満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

子供のためのイスラーム礼儀作法その4-2

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم



子供のためのイスラームの礼儀作法(4)サラート


準備はできましたか?
それでは実際にサラートしてみましょう。

①キブラの方角を向き立った状態で「○○の義務のサラートをします。(○の部分にはファジュル・ズフルなど行うサラートの名前を入れます)」というニーヤ(意図)を心の中でしながら、両手を上げ、最低限自分自身に聞こえる声で「アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり、という意味)」と言います。両手は親指を両耳に平行させ、手のひらをキブラの方へ向けます。

②両手を胸の少し下におきます。このとき左手の上に右手を置き、右手の指で左手首をつかみます。そして目線はタシャッフドの時以外はサジダする場所に置きます。

③「スブハーナカッラーフンマ ワ ビ・ハムディカ、ワ タバーラカ・スムカ ワ タアーラー ジャッドゥカ、ワ ラー イラーハ ガイルカ」と口の中で唱えます。この言葉の意味は、「アッラーよ、あなたに賞賛と讃美あれ。あなたの御名は祝福され、あなたの偉大さは高貴です。あなたの他に神はおりません。」です。

④「アウーズ ビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム」と唱えます。この意味は「呪うべき悪魔から、アッラーに助けを求めます。」です。

⑤クルアーンのアルファーティハ章(第1章)を唱えます。その後「アーミーン(アッラーよ、この願いに応えてください。)」と言います。

⑥その他のクルアーンの章を読みます。

⑦「アッラーフ アクバル」と言って、両手を①と同様に揚げて、腰を直角に曲げた姿勢になります。両手は指をひろげ両膝を掴むようにし、背、膝は曲げないようにします。この状態で「スブハーナ ラッビヤルアズィーム(偉大なる私の主を讃えます、という意味)」と3回、口の中で唱えます。

⑧「サミアッラーフ リマン ハミダ(アッラーよ、彼を賛美する者の声をお聞き下さい、という意味)」と言い両手を上げながら上体をもとに戻し、次に手を下ろしながら「ラッバナ- ワラカルハムド(アッラーよ、彼を賛美する者の声をお聞き下さい、という意味)」と言います。

⑨「アッラーフ アクバル」と言ってサジダを行います。サジダとは額、鼻、両手、両膝、両足をきちんと床につけた平伏の姿勢のことです。この時、両肘は床に着かないようにします。この状態で「スブハーナ ラッビヤルアアラー(崇高な私の主に称えあれ、という意味)」と3回、口の中で唱えます。

⑩「アッラーフ アクバル」と言って、上体を起こします。両手は両腿の上に置きます。

⑪「アッラーフ アクバル」と言って、2回目のサジダを行います(⑨参照)。

ここまでで1ラクアしたことになります。

その後「アッラーフ アクバル」と言って立ち上がり、両手を上げ⑤の状態に戻り2ラクア目を始めます。

2ラクア目が終わったら(つまり2ラクア目の⑪が終わった状態)⑩と同様に「アッラーフ アクバル」と言って上体を起こします。そしてタシャッフドを行います。

「タシャッフド」とは「アッタヒーヤートゥ リッラーヒ、ワッサラワートゥ、ワッタイイバートゥ。アッサラーム アライカ アイユハンナビーユ ワ ラハマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ。アッサラーム アライナー ワ アラー イバーディッラーヒッサーリヒーン。アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ(*この「イッラッラーフ」のところで右手の人差し指を前方に突き出します。) ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ。」と口の中で唱えることです。この言葉の意味は、「全ての賞賛と祈りとよき行いはアッラーに(帰せられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に神は無いことを証言します。私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。」です。

3ラクア以上あるサラートの時は、タシャッフド後「アッラーフ アクバル」と言って立ち上がり、両手を上げ⑤の状態に戻り3ラクア目を始めます。タシャッフドを行うのは、2ラクア目と4ラクア目の終わりです。マグリブのサラートのように3ラクアで終わるサラートの時には3ラクア目の後にやはりタシャッフドをします。

それぞれのサラートの最後のラクアを終わりまでして、タシャッフドも行ったならば、座ったままで次の言葉を口の中で唱えます。

「アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、 カマー サッライタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ インナカ ハミードゥン マジード、アッラーフンマ バーリク アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、カマー バーラクタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ、 インナカ ハミードゥン マジード」

意味は、「アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族に至福をお与えになったように、ムハンマドとムハンマドの一族にも至福をお与えて下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族を祝福されたように、ムハンマドとムハンマドの一族を祝福して下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。」です。この言葉は「アッサラート アランナビー(預言者への祝福祈願)」と呼ばれます。

この後に顔を右に向けて、「アッサラームアライクム ワ ラハマトゥッラー(あなた方の上に平安とアッラーのお慈悲がありますように)」と言い、次に左に顔を向けて同様に、「アッサラームアライクム ワ ラハマトゥッラー」と言ってサラートを終えたことになります。

文章を読んだだけでは分かりにくいと思います。サラートの正しいやり方を知っている身近な人に、言葉・動作ともに、繰り返し確認してもらいましょう。今までにサラートをしたことがない人は毎回、毎日少しずつ言葉と動作を覚えていきましょう。物事の最初には困難がつきものですが、サラートは創造主アッラーが私たちに命じた義務です。アッラーのご満悦を願って頑張れば頑張るほど限りない報奨を与えてくださります。

付け足し:
親が子供にサラートを教える時、7歳未満の子供に関しては言葉による直接的な説明ではなく、親がサラートをする姿を実際に見せるという教え方が最善であるということです。特に、小さい子にとって、親が周りのものに目を向けずアッラーを畏れながら集中して立ったり座ったりサジダしながらサラートをする姿は影響が大きいのです。それを毎日見続けることによって子供の心の中に至高のアッラーの偉大さやその地位が植えつけられ、またそれと同時にサラートのそれぞれの動作をより容易く覚えていくことができます。小さな子供は親の真似をしたがるものです。サラートを子供の前で毎日見せ続けることによって子供にとって「サラートをする人の姿」はごく日常的なことになり、実際に子供がサラートをしなければならない年齢になった時にすんなりと受け入れることができるのです。7歳未満の子供にはサラートを「命じない」これがスンナです。その年齢の子供たちは一般にじっとしていることが苦手で、サラートのような決められた動きを「命令されること」は子供にサラートを嫌いにさせる原因にもなります。ただし毎日親がサラートをする姿を子供に見せ続ける事はとても重要です。

子供が7歳になったら子供にサラートを教えるのは親の義務です。「教えた方がいい」のではなく、「義務」であることに注意してください。7歳以上~10歳未満の子供にはタハーラの状態で(つまりウドゥーがある状態で)、そしてサラートの時に覆うべきアウラの部分を覆った状態でサラートさせるようにします。これはそのような状態に慣れるためです。7歳未満の子供がもしウドゥーのない状態でサラートの真似をしても、それに対して厳しい言葉を言ったりしてはいけません。そもそも7歳未満の子供はそのようなことをアッラーから課されておらずむしろ厳しい言葉はその子がサラートを嫌いになる原因となります。7歳近くなったら子供に「7歳になったらサラートしなければならない。」ことを予告し、7歳になり最初の義務のサラートをしたら友達・兄弟たちを集め小さなお祝い会を開き、この機会を祝ってもよいでしょう。また子供がサラートの時間に気をつけるように腕時計(子供に相応しい)をプレゼントしても良いでしょう。7歳以降は常に親が注意して子供にサラートのことを思い出させるようにします。子供ですから何度もサラートのことを忘れて遊びに夢中になったりすることもあるでしょうが、親は注意することにウンザリしてはいけません。また時々はいつもサラートをきちんと行っていることに対してプレゼント(物質的なものでもその他のことでも)をしても構いませんが、プレゼントを貰い慣れると今度は何かを貰わないとサラートをしないということになり兼ねませんから注意しましょう。また時々クルアーンやハディースを引用してサラートの徳やその重要性を話して聞かせることも重要です。

子供が10歳を過ぎて義務のサラートを怠ったら、親はまず彼に礼拝が義務であること、その重要性などを説き、言っても聞かない場合は厳しい口調で叱り、また子供の好きな物事を禁じたりします。また最終的な手段として怪我をしない程度に打つことも許されています。しかしこれは子供が小さいうちから段階を経てきちんと親が礼サラートに関して子供を教育してきた場合に限ります。親自身が子供への教育を怠ってきた場合、このように厳しい処置をとることは許されません。それまでに教育を怠ってきた親は最初から段階を経て改めて教えていかねばなりません。

また子供にサラートを教える際に、子供の心をマスジド(モスク)に結びつけることも大切です。できるだけ集団礼拝にも連れて行き、ムスリム同胞との集まりや対人関係や集団におけるイスラームにおける様々な礼儀作法にも慣れさせるようにします。この際、最初にマスジドに連れて行く前から前もって、マスジドがどういう場所なのか、中で何が行われているのかなど子供がマスジドの中で見る光景に驚かないようにするのも重要です。特に最初に連れて行く時には子供がマスジドを嫌いになるようないかなるもの(例えば初めて行ったマスジドで大人に冷たくされたり怒られたりすれば子供はマスジドを嫌いになり、行きたがらなくなるでしょう)も排除し、また周りの協力(優しい言葉をかけてもらう、温かく迎えてもらうなど)も得られるよう努力しましょう。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『フィクフッスンナ 1巻』サイイド・サービク著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第1巻』日本ムスリム協会


アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その4-1

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(4)サラート



ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちの今回の勉強は「サラート(礼拝)」についてです。
サラートというアラビア語には「良いことを祈願すること」という意味があります。
私たちムスリムが毎日5回行うサラートにはたくさんの祈りの言葉が含まれています。
ですからこの動作がサラートと名づけられたのです。

「サラート」は宗教の柱です。
サラートをする人は宗教を確立させ、サラートをしない者は宗教を失ったとも言われるくらいの大切な行為です。

なぜサラートが大切なのでしょうか?

サラートによって私たちは本来の自分たちの立場に気付くことができます。

つまり、私たち人間は至高のアッラーのしもべであり、彼に支配されている存在だということです。
勉強・遊び・友達や家族との係わり合いなどの現世における様々なことがらが、この「私たちがアッラーのしもべである」ということを忘れさせ、私たちと来世との関係を忘れさせた時、サラートは、わたしたちがアッラーのしもべであり、支配されている存在だということを思い出させてくれます。

サラートは、私たちの心の中に、「私たちを援助し、恵みを与えてくださるお方はアッラー以外にいない。」ということをしっかりと植え付けてくれます。
表向き、私たちは、現世において多くの執り成しや、原因を目にすることができますが、実はそれらすべて、アッラーが私たちのために用意してくださったものなのです。

私たちはこの真実を忘れたり、現世の「目に見える原因」だけに気をとられてしまうことがあります。
そのような時、サラートは私たちに次のようなことを思い出させてくれます。

★ 原因をおつくりになられるのはアッラーだけであること。
★ アッラーこそ、私たちの援助者で恵みをあたえてくださるお方であるということ。
★ アッラーこそ、役に立たせ害を成すお方であること。
★ アッラーこそ、生かせ、死なすおかたであること。

それから私たちは、サラートを通して、犯してしまった罪のタウバ(悔悟)のためのひと時を得ることができます。
人間は昼も夜も罪を犯す危険にさらされています。
ある時は、罪を犯したという自覚を持ち、また別の時はそのような自覚を持たないでいるのです。
そのような時、1日5回繰り返されるサラートはその罪を私たちから取り除く役目をしてくれるのです。

私たちは生きるために水を飲んだり食事を摂ったりしますが、サラートはアッラーを信仰するための絶え間なく与えられる栄養のようなものです。
人間は現世でのいろいろな出来事やシャイターン(悪魔)からの囁きによって、アッラーへの信仰を忘れそうになることがよくあります。
それはあたかも、水を与えられない植物がしおれ、しだいに枯れていき、しまいには燃やされるための薪などになってしまうようなことなのです。
しかし、私たちがサラートを続けていれば、それが信仰心への栄養となり、現世におこる様々な出来事は私たちの信仰心を弱らせることも、滅ぼしてしまうこともなくなるでしょう。

私たちが1日に行うサラートの名前と回数は以下の通りです。

朝から順に、ファジュル(2ラクア)、ズフル(4ラクア)、アスル(4ラクア)、マグリブ(3ラクア)、イシャー(4ラクア)となります。(「ラクア」とはサラートの動きの1単位です。)
それぞれのサラートは、次のサラートの時刻に入る前に行わなければなりません。
それぞれのサラートの開始可能時刻は諸イスラーム機関発行の礼拝の時刻表を参考にしてください。
時間内にサラートを忘れた人、またはしなかった人はすぐにサラートをしなければなりません。(これは「カダーの礼拝」と呼ばれます。サラートの仕方は同じですが、ニーヤ(意図)が異なります。)

サラートが義務となるのはムスリムの成人男女(*注参照)で、正気の者、清浄な者に、サラートが義務付けられます。

年の小さい子供、正気でない者にはサラートは義務ではありません。
また、生理中の女性は清浄な状態でないため、サラートをすることができません。
上に「年の小さい子は義務ではない」と書きましたが、今までしたことがないことを成人した時にいきなり毎日5回行うというのはとても大変なことです。義務でなくても、小さいうちから少しずつサラートに慣れるようにしましょう。そして、親は「子供にサラートを教える、命じる」前にまず自分が正しいサラートの仕方で毎日5回のサラートをするようになりましょう。子供は親の背を見て育ちます。親が毎日きちんとサラートしていれば、自然と子供もサラートを違和感なく受け入れるようになります。

注:一般に15歳以上が成人とみなされます。それ以下の年齢でも、精通・初潮があったり、陰毛が生えた男児・女児は成人同様の扱いとなります。

具体的なサラートのやり方をお話する前に、サラートの前後・サラート中に注意すべき幾つかの点を挙げておきます。アッラーの恩恵によって、すでにサラートを毎日きちんと行っている皆さんもこれらのことがきちんと出来ているか、いつもの自分を振り返って読んでみてください。

1‐至高のアッラーへの対面のために、自分から進んで、望んで、やる気を出してサラートに向かいましょう。

「やらなければならない義務だから・・・」「サラートしなさいと言われるから・・・」と嫌々サラートに向かってはいませんか?

2‐サラートに入る前に清潔な服を着て、香水をつけ(成人女性が香水をつけた状態で外出したり、夫や家族以外の前でそのような状態でいることは禁じられています)、スィワークを使うか歯を磨き、身なりを整えましょう。

至高のアッラーは仰られました:
『アーダムの子孫よ、何処のマスジド(モスク)でも清潔な衣服を身に付けなさい・・・』(7:31)

私たちは特別なところに外出したり、特別な人に会う時には特に身だしなみに気をつけますね。アッラーと対面する場はそれらのどの場所より重要で、アッラーは誰よりも偉大なお方です。
アッラーに対面するのに相応しい状態でいつもサラートできていますか?

3-至高のアッラーのためだけに心を専念するために、トイレやしておかねばならない重要な事はサラートの前にしておきましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)がこう言うのを私は聞きました。「食事の用意が出来ている時と大小の用足しを我慢している時の礼拝はない。」(ムスリムの伝承)

4-サラートを行う時には静けさと荘厳さを保つようにしましょう。

特に集団礼拝に参加する人はこれに注意しましょう。サラートに行くまでは走ったりせずに、静かに歩くようにしましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:アッラーの使徒が(彼に祝福と平安あれ)がこう言うのを私は聞きました。「礼拝開始直前の呼びかけ(イカーマ)が詠唱された時でもあなたは礼拝に急いで走ってきてはならない。平静に歩いてくるのだ。礼拝に間に合った部分を礼拝し、遅れた分はその後で完了させるのだ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

5-心を至高のアッラーへと向け、静かに、そして至高のアッラーの御手の前で謙虚さと畏れを保ちつつ至高のアッラーの偉大さに頭を垂れつつ、畏れ、従順にサラートを始めましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『信者は確かに勝利を勝ち取る。彼らは礼拝においてアッラーを畏れる者である。』(23:1-2)

6-礼拝中、目や顔をキョロキョロさせたり、ぼんやりしたり、笑ったり服や両手をいじったりしないようにしましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)に礼拝中他のことに目を向けることについて私は尋ねました。すると彼は言いました:「それはシャイターンがしもべの礼拝から盗み取ることである。」(アルブハーリーの伝承)

7-空(や上方)を見上げたりせずにサジダする場所を見るようにしましょう。

アナス(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「礼拝中に視線を空に向ける者たちについてどう思うか?」彼の言葉は次のように言うほど厳しいものとなった:「彼らにそれ(視線を上げること)を避けるべきだ。さもなくば、彼らの視力は奪われるだろう。」(アルブハーリーの伝承)

8-礼拝中は詠む(あるいは詠まれる)クルアーンの節やズィクル(アッラーを念じる言葉)の意味をよく考え、ぼうっとしたり、すべきことを忘れないようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『災いあれ、礼拝する者でありながら、自分の礼拝をおろそかにする者。』(107:4-5)

アンマール・ブン・ヤースィル(アッラーが彼に満足しますように)によると預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「実にある者は、彼の礼拝の10分の1だけ、9分の1だけ、8分の1だけ、7分の1だけ、6分の1だけ、5分の1だけ、4分の1だけ、3分の1だけ、半分だけ礼拝したと書かれて(礼拝から)去る。」(アハマドとアブー・ダーウードの伝承)

9-礼拝中の動作は急がずに落ち着いて行いましょう。

ウスマーン(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:私はアッラーの使徒が次のように言うのを聞きました:「ムスリムのうち、義務の礼拝時間が来た際ウドゥーを丁寧に行い、アッラーを真に畏れ、ルクーウを落ち着いてする者の礼拝は過去に犯した小さな罪を消すだろう。それは全ての時代に続くのだ。」(ムスリムの伝承)

10-礼拝中の咳や欠伸、くしゃみ、ゲップなどを避けましょう。どうしても出てしまう場合は小さい音でしましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)によると預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「礼拝中の欠伸はシャイターンによるものである。あなた方のうち欠伸をする者はできるだけ我慢しなさい。」(アルブハーリー)

11-なるべく礼拝可能時刻のはじめのうちにサラートをし、理由なしに怠け心からサラートを遅らせないようにしましょう。

至高のアッラーはムナーフィク(偽信者)たちを次のように描写して仰りました:
『彼らはのらくらと礼拝に赴き施す時もしぶしぶ施す。』(9:54)

イブン・マスウード(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:私がアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)にどの行為が一番良いのでしょうか?と尋ねると彼は言いました:「時間内に礼拝を行うことだ。」次は何ですか?と私が言うと、彼は言いました。:「親孝行だ。」次は何ですか?と私が言うと、彼は言いました。:「アッラーの道のためのジハードだ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

12-全てのサラートの後にイスティグファール(アッラーに許しを請うこと)とズィクル(アッラーを念じること)とドゥアー(祈願)のためにムサッラー(礼拝所)にしばらく座りましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「全ての礼拝の後にタスビーハ(スブハーナッラーと言う事)を33回、タハミーダ(アルハムドゥリッラーと言う事)を33回、タクビーラ(アッラーフ アクバルと言う事)を33回、そして100回目にラー イラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ、ラフルムルク ワ ラフルハムドゥ ワ フワ アラー クッリ シャイイン カディール(意味は、「唯一で並ぶもの無きお方アッラー以外に神はありません。主権と讃美はかれのもので、かれは全能です。」、と言った者はその者の罪がたとえ海の泡のよう(つまり数え切れないほど)であっても許される。」(ムスリムの伝承)

13-サラートの後、次のサラートのために待つことが好まれます。

例えばマグリブのサラート後イシャーのサラートの時間まで待ち、それまでズィクルやクルアーンの読誦や暗記、勉強会に参加したりその他の知識を求めることに時間を費やすことです。

14-義務のサラートの前後のスンナのサラートをきちんとしましょう。

これらのスンナのサラートはアッラーにより近付くための行為であり、また義務のサラで足りない部分を埋める役目をします。

ラムラ・ビント・アビー・スフヤーン(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が次のように言うのを聞きました:「しもべのうち義務以外で自発的に毎日12ラクアを至高のアッラーのために礼拝する者には、アッラーが彼のために天国に家を建ててくださる。」(ムスリムの伝承)

15-近くのモスクでなるべく集団で(男性の場合)サラートを行うようにする。

イブン・ウマル(アッラーが彼に満足しますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「集団での礼拝は個人での礼拝よりも27倍良い。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

16-至高のアッラーの念唱を続けるほか、いつでもアッラーの監視を忘れずかれを畏れること、また下品な言葉や悪い行いを避けるなどのサラートによる効果を得られるようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『私を念じるために礼拝しなさい。』(20:14)
『礼拝をしなさい。本当に礼拝は(人を)醜行と悪事から避ける。』(29:45)

礼拝の時間に入ったら、清浄な場所・体(ウドゥーのある状態)・衣服で、アウラ(男性は臍から膝まで。女性は顔と両手以外。)を隠し、キブラの方角に向かってサラートをしましょう。これらを怠るとサラートは無効になります。

インシャーラー
後半に続きます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供のためのイスラーム礼儀作法その3

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم



子供のためのイスラームの礼儀作法(3)ウドゥー




ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

「ウドゥー」はサラー(礼拝)が正しく行われるための条件です。
またクルアーンを手にする時やタワーフ(カアバの周りを7回まわること)でもウドゥーをした状態であることが求められます。

至高のアッラーは次のように仰りました。
『信仰する者たちよ、あなたがたが礼拝に立つ時にはあなた方の顔を洗い、ひじを含む両手を洗い、頭を撫で、くるぶしを含む両足を洗いなさい。』(5:6)

ウドゥーは礼拝や至高のアッラーに向き合う準備として、水で顔・手・頭・足を洗うことです。

ウドゥーは私たちの体を罪や過ちから清めてくれます。
また、アッラーの御光や知識や英知を受けることを遮ること、アッラーを忘れることやアッラーが禁じたことから心を清めてくれます。

ある学者は次のように言いました:

「ウドゥーをする時は、これから至高の主を訪れるのだということを知り、悔い改めなさい。なぜならアッラーは水での清めを罪からの浄化の一歩としたのですから。

あなたがうがいをしたら、あなたの舌を嘘や陰口や噂話から清めなさい。
あなたの舌は至高のアッラーを念じ、クルアーンを詠むために創造されたのです。
そしてアッラーの創造物を舌によって導き、あなたの宗教と現世において必要なことを表現するために創造されたのです。
だから、創造された目的とは違うことに舌を使えば、それは舌に関してアッラーの恩恵を踏みにじったこと、つまり不信仰を犯したようなものです。
あなたの体はアッラーの恩恵の1つなのです。それらをアッラーへの不服従のために使えば、それは不信仰極まりない行為となります。

鼻をすすぐ時は、鼻を禁じられた匂いを嗅ぐことから清めなさい。

顔を洗う時はあなたの視線を次の3つのことから清めなさい。
それらは禁じられたものを見ること、ムスリムを軽蔑の目で見ること、他人の恥部を見ることです。
両目は暗闇において正しく導かれるように、必要なことに利用するために、またそれらによって天地のアッラーの創造物の不思議を見、アッラーの偉大さを考えるために創造されたのです。

両手を洗う時は、自らの手でムスリムに害を与えたり、禁じられた財産を得たり、あるいは発言してはいけないことを書くことから両手を清めなさい。
舌をそれから守らなければならないことからペン(書くこと、つまり手)を守りなさい。

頭を撫でる時は、この撫でる行為はアッラーの命令への服従であり、至高なるお方への服従であり、そのお方の前に低く頭をたれ、かれを必要としていることをあらわしているのだということを知りなさい。

両足を洗う時には、それらを禁じられたものへの歩みから清めなさい。
預言者(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「しもべは一歩の歩みでさえその歩みによって何を望んだのかと問われる。」(アブー ナイームの伝承)」

これが預言者(彼に祝福と平安あれ)が「ウドゥーを完全に行う者のもろもろの罪業は、体から、はたまた、爪の下からさえも、流れ落ちることだろう。」(ムスリムの伝承)と仰った、正しいウドゥーです。

「ウドゥー」では次の6つのウドゥーが有効になるための必要最小限の動作(アラビア語では「アルカーン」)を行わなければなりません。

① ニーヤ(「これからウドゥーを行います」という意図)を心に念じる。
② 顔を洗う。
③ 両肘を含めて両腕を洗う。
④ 頭を水をつけた手で撫でる。
⑤ くるぶしを含めて両足を洗う。
⑥ ①~⑤を順番どおりに行う。

そして「ウドゥー」は、一例としてトイレで用を足したりおならをすると無効になります。
その後で、礼拝やクルアーン読誦をしようと思ったら、もう一度ウドゥーをやり直さなければなりません。

さらに今回は、私たちムスリムがウドゥーをする時の心構えも合わせて一緒に勉強していきましょう。上のハディースにもあるように、ウドゥーに使った水が流れ落ちる時に、小さな罪が一緒に流れ落ちていく様子を思い浮かべながら丁寧にウドゥーをしていきましょう。


1‐バスマラ(ビスミッラーと言うこと)を言おう。



2‐ウドゥーをする時は、落ち着いて心を込めて行おう。


ウドゥーにおける心の静けさとアッラーへの畏れが、礼拝でのアッラーへの畏れに導きます。


3-ウドゥーのたびにスィワーク(歯を磨くための小枝)か歯ブラシで歯を磨こう。


預言者は仰りました:「スィワークは口を清潔にし、アッラーのお喜びをもたらす。」(アハマド、アンナサーイー、アッティルミズィーの伝承)


4-ウドゥーの最中に話したり笑ったり、水で遊んだりしないようにしよう。



5-ウドゥーで顔を洗う前に手を洗い、口と鼻をすすぎましょう。



6-顔や頭に水を叩き付けないようにしよう。



7-頭を撫でた後に水を新しく手につけ、両耳を撫でよう。



8-ウドゥーの後に水を切るために手を振ったりしないようにしよう。



9-特に両腕・両足に関してはひじ・くるぶしまでだけではなく、その上までウドゥーを行うようにしよう。また両腕の場合は右から、両足の場合は右足から洗おう。


これらは審判の日に信仰者の光となります。
特に寒い冬はウドゥーをいい加減にしがちですので、このことに注意しましょう。

預言者はこう仰りました:「審判の日の信仰者の光はウドゥーが達したところまで達する。」(ムスリムの伝承)


10-皮膚の毛穴、かかと、指の間にも水が行き届くようにしよう。


預言者(彼に祝福と平安あれ)はかかとを洗わない男を見て仰りました:「両踵は業火のもと故、気をつけよ。」(ムスリムの伝承)

またある人はウドゥーを行いましたが足の爪の部分を洗いませんでした。それを見て預言者は次のように仰りました:「ウドゥーをきちんとやり直しなさい。」(ムスリムの伝承)


11-頭と耳以外は3回ずつ洗おう。



12-ウドゥーの後に預言者が言ったドゥアーを言おう。


預言者はウドゥーの後には次のようなドゥアーを口にしていました。:

「アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ。 ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ。アッラーフンマジュアルニー ミナッタウワービーナ ワジュアルニー ミナルムタタッヒリーン。スブハーナカッラーフンマ ワ ビハムディク。 アシュハド アッラー イラーハ イッラー アントゥ。アスタグフィルカ ワ アトゥーブ イライク。」

このドゥアーの意味は、「彼に並ぶ者なきアッラー以外に神はなく、ムハンマドは彼のしもべであり、使徒であることを証言します。アッラーよ、私をよく悔悟する者に、そしてよく沐浴する者として下さい。アッラーよ、あなたに賞賛と讃美あれ。私はあなた以外に神はないと証言し、あなたに許しを請い、あなたに悔悟します。」

預言者は仰りました:「あなた方のうちだれでもウドゥーをきちんと終えてから『アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーのしもべであり、御使いである。』と証言する者に対して天国の8つの門は開かれ、どれでも好きな門からそこに入ることができるだろう。」(ムスリムの伝承)


13-ウドゥーの後に2ラカートの礼拝をしよう。


預言者は仰りました:「ウドゥーを丁寧に行い、心と顔をキブラに向けて2ラカートの礼拝を行う者には誰でも天国が約束される。」(ムスリムとアブー・ダーウードの伝承)


14-水を無駄遣いしないようにしよう。


袖や裾をめくってから水を出すようにしましょう。
また水はケチらず、と同時に無駄遣いしないようにしましょう。

サアド(アッラーよ彼に満足したまえ)は言いました:「ウドゥーをしている時にアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が私を通りかかりました。すると彼はこう仰りました:『無駄遣いするな。』私は言いました:「アッラーの使徒よ、水にも無駄遣いということがあるのでしょうか?」彼は仰りました:『そうだ。たとえあなたが川の傍に住んでいても(無駄遣いしてはならない)。』(イブン マージャの伝承)


15-常にウドゥーをした状態であるように心がけよう。


ウドゥーは信仰者にとって、悪やアッラーを忘れること、罪や禁じられたことから自らを守る武器のようなものです。
またウドゥーをした状態であることは、礼拝やクルアーン読誦の準備ができている状態でもあるのです。

付け足し:
子供がウドゥーを学ぶのに最も適しているのは夏だといわれています。子供は熱すぎたり冷たすぎる水に触れるのを一般的に嫌がりますが、夏に水に触れることは子供にとってそれだけで気持ちがよく、楽しいことでしょう。ウドゥーで水に触れるのが精神的あるいは肉体的な負担にならないように、子供がウドゥーを積極的にしたくなるような適温の水を用意するのも1つの手かもしれません。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『フィクフッスンナ 1巻』サイイド・サービク著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第1巻』日本ムスリム協会

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام