Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

デング熱

2014年09月09日 | Weblog
デング熱が拡がっていますね。

70年ぶり(だったっけ?)に国内感染の患者が見つかったときに、流行の恐れはない、という感じの発言が、厚生労働省だったか東京の保健所だか忘れたけれど、あったように思うのだけれど、パンデミックではないけれど、どんどん拡がっていますね。

最初の代々木公園の消毒の範囲が狭すぎたのではないでしょうか。
蚊の飛ぶ範囲が半径50m(と言っていたように記憶している)として、半径75mの範囲を閉鎖して消毒した、ということだったと思うが、そもそも蚊の行動範囲が50mというのは設定として狭すぎるように思うし、仮にかの行動範囲が半径50mだったとして、ピンポイントで刺されたところが特定できたのなら余裕を持って半径75mの消毒で十分だと思うけれど、そもそも指された場所がピンポイントで特定できるはずないでしょ?
だったら、このあたりで挿されたと思うというエリアから75m広げたエリアを消毒すべきで、なぜに半径75mの消毒にとどめてしまったのか理解できない。

そもそも蚊の行動範囲が50mというのはどういった単位の話なのかもわからないし。
一時間あたりの行動範囲?それとも一日あたりの行動範囲?それとも蚊の一生の行動範囲?
一日あたりにしては狭いように思うので、個人的には影さえあれば一時間もあれば50mは移動するように思う。

と考えると、蚊が最初の感染者を刺した後、じっとしていてくれたらそのエリア指定は理解できるが、発症するまでの潜伏期間もあるし当然刺した瞬間から移動が始まるのだからもっと行動の範囲は広がっているはず、と考えるべきだったのではないでしょうか。

いずれにしても、今回のデング熱対策は後手後手に回ってしまったという印象がとても強い。

コストがかかるから、代々木公園全体を閉鎖するのは影響が大きすぎるから、と考えたのかもしれないけれど、結局、もっと拡がってしまって、もっともっと多くのコストと、閉鎖箇所の拡大、そして何よりも不安が拡大してしまった。
とても残念である。


しかし、デング熱は致死率も低く(もちろん感染し発症してしまったらそれなにり大変だろうと思うけれど)、必要以上に心配したりパニックに陥る必要はないと思う。

だけど、アフリカでマラリアに感染した人間として言わせてもらうと、やっぱりこういった熱帯性の蚊を媒介する病気はしんどい(デング熱には感染したことがないが症状が似ている)。
だから、今回のデング熱の広がりは一過性のものであることを祈ります。


ただ、心配なのは都市部では下水など暖かいところが多くあり、蚊が冬でも活動できる環境があるので、デング熱という病気が越冬してしまうとデング熱は日本では当たり前の病気になってしまうと思うので、ほんとうに今のうちに根絶して欲しいものです。

錦織選手、お疲れ様でした

2014年09月09日 | スポーツ
いやぁ、錦織選手、全米OP準優勝おめでとうございました。

しかし、決勝は彼のプレーをさせてもらえませんでしたね。
これは、残念でした。

チリッチが良いテニスをしたということもあると思いますが、
決勝に至るまで、激しい試合を行っていた錦織選手に疲れが出ていた、
また、直前の足の手術で準備が不足していた、
そして、これまで格上の選手との試合ばかりで挑戦者として戦い続けてきたのが、決勝はランキングも自身が上、そして対戦成績も自身が上回っている、というのが悪い意味で勝ちを意識させてしまったために身体が無意識に硬くなってしまったのではないか、と思います。

それにしても、やはり錦織選手の今回の戦いは偉業であるのは間違いありません。
本当に、準決勝おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。

また、このようなすばらしい試合を期待しています。

攻めたといえば・・・

2014年09月08日 | スポーツ
全米オープンの決勝で錦織選手には攻めて行ってほしいと書きましたが、先日行われたボクシングの世界タイトル戦の八重樫選手はすばらしかったですね(敗れましたが)。

ボクシングの神様に愛されたといわれ、挑戦を逃げられ続けていたといわれる無敗の二階級制覇(八重樫に勝って三階級制になった)のローマン・ゴンザレスの挑戦を受け、そして彼の土俵外のアウトボクシングでなんとかしようと1Rで様子を見たものの、それが難しいと見るや、まさかの打ち合いに転じました。

有効打はローマンの方が多かったと思いますが、それでも果敢に攻め続ける八重樫の姿に中盤から試合終了まで、これまでにない恐怖というか不安を感じながらローマンが戦っているように感じました。

試合終了と同時に涙を流して喜んだローマンの姿がそれを物語っているように感じました。それにしても、あえて受けなくても良かった最強挑戦者のローマンの挑戦を受け、果敢に戦った八重樫選手は立派だったと思います。

今後、八重樫選手は階級をひとつ下げるようですが、またぜひともチャンピオンになってほしいです。

八重樫選手がチャンピオンだったフライ級に階級を上げるという井上尚弥選手(ライトフライ級チャンピオンを返上するらしいですね)。
場合によっては、ローマンとのタイトル戦、というのが実現するかも知れませんね。
たしかに、井上選手はとてもスピードがあり、パンチの種類も豊富で、目もよくてそれに伴うディフェンスもいい。相手をKOできるパンチもある。
でも、ローマンにある迫力というものがまだないように思います。井上選手はたしかに天才だと思う。階級を上げて、天才的なボクシングに迫力というか相手に恐怖を与えるような雰囲気を身にまとうことができれば、神と呼ばれた(神に愛された)ローマンにも勝てるように思います。

頑張れ、八重樫選手。
頑張れ、井上選手。

あ、KOではなかったけれど、見事にプロ入り5連勝を果たした村田諒太選手も頑張れ。

全米オープンが熱いですね

2014年09月08日 | スポーツ
いやぁ、錦織選手、すごいですね。
徐々に相手選手のサービスのスピードが遅くなっているという話を聞いて(もちろんサービスはスピードだけではないけれど)、もしかして錦織にもジョコビッチを破るチャンスがあるのではないかと思いましたが、ほんとに勝ってしまうとはね。
ここまで来ると、初のグランドスラム優勝、というのが見たくなってきましたね。欲が出るとキリがないですね~。
世界ランキング1位のジョコビッチを破った後なら同14位のチリッチなら(ランキングは全米オープン前のランキングだと思います)勝てるのではないか・・・
と期待が膨らみます。でも、チリッチもランキング2位のフェデラーを破っての決勝進出なんですよね。どちらも乗りに乗っている状態、といって良いのでしょう。

いや~、でもやっぱりここまで来たなら勝って欲しい。こんなチャンスはそうそう訪れないと思いますし(もちろんこれからチャンスはあると思いますが)、一気に行ってほしいなぁ。

でも、これまでと同様、変にプレッシャーを感じず、攻めていって欲しいです。

ダンス・ダンス・ダンス

2014年09月07日 | 読書
先日、最近かつて読んだ村上春樹の小説(書いたものと言ったほうが的確か・・・。エッセイも読んでるし)をやたらと読み返していると書きました。
一度シリーズものを読んでしまうと、続きを読んでしまうんですよね・・・

「羊をめぐる冒険」を読んでしまったら「ダンス・ダンス・ダンス」を読まないわけにはいかないでしょ。

しかし、いつ読んでもこのシリーズは読んでいて全体に悲しくて、そして最後に一縷の望みがあるという印象を受けますね。
「羊をめぐる冒険」で散々、自分の力が及ばないところで自分の人生が揺り動かされ、干渉され、そして大切なものを失ってしまう。
そして、「ダンス・・・」でも、夢に突き動かされて再びイルカホテルに向かってから不思議な出会いがあって、接した人物を失い続ける。なんといっても「鼠」以来の友人と呼べる「五反田くん」までも失ってしまう。なんと切ない人生なのか・・・

でも、最後に大事だと気付いたユミヨシさんを手に入れる(という言葉はとても不適切な感じがするのだけれど、それ以外に表現する術を僕が持っていない・・・なんとも悲しい、この才能のなさが・・・)。
失ったものがとても大きいのだけれど、得たものも大きい。ユキという年の差の友達?ガールフレンド?を失った(というか自分のもとから巣立った)のは少し寂しく喜ばしい出来事で・・・

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」このシリーズの中では、もっとも前向きというか希望がもっとも大きい小説だったように思う。

けれど、やはり全体に覆っている自分が背負うもの・失ってしまうもの・失ってしまうかもしれないという漠然とした恐れ、といったものも多くて、年齢をを経れば経るほど、漠然と分かるというかその通りだというか、身にしみるものが多い、という印象をうけました。

若いときにも、とても感じ入るものがあったのだけれど、年を経てもまだ新たに感じ入るものがある、これが村上春樹作品なのか、と思う。
だからこそ世界中で読まれているのだろうと思う。
何となく、普遍的なテーマがちりばめられているのでしょうね。

あ、今「1973年のピンボール」を読んでいるのだけれど、やはり文章が若いと感じますね。かつて読んだときにはそんなことは感じなかったのに、なぜか今はそう感じます。
村上春樹の文章がどんどん深みを増してきているからなのか、主人公が若いということでどんどん共感できなくなってきているからなのか・・・あるいは自分が年をとって透明感のある、あるいは「理由なき反抗」的な理由なきイラつきなどがわからなくなってきているからなのか・・・あるいは何となく字面を追いかけてしまっているからなのか・・・

また、何年語ってから改めて「1973年のピンボール」を読み返してみよう、とも思ったのでした。