Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

いよいよギニア(日付変更&再アップ版)

2005年12月12日 | ギニア
この記事は、一度アップされたものを実際僕が行動した日付に訂正して、更に追記しています(赤字部分)。


2005年12月12日(月)
翌夕方の4時頃にパリを発って、夜9時頃にギニアはコナクリ空港に降り立ちました。
飛行機から、階段を下りて空港の滑走路に降りるのですが、まるで、大統領や総理大臣と同じです
なぜか、出国の手続きを済ませてもいないのに、出迎えの人たちがたくさん来ています
日本やその他の先進国ではあり得ません。
空港は、壁と屋根はありますが、空調などは全くありません
雨、風をしのげる程度のものです

しかも、この空港暗いんです。体育会系のクラブに属していた人はわかると思うのですが、
体育館の照明をつけて間もなくは薄暗いですよね。
しばらく待っていると徐々に明るくなってくるようなあの感じ・・・
その、明るくなる前のような状態なのです


出国手続きをすませて、荷物を待ちます。
出国手続きをしている人は軍服を着ています。独立してから間もなくは社会主義というか軍事主義というかそのような状態の国だったと記憶していますが、その名残が残っているようなのです・・・

ベルトの周辺には人だかりができていて、とても近づけません
搭乗客以外に、荷物をピックアップする仕事をしている人もいるからでしょう

何とか荷物をピックアップした後、我々一行を出迎えてくれる人がいました。
ボッソウで研究をしている人たちです。

トヨタから寄贈されたというランドクルーザーに乗って、ホテルへと向かう道は舗装されておらず、所々に深いくぼみができていて、
車はスピードを落とし、そのくぼみを避けたり、ゆっくりと乗り越えていきます
さらに、夜も10時を過ぎようかというのに、あちらこちらに人がいます。
ひっきりなしに走る車の隙間をぬって道路を横断しようという人も大勢見かけました。
事故が起きないのが不思議なくらいの、混雑ぶり
道路には、街灯などはなく、暗い。
そんな中から人が出てくるのです
運転するには恐ろしすぎる交通事情といえるでしょう

道ばたに見える家などは、日本では考えられないような家です。
なぜ、この人たちはこのような生活を強いられるのか、と考えると胸が痛む思いがしました

しかし、人のことを心配していられるような状態でもありません
心配していた通り?フランス語が聞き取れないのです
会話どころの話ではない・・・

多大なる不安を抱えながらのギニアでの生活のスタートになったような気がします・・・

追記
飛行機からいきなりタラップを降りて滑走路に降りることになるとは思いも寄らなかったので驚いた。
それよりも何よりも、アフリカの人ってホントにルールがあってないようなものなのかなぁ、と思うことが・・・
手荷物って12kgまでだったと思うけれど、重量が決まっている。
しかも、預ける荷物も確か20kgまで。それを越えると超過料金があるはず。
にもかかわらず、かなり大きな荷物を抱えて飛行機に乗ってくるんですよね。
(追加料金を払っているのかも知れないけれど・・・)
そして、エールフランスだからか、やっぱりモニターの調子が悪い席ってあるんですよ。(JALとか日本の飛行機ではそんなことはあんまり聞いたことがないもので・・・)
その席に座った黒人の女性。
モニター殴ってたもん・・・ものは大事にしようね。
それはそうと、コナクリの空港はホントに驚いた。
入国手続が終わっていないのにもかかわらず、出迎えが来ていると書いたけど、あり得ないでしょ?
日本で言ったら、入国審査のあのゲートの中に入っていって、「○○様」ってカードを持って立っているようなものですから・・・
入国手続は、それなりにあって、パスポートやビザなどを確認しているけれど、
その奥では荷物を確保しようとベルトの前で場所取りをしている人々が右往左往しているのが見えるような状態。
そして、何よりも暑い。
普通、空港って空調が効いていて、寒い国に来たのか暑い国に来たのか、空港を出てみないと解らないような状態だと思うけど、
前述のように飛行機を降りた瞬間外だから、暑い。
パリはしっかり冬だったから、当然、冬の服装をしているのです。
だから、余計に暑い。夏の格好をしていても暑いのに・・・
しかも、狭いところに人が密集しているから尚更暑い。
そんな中、荷物を確保しなければいけないので、人をかき分けるようにして荷物を取りに行かなくてはいけないし・・・
それと、空港の中で(中と言ってもホントに外と同じだけど・・・)ネズミが走ったりしているのは初めてみたなぁ。