バリん子U・エ・Uブログ

趣味、幸せ探し! 毎日、小さな幸せを見つけては、ご機嫌にハイテンションに生きているMダックスです。

ギフト

2016-08-21 23:28:18 | Weblog
2016.8.15

『3月のライオン おさらい読本 中級編』P46のスミスちゃんといちごちゃんの暮らし、爆笑!
でも、すごくわかる!激しく共感!

バリちゃんもわたしたちの宝石だったよ。
神様がくださったギフトだったと思ってる。
バリちゃんと暮らした日々は、もちろん、本当に幸せだった。
人からは大変だね。って、言われるような毎日でも、自分は世界中で最も幸せだと思っていた。
条件とか、要素があって、幸せかどうか決まるんじゃないってことが分かった。
ただ、幸せだって実感するだけなんだって、バリちゃんと暮らして知った。
悲しいことや辛いことがあって、バリちゃんを抱きしめて慰められて幸せになる。そんなことでもなかった。
「かわいいね。大好き!」って思って抱きしめて、「大好き! 大好き!」ってバリちゃんが応えてくれて、
ただ、それだけで、とてもとても幸せだった。

今でも、同じだよ。
バリ、大好き。愛してる。
バリの大好きって気持ちも届いてるよ。
ありがとう、バリ。

高階杞一詩集

2016-08-20 18:10:03 | Weblog
2016.8.15

ペットロスのカテゴリーのお話を再び公開にしました。
バリちゃんを見送ったわたしの心をなぐさめるために書いた話ですが、もし、大切な家族を亡くした誰かの心を慰めることができればいいなと思うので、公開にしておきます。

「〈愛〉は言葉の形を得てよみがえる」(谷川俊太郎)
高階杞一詩集の帯に、谷川俊太郎さんが書いていた言葉です。
高階さんの詩も紹介したいのですが、切り取って引用するような詩ではないし、現代の詩人なので全編引用するわけにもいかないので、帯とタイトルだけの紹介にとどめます。
4歳の誕生日を目前に逝った、先天性の難病をもった息子さんへの詩です。

『いや、何でもないんだ』最後の10行が特に好きです。
『家には誰も』わたしといなかったの生活も三年になるよ。でも、本当はいるんだよね。ずっと、いるんだよね。もしくは、いたんだよね。・・・・。
『返事』すごい好き。多分こんな風に手紙を書き、こんな風に返事をもらい続けていたから、生きてこられた。
『小さな質問』これは、この作者しか言ってはいけない言葉なんだと思う。他の誰が誰に言っても、こんなに美しく愛に満ちた重い言葉にはならないと分かっている。それでも、わたしもバリちゃんに、囁きたくなる。「ここに今  君が必要だから」
『草の実』美しい地球の真理だ。そして、朗読したら、泣くな。
『夏の散歩』愛してる、バリ。ありがとう、バリ。
『純朴な星』"「ずっと手をつないでくれてありがとう」それがこの星でのお別れの言葉です"  
 うん。バリ、おねえちゃんもこのパパと同じ気持ちだよ。ごめんね。あれが精一杯だった。ありがとう、愛してる。愛してる、バリ。

ところで、わたしは、ペットロスのカテゴリーに置いたお話しを書き上げた後は、ものすごい勢いで『天国ドッグ』という童話を書いていました。
さすがにこれは、ブログで公開できませんね。自分と家族1のための童話です。・・・・・まぁ、家族1は読みませんけどね。飲んでるときに、話してあげる感じです。
バリ、お兄ちゃんもバリが活躍するお話しを楽しそうに聞いてるよ。たまに、バリはそんなことはしないって、だめ出しもでるよ。

ブログはアップしていませんでしたが、まだまだ、じたばたしています。


『また来ん春・・・・・』  中原中也

2016-08-19 16:46:48 | Weblog
2016.8.15

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るぢゃない

(中略)

ほんにおまへもあの時は
この世の光のただ中に
立って眺めてゐたっけが・・・・・

(『また来ん春・・・』 中原中也)


中也が息子の文也を亡くした時に作った詩です。
中也はすごいな。
真っ直ぐに悲しみに向き合って目をそらさない。純粋に悲しむ。

わたしにはここまで正面切って、悲しみと向き合う根性は無いです。
悲しんだら、果敢に闘病生活を送ってくれたバリに申し訳ないと思ってしまう。
バリを責めているような気がして、気が引ける。
そして、やっぱり防衛本能が働いてしまう。

中也は文也の死後、精神病院に入院し、翌年に亡くなっています。
・・・・・そりゃ、そうなるよね。
こんな悲しみ方をしちゃ、生きていけないわ。

それでも、何度となくこの詩句を思い出し、何度も口にせずにはいられませんでした。



愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するもの死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらうこともなったら、

奉仕の気持ちに、なることなんです。
奉仕の気持ちに、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

(『春日狂想』 中原中也)

願い

2016-08-18 12:38:10 | Weblog
2016.8.15

お盆休み中と言うことで、絶賛弱音吐き中です(-_-;)

バリちゃんが来たときから、バリちゃんの方が先に逝くことはわかっていたし、どれだけ愛おしく思っているかもかなりしっかり自覚できていた。
だから、(後悔することはないかっていうとそれはもちろんあるんだけれど、)最善は尽くしたし、とても幸せな日々を過ごした。
もう一度、人生をやり直させてあげるって言われて、あの日々よりうまくやりきれる自信も、正直なない。

だから、願いは

"君の側で眠らせて"

    宇多田ヒカル『Beautiful World』
に尽きるのかな。

つらくて、悲しいとき『Beautiful World』がリフレインする。
そう言えば、バリと一緒にいたときだって、つらいこと、悲しいことはあったよね。
いつも、バリがその優しさや温かさで癒してくれていたんだよね。ありがとう。
そして、今も眠りに陥る瞬間にはバリが横にいてくれるような感覚が戻ってくる。


ありがとう、バリ。愛してるよ。


人生麻雀

2016-08-17 00:12:44 | Weblog
2016.8.14

麻雀というゲームは28000点の持ち点からスタートします。
(家庭麻雀しかしたことが無いので、正式なルールと違っていたらごめんなさい。)
30000点になって、プラスマイナス0です。
つまり、マイナススタートのゲームですね。

「あ。30000点になった。これで、負けがなくなったわ。」
20代の時にある出来事があり、そう強く実感しました。
いや、本当の麻雀は何万点取ろうと、振り込めば、お支払いして、再びマイナスになることが多々あるのですよ。
ただ、まぁ、わたしの麻雀スタイルはとにかく、必死で30000点まで貯める。貯まった30000点は何があろうと崩さないというスタイルだということもあり、わたしの人生麻雀ではマイナスはなくなったなぁと。
その後、バリと出会い、暮らし、とてもとても幸せでした。満貫の連発的な?!
わたしは自分のことを銀河系でいちばん幸せだと思っていましたから。
そして、バリと暮らし初めて五年目くらいかな。
「どんなに下手打っても、32000点は残る。この勝負、絶対に負けはなくなった。」
またも、突然、心の声がわたしに告げました。

と、いうわけで、今でも不幸ではないです。幸せです。
ありがとうね、バリちゃん。愛してるよ。

まだ泣くサ

2016-08-16 23:54:13 | Weblog
2016.8.14

先日、家族1とバリの病気を知らされたときの話をしようとして、いきなり泣きそうになった自分にびっくりした。
今年も桜の花を見に行って、泣いた。でも、まぁ、それは織り込み済みというものだし、きっと、まだ泣くよね。と覚悟をしていたので、驚きはなかったのだが。いやぁ、あの頃のように、感情と別の所で、いきなり泣けてきたので驚いた。

バリちゃんを見送った頃は、胃の状態が悪く、アルコールは摂取できませんでした。
次の年は、少し胃の調子は良くなったけれども、飲んだら来るよね。って感じだったので、すごくセーブしていました。
その翌年は、飲んだら泣くよね。生きてるのがつらくなるよね。って、感じだったので酔っ払うのは自粛していました。
本格的、飲酒復活は今年からという感じですが、いやぁ、つらいですね。少し飲み過ぎて理性が吹っ飛ぶと、ホント、つらいです。
まぁ、バリちゃんのおかげで深酒ができず、健康にいいと思うことにします。
どこまでも、わたしのために尽くしてくれるバリちゃん。ありがとうね。

バリ、愛してる。

ところで、『3月のライオン』の二階堂君ちのエリザベスちゃん、かわいいです。
10巻 Chapter.101の扉絵の次のページが激しくツボ!
6巻 Chapter.58の思慮深い愛犬エリザベスをごらんの後、ご鑑賞ください。

バリちゃーん!!




祈り

2016-08-15 23:39:47 | Weblog
2016.8.14

「あなたが、あんなにすっぱりと決断できるなんてお母さんは思っても見なかったし、今でも信じられないような気がする。」
実家に行って、バリを見送った時の話になり、母に言われた。

「バリが、元気に賢くかわいく育ちますように。」
「バリが健康でいられますように。バリの一生が実り多い、豊かな楽しい、わたしたちと過ごすものでありますように。」
「バリが安全に健康にバリらしく、わたしたちと一緒に暮らせますように。」
お母さん、わたしはバリちゃんと暮らし始めてからずっと、そんなふうに毎日祈っていました。
そして、バリ生前の最後の祈りは、
"バリにとって一番いい時をわたしが見誤りませんように。"だったんですよ。

自分のつらさや寂しさなんて考えている余裕はなかった。

でも、それで良かった。神様に感謝しています。
バリに、あの小さな勇者に耐えきれない苦痛の叫び声を上げさせることなく見送れた。
神様ありがとうございます。

バリ、愛してる。愛してる。

大事なことはみんなバリが教えてくれた

2016-08-14 22:36:51 | Weblog
お盆休みで久し振りにゆっくりとテレビドラマを見た。
虐待された子どもを引き取る夫婦のお話。
お義母さんがホントにだめだめで、子どもの寂しさとか、子どもが自分に向ける愛情に全く気付いてあげない。
母親になったのに自分自身がわがままな子どもで、イライラしながら、見ていたのが、ふいに
"あぁ、わたしも、そうだったな。"と思い当たってしまった。

バリちゃんがうちに来た頃、"かわいい"っていう気持ちと、"いい子に育てなきゃ"っていう気持ちの間を不安定に行き来していたな。
いつ、気が付いたんだろう。
かわいいっていう気持ちと、いい子に育てなきゃって気持ちは一つの心の中に混じり合わせておけばいいんだ、心の両端に置くもんじゃないんだって。
気が付いてからは、とても自然に愛して可愛がって、いろいろなことを焦らずに楽しく教えてあげられるようになったね。


それから、初めの頃は、飼育本を鵜呑みにして、自分は試されてるんじゃないか、権勢症候群になっちゃうんじゃないかって、不安で、厳しくしたな。
心にはあふれるほどの愛情があるのに、不器用でうまく愛してあげられなかったね。
バリちゃんがすべり台でパッドをすりむいて痛くって、"抱っこして。"ってお願いをしてたのに気付いてあげられずに、無理矢理、歩いて帰らせた日。途中で、バリちゃんが意を決したように歩き出したのを見て、"ほら、やっぱり、わがままだったんだ。だまされて、甘やかしたりしないからね。"そんなことを思って帰宅した日。お家について、バリちゃんがパッドを傷めているのに気付いた。
あの瞬間からわたしは、飼育書よりも、人の言葉よりも、バリちゃんを信じることにした。
バリちゃんはわたしをだましたりしない。わがままを言ったって、いいたい理由があるからなんだ。わたしは、バリを信じる!!
自分でも、いい決心だったと思うよ。
今を思えばバリちゃんは腰が弱かったんだよね。早い時期から無理をさせずに、抱っこをせがまれたら抱っこをしてあげていて良かったよ。少しでも、辛い思いをさせずにすんで良かった。
それから、バリちゃんのお耳が悪くなったときも、お耳が悪くなっていることなんてその頃はまったく分からなかった。バリちゃんが甘えん坊でぶみぶみ言っているのかと思っていた。もちろん、そのときにお医者さんに詳しく見てもらえればベストだったんだろうけど、でも、バリちゃんがわがままを言っていると思って叱ることは無くて本当に良かったよ。あの時、辛いって言っているバリちゃんを、叱りつけていたらって思うとぞっとする。

ありがとう、バリ。
バリと暮らせてとっても幸せだった。
愛すること、信じることをたくさん教えてくれたね。
生きている瞬間を楽しむことを教えてくれたね。

ありがとうバリ、愛してる。愛してる。愛してる。