Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

国外生活突入

2005年12月11日 | ギニア
この記事は2005年12月20日にアップされているものを日付変更したものです。内容は基本的にかぶっていますが、追記ありです(赤文字部分)。

現地時間:12月11日21:05(日本時間12月12日05:05)
未だに実感がないが、すでにパリにいます。
エールフランスで、関西国際空港からシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。

シャルル・ド・ゴール空港って大きな空港なんですね。
ターミナル1~3まであって、
ターミナル2はA~Fまである。
ターミナル1はどうなっているのか知らない。
僕たちはターミナル2に到着。
通常なら、ターミナル2Fに到着するはずが、どうやら違う場所に着陸していたようで、若干先生も戸惑いがちのようですが、
それでも、パリで生活されていたこともある先生は勝手知ったる場所という感じでずんずん歩いていかれます。
僕は、ひな鳥のようについて歩くだけ
最近、こういう歩き方はしていなかっただけに知らない場所に来たんだなぁという感じは若干あります。
先生は、シャトルバスが来る場所がわかったので外に出ます。


気温は3℃。
日本とさして気温は変わらない。

ホテルまではシャトルバスが運行されているので、
空港出口でシャトルバスを待つこと20分、
シャトルバスが来たので乗り込みます。
クラッチワークが荒い運転で、少し面食らったが運転は問題ないようです。
このシャトルバスは、空港内のあちこちの出口で待つ客をピックアップしていくようです

そうそう、昨年(2004年)6月に空港の一部の屋根が崩落したと、牛田先生が言っていました。
地震がないフランスでは、建築物の構造がいい加減らしい
たしかに、空港でシャトルバスを待っていると、道路の継ぎ目を大型のバスが通り過ぎるたびに振動が伝わってきていました。
その、崩落箇所はといえば、未だに工事中(あるいは未だに放置)で、電気が消えていました。
日本では考えられない、スローペース。
もう、崩落から1年半が経過しているのに・・・

ホテルにつくと、簡単な夕食をとりました。
もちろん、日本語が通じるのは、日本から来ている僕たち一行だけ・・・
そのくせ外国にいる気がしないのは何故か
日本ではもうまもなく夜が明けようとしているはずなのに、これから寝る準備をしようという状態にいます
にもかかわらず、海外にいる実感がありません。
ただ、体が移動しただけで、心が追いつかないような状態(村上春樹氏の小説のようですな・・byカミさん)
牛田先生が、フランス語が堪能なので、不自由しないせいもあると思うけど。
如何せん、飛行機を降りて、ホテルについて夕食を簡単に済ませただけだから仕方ないともいえるかも知れないですね。
また、いまだ、パリという先進国に身を置いているからかも知れません。

今回の旅(出張)は、ギニアはボッソウという先進国からはかけ離れた場所に行くという気持ちが勝ちすぎていたからかも知れません。
ただ、パリはただの経由地に過ぎないから、こんなところで実感しても仕方ないともいえますね

悲しいかなこれから約1ヶ月、どのようになるかはいまだ想像できずにいます。
ともかく、無事にとりあえず、経由地であるパリに到着しました
窮屈な、エコノミークラスの座席から解放された心地よさだけが際だつ、このひととき・・・

明日の夜には間違いなくギニアに足を踏み入れることになります。
ま、明日からですな、本番は・・・