先日、実に6年ぶりにある地を訪れた。
石川県の海岸に設定した試験地があった。
(もちろん、会社の仕事として設定した試験地である。個人のものではないです)
6年前までは、せっせと年に1~2回は少なくとも訪れてデータ収集を行っていた。
しかし、ある一定の結果を得たと思った会社は、試験地を返還するということを考える。
ま、当然である。無駄なものにいつまでもお金を投入できない。それが民間企業というものである。
返還するに当たって、試験地の概要やその他資料をボクが揃えて、上司に渡したのが、6年前の2005年だったようである。
たしか、うちのカミさんと一緒に調査に行ったのが最後の調査だったんじゃないかと思う。その後の、その試験地に関する記憶がないのである。
しかし、実際の所、その試験地は契約が存続していたのである。
今回の東日本大震災をきっかけに、
「海岸林の果たす役割とは」
「海岸林の理想的な姿とは」
「海岸林を造成する技術とは」
という事などについて、考えることもあり、
「そうだ、あの試験地をもう一度掘り返そう」
ということになったのである。
8年前に、試験地に隣接する海岸林(松林)の立木調査を行ったことがある。
現在、成立している(永続的に存在しているであろうと思われる)松林を対象に調査したのである。
調査対象区を囲って、その中にある松の立ち位置(根元位置)を測定し、ざっくりと樹高と太さ別にクラス分けしたのである。
その調査をしたのは、今のボクよりも8歳若いボクであるが、そうとうしんどかった記憶があった。
今回、あのときよりも8歳年を重ねた自分が同じ調査をするのである。
さて、自分との戦いというか、自分がいかに衰えたか、というのを実感するには十分すぎる条件が整ってしまったのである。
結果として、やはり年老いた自分を感じる結果となってしまった・・・
しかし、昔と比べると要領が良くなったようで、思っていたほどには厳しくなかった。
一緒に仕事をこなしてくれた後輩も8年歳を重ねたわけであるが、やはり衰えを感じつつも、思ったよりもスムーズにこなせた、という感じだったと見受けられた。
記帳を担当してくれた後輩(彼女はこの地をおとずれたのは初めてである。だって、彼女はボクよりも10歳以上若いから、当然である)が、とても優秀だったから、僕たちの負担が減った、ということも思ったよりも楽だった要因だろうと思う。
(ボクは、いつも彼女には感心してしまう。とても頑張り屋なのだ。まだまだ自分は仕事が出来ない、と思っているらしいが、比べる対象がボクやボクの1つ下の後輩だったりするのだから・・・同じように仕事されてはちょっとこちらが困ってしまうのだけれど、彼女はそうは考えないらしい・・・)
しかし、やはりあの8年前と比べると、体力の衰えは相当に感じることとなった、というのは間違いない。考えてみれば、前回は殆ど1日でこなした仕事を1日半かかってやったのだから・・・
前回の調査時の写真をみても、やっぱりあのころのボクは若かった(当たり前だけれど)。
はたして、数年後にまた同じ作業をする元気があるのだろうか・・・それが一番の心配事であったりするのである。
年は取りたくない。でも、そういうわけには行かないところが悲しいですねぇ・・・
石川県の海岸に設定した試験地があった。
(もちろん、会社の仕事として設定した試験地である。個人のものではないです)
6年前までは、せっせと年に1~2回は少なくとも訪れてデータ収集を行っていた。
しかし、ある一定の結果を得たと思った会社は、試験地を返還するということを考える。
ま、当然である。無駄なものにいつまでもお金を投入できない。それが民間企業というものである。
返還するに当たって、試験地の概要やその他資料をボクが揃えて、上司に渡したのが、6年前の2005年だったようである。
たしか、うちのカミさんと一緒に調査に行ったのが最後の調査だったんじゃないかと思う。その後の、その試験地に関する記憶がないのである。
しかし、実際の所、その試験地は契約が存続していたのである。
今回の東日本大震災をきっかけに、
「海岸林の果たす役割とは」
「海岸林の理想的な姿とは」
「海岸林を造成する技術とは」
という事などについて、考えることもあり、
「そうだ、あの試験地をもう一度掘り返そう」
ということになったのである。
8年前に、試験地に隣接する海岸林(松林)の立木調査を行ったことがある。
現在、成立している(永続的に存在しているであろうと思われる)松林を対象に調査したのである。
調査対象区を囲って、その中にある松の立ち位置(根元位置)を測定し、ざっくりと樹高と太さ別にクラス分けしたのである。
その調査をしたのは、今のボクよりも8歳若いボクであるが、そうとうしんどかった記憶があった。
今回、あのときよりも8歳年を重ねた自分が同じ調査をするのである。
さて、自分との戦いというか、自分がいかに衰えたか、というのを実感するには十分すぎる条件が整ってしまったのである。
結果として、やはり年老いた自分を感じる結果となってしまった・・・
しかし、昔と比べると要領が良くなったようで、思っていたほどには厳しくなかった。
一緒に仕事をこなしてくれた後輩も8年歳を重ねたわけであるが、やはり衰えを感じつつも、思ったよりもスムーズにこなせた、という感じだったと見受けられた。
記帳を担当してくれた後輩(彼女はこの地をおとずれたのは初めてである。だって、彼女はボクよりも10歳以上若いから、当然である)が、とても優秀だったから、僕たちの負担が減った、ということも思ったよりも楽だった要因だろうと思う。
(ボクは、いつも彼女には感心してしまう。とても頑張り屋なのだ。まだまだ自分は仕事が出来ない、と思っているらしいが、比べる対象がボクやボクの1つ下の後輩だったりするのだから・・・同じように仕事されてはちょっとこちらが困ってしまうのだけれど、彼女はそうは考えないらしい・・・)
しかし、やはりあの8年前と比べると、体力の衰えは相当に感じることとなった、というのは間違いない。考えてみれば、前回は殆ど1日でこなした仕事を1日半かかってやったのだから・・・
前回の調査時の写真をみても、やっぱりあのころのボクは若かった(当たり前だけれど)。
はたして、数年後にまた同じ作業をする元気があるのだろうか・・・それが一番の心配事であったりするのである。
年は取りたくない。でも、そういうわけには行かないところが悲しいですねぇ・・・