バリん子U・エ・Uブログ

趣味、幸せ探し! 毎日、小さな幸せを見つけては、ご機嫌にハイテンションに生きているMダックスです。

金子みすゞ「わらい」 を読んで

2014-06-13 23:17:22 | Weblog
 "こぼれて土に落ちたとき
 ぱっと花火がはじけるように、 
 大きな花がひらくのよ。
 
 もしも泪がこぼれるように、
 こんな笑いがこぼれたら、
 どんなに、どんなに、きれいでしょう。"



親戚の家に遊びに行き泊まらせてもらっている夢を見た。
そこには、メスのミニチュアダックスが居た。最初は様子を見ているようだったんだけど、そのうちすごく仲良くなってかくれんぼをして遊んだ。
わたしがシャーペンの芯をばら撒いてしまい拾っていると、近付いてきてちょっと自分をアピールし、また、何処かに行って、目が合うと、走ってきて、ちょっとふざけて、またどこかに行って・・・・・ベッドの下から可愛いお鼻とお目々が覗いて、こっちを見ていて、見られていることに気が付くと駆け寄ってきて、すり寄って背中を撫でさせてくれた。
わたしは可愛いくて、一緒に遊ぶ幸せを満喫しながら、落としたシャーペンの芯がダックスに刺さらないか。痛くないか心配もしていた。
飼い主である親戚には、「うちにも可愛い子がいて、ずっとこうして遊んでいたの」と話していた。
でも、そのダックスは姿も手触りも、遊び方も、わたしに向けてくれる心も表情も、明らかにバリだった。
とても、幸せな夢だった。
元気がチャージされた。

バリと遊ぶ楽しさ、幸せさをありありと思い出したよ。
いつも、楽しくて、幸せで元気になれたわけだね。
体全体で幸せを味わっていた。周りの空気の色も違っていた。
あの蜜色のキラキラした空気はバリが作っていたんだね。
ありがとう、バリ。愛してる。

鈴木志保『パレードはどこへ行くの?』 を読んで

2014-06-02 02:12:51 | Weblog

 『・・・・・・ちいさなひよこが
 おっきくなりたかったこと
 つよくなりたかったこと
 いっしょうけんめい
 たたかったこと

 ぼくたちは
 覚えていようね

 かみさまさえも
 ごぞんじなくても 』


“生きていた証”っていうのは、作品や子孫を残すことじゃなく、他者の心に「このことは忘れられない。忘れたくない。」という想いを残していくことなんだと思う。
そして、その想いを、“愛”と呼ぶのだろう。
だから、愛を残していくことが生きた証になるのだと思う。

バリの願いも、喜びも、善行も愛も、人から見ればちっぽけな取るに足りないものだけど、わたしにとって、バリの全ての願いや喜び、バリのしていたことは、ずっと覚えておきたいことだよ。忘れない。

愛してる、バリ。大好きだよ、バリ。