『花のたましい
金子みすゞ
散ったお花のたましいは、
み佛さまの花ぞのに、
ひとつ残らずうまれるの。
だって、お花はやさしくて、
おてんとさまが呼ぶときに、
ぱっとひらいて、ほほえんで、
蝶々にあまい蜜をやり、
人にゃ匂いをみなくれて、
風がおいでとよぶときに、
やはりすなおについてゆき、』
この詩と同じ感覚で、わたしはバリが死んでも幸せになれることを確信していました。
だから、宗教的なお見送りはしませんでした。
宗教という枠に捕らわれず、真に自由に幸せになって欲しい。
むしろ、わたしが宗教の枷をかけない方が、幸せになれると思いました。
「わたしに報いたいと思うならば、わたしの説いた教えを大切にし、教えを実践して欲しい。
ただ一筋に教えを守りぬくものこそ、私につかえ、私を敬うものである。
香や、華や、伎楽をもってするのはほんとうの道ではない。
ひたすらに法を守り、法に生き、法のために精進するがよい。
これこそ、こよなき供養というものである。」
『金子みすゞの詩とたましい』酒井大岳
それでも、時には不安になっていたのだけれど、
"こよなき供養"っていうのは、花やお供えではなく、亡くなったものの遺志を継ぐことなのだという、このフレーズを読んでほっとしました。
きっと、バリなら言うんだろうな。
「あのね、バリのためにしてくれるなら、バリがお願いしたことをして欲しいの。バリがしてたことをして欲しいの。
幸せでいてね。愛してね。愛されてね。楽しんでね。おいしいものを、おいしい。おいしい。って食べてね。
そうしてもらうのが、バリ、一番嬉しい。
ずっと、一緒にそうしてきたから、大丈夫、ひとりでもできるよ。そうしてね。」
愛してる、バリ。