ひさかたのひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ
紀 友則
なぜこの歌が昔から愛されてきたかということを考えてみますと、この花は風に吹かれて散っているのではないようです。「ひさかたのひかりのどけき」という言葉から察するに、この日、紀友則が眺めている桜の花は、風に吹かれているわけでもないのに自然にはらはらと散って、しまいにはほとんど切れ目なしに散るという感じ、言いかえると、命を全うして満ちたりた花が花みずからの意志によってゆっくりと散ってゆく。ゆっくり散り始めた花が、次第に切れ目なしに散るというような情景であろうと思います。
これは、桜の散る姿でも、惜しいなあということではなく、充分に生ききった花が散っていく、その姿をとらえている歌で、そのために読んで何ともいえぬのびやかさと充実感がある。調べがのびのびしています。
今日はお休みでした。
家族1は仕事だったので、家族三人でお花見に行っていた公園にひとりでお花見に出かけました。
最初の年と最後の年以外は、毎年たくさんバリと桜を見ました。家族三人で、バリと二人で、たくさんたくさん桜を見ました。
桜をバックにバリの写真を撮るのが好きでした。高いところに抱き上げられても怖がることなく、きりっと空と桜を見上げていたのは信頼してくれていたんだな、と、今になって思います。
桜の絨毯の上で、わたしを見上げるバリの写真を撮るのが好きでした。そこには確かな愛がありました。
今日はひとりで、バリの面影とお花見をしました。
・・・・・もちろん、泣いたさ。
でも、わたしはバリといていつも幸せだったし、バリとの思い出は優しく美しいものばかりです。
家族1を駅まで迎えに行ってきます。帰りに夜桜をふたりで見上げようと思います。
散る桜 残る桜も散る桜