケンカに
発展してゆく。
どちらも
「私は悪くない。
悪いのはあいつだ」
という思いが怒りとなり、
それも両人が一緒に
腹をたてるから大喧嘩に
なってくるのである。
A家の主人は
「なるほど、私の家は善人ばかりで
ケンカになるのか。
この家の人たちは、
みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由がわかった」
と感心して帰ったという。
「一緒に腹を立てないようにしよう」
怒りは恐ろしい。
中国の故事に
「断腸の思い」というのがあるが、
その由来はあまりにも
聞くに辛い話である。
晋の武将桓温(かんおん)が
舟で三峡を渡ったとき、
従者が猿の子を
捕らえて舟にのせた。
母猿が悲しい泣き声を
たてながら岸沿いに
どこまでも追ってきて、
ついに舟に跳び移ることが
できたが悶死した。
その腹をさいてみると
腸がずたずたで
あったという。
桓温は、これを聞くと怒って、
小猿を捕らえた者を
罷免してしまった。
この出来事から、
悲しい思い=腸が裂ける(断腸)
と表現し現在に至っている。
子供を取られた怒りは
腸までずたずたにして
いまうのだから恐ろしい。
スイスの哲学者・アボレー博士は
怒らないことで有名である。
十年間も仕えているお手伝いさんが、
怒った顔を見たことがなかった。
「おまえがもし、
彼を怒らせたら
褒美の金をやろう」
悪戯好きな博士の友人が、
彼女に試させる。
いろいろ考えたお手伝いさんは、
キチンと整えてあるベッドを
喜ぶ博士であったから、
わざとべッドの整理を
しないでおいた。
「昨夜は、ベッドが
整えてなかったようだね」
叱られるかなあと思っていると、
翌朝ニコニコしている。
一度ぐらいではダメかと、
次の夜もしなかった。
「昨夜も整理がしてなかったが、
多分忙しかったのだろう。
今夜はタノムよ」
女はしかし、その晩も無視した。
三度目の朝、彼女は
博士の部屋に呼ばれた。
「おまえは昨夜もベッドを
整えてくれなかったが、
よほどワケがあってのことだろう。
よいよい、もう慣れたから、
これから私がやることにしよう」
大目玉を覚悟していた女は
たまりかねて、
博士の膝に泣き伏し、
ワケを話して深く詫びた。
相変わらず博士は
微笑していたという。
なんと奥ゆかしい忍辱だろう。
怒りは一切の善根を
焼き払う猛炎である。
そして、怒りは一緒に
腹をたてることが恐ろしいのだ。
ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲よくやっているのか
不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず
困っております。
お宅はみなさん
仲よくやっておられますが、
なにか秘訣でもあるのでしょうか。
一家和楽の方法があったら、
どうか教えていただきたい」
「それはそれは、
別にこれといった
秘訣などございません。
ただお宅さまは、
善人さまばかりの
お集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりが
そろっていますので、
ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、
A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」
と、言おうとしたとき、
B家の奥で大きな音がした。
どうも皿かお茶碗でも
割ったようである。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗をこわしてしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが
悪かったのではありません。
先ほどから始末しようしようと
思いながら横着して、
そんなところに置いた私が
悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
そこでB家の主人は考えた。
もし、同じことが我が家で
起きたらどうなるか。
「誰だ、こんなところに
ものを置いてるのは。
婆さん、あんたか」
と、怒鳴り声をあげる嫁。
それに頭にきた姑が
「ものがあれば、皆転ぶのか。
そそっかしいお前が
悪いのじゃ。
まあ、その皿、私の買った
ものじゃないかね。
弁償してもらわにゃ」
と憎憎しい言い方で応戦する。
こうなれば、誰も止めに
入ることはできない。
些細なことから、
「口の減らぬクソ婆。
殺してやろか」
「殺せるものなら
殺してみろ。
化けて出てきてやる」
と、つかみ合いのケンカに
発展してゆく。
どちらも
「私は悪くない。
悪いのはあいつだ」
という思いが怒りとなり、
それも両人が一緒に
腹をたてるから大喧嘩に
なってくるのである。
A家の主人は
「なるほど、私の家は善人ばかりで
ケンカになるのか。
この家の人たちは、
みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由がわかった」
と感心して帰ったという。