川村カオリを意識したのは深夜ラジオのCMの時間に流れて来た「僕達の国境」という曲を聴いてから。
国境線を越えて今すぐ君に会いにいくよ
壮大でロマンチックな歌詞と曲を聴いて、頭に思い浮かんだのが「クリススタルナハト」や「R.E.D.」を既に出していたパンタ。
パンタが作った曲に違いないと思い買ったシングルCDには、もちろんパンタのクレジットは無かったわけですが、当時の川村カオリの曲作りをしていた人は明らかにパンタの影響がある。
後にパンタは川村カオリに曲を提供し、復活頭警に川村カオリが参加した事もあるのです。
そんな彼女のオールナイトニッポンを聴いていたのが、彼女が19から20歳になる時期だった。
視覚の無い聴覚だけのラジオというのは不思議で、テレビでは有り得ない親近感が芽生え、その時点で若くもない俺が「カオリキッズクラブ」なんてファンクラブにまで入ってしまうのでした。
自分が当時から好む音楽とは近いようで遠い音楽をやる女の子だった川村カオリ、デビュー当時の事務所を辞めてからは決して順調とは言えない活動だったようだし、かなり厳しい人生だったと聞いている。
今年の彼女の誕生日、1月23日には久々にバースデーライブが行われたのも聞いていた。
病気を胸にしまい込んだ彼女の歌は、以前とはまた違った説得力のあるものだったに違いない。
ファンクラブに在籍していてライブのチケットを買うと、最前列の真ん中なんて席が来たもので、女子高生あたりが中心のファンに囲まれて浮きまくりだったな(笑)
あそこに集まってた女の子達にとって、俺には想像がつかないくらい重要な人だったはず。
R.I.P.
国境線を越えて今すぐ君に会いにいくよ
壮大でロマンチックな歌詞と曲を聴いて、頭に思い浮かんだのが「クリススタルナハト」や「R.E.D.」を既に出していたパンタ。
パンタが作った曲に違いないと思い買ったシングルCDには、もちろんパンタのクレジットは無かったわけですが、当時の川村カオリの曲作りをしていた人は明らかにパンタの影響がある。
後にパンタは川村カオリに曲を提供し、復活頭警に川村カオリが参加した事もあるのです。
そんな彼女のオールナイトニッポンを聴いていたのが、彼女が19から20歳になる時期だった。
視覚の無い聴覚だけのラジオというのは不思議で、テレビでは有り得ない親近感が芽生え、その時点で若くもない俺が「カオリキッズクラブ」なんてファンクラブにまで入ってしまうのでした。
自分が当時から好む音楽とは近いようで遠い音楽をやる女の子だった川村カオリ、デビュー当時の事務所を辞めてからは決して順調とは言えない活動だったようだし、かなり厳しい人生だったと聞いている。
今年の彼女の誕生日、1月23日には久々にバースデーライブが行われたのも聞いていた。
病気を胸にしまい込んだ彼女の歌は、以前とはまた違った説得力のあるものだったに違いない。
ファンクラブに在籍していてライブのチケットを買うと、最前列の真ん中なんて席が来たもので、女子高生あたりが中心のファンに囲まれて浮きまくりだったな(笑)
あそこに集まってた女の子達にとって、俺には想像がつかないくらい重要な人だったはず。
R.I.P.