このブログにお付き合いしてくれてる素晴らしいみなさん、多分お気づきでしょうが、私はパンクなんて音楽が出てきた時すっかりやられちゃった人間です。
ニューヨーク・アンダーグラウンドで産声をあげたパンクなる音楽、それに呼応するようにイギリスでもいろいろなパンク・バンドが登場してきます。
パンク・バンドと、それに近いそれ以前のバンド、どこで線を引くかはとても難しいような気がします。
パブ・ロックと呼ばれるドクター・フィールグッドなんかもパンクに近いし、当時の日本での紹介のされかたもパンクに括られていたような気がします。
では実際に、一般的にUKパンク・バンドで最初にレコードを出したと言われるのが「ダムド」です。
私なんかが思い浮かべる、典型的なパンク・バンドの原型がこのバンドです。
少し前からの、過去作品のボーナス・トラックを加えての再発も気にはなっていました。
で、今回のこの3枚組CD、これはさすがに見逃せないリリースでした。
ダムドは1976年に、スティッフからレコード・デヴューします。
シングル「ニュー・ローズ」「ニート・ニート・ニート」、そしてアルバム「ダムド・ダムド・ダムド」。
UKパンク最初のレコードでした。
そのスティッフ時代のシングル、アルバムからの抜粋、ピール・セッション、デモ、ライブ音源を2枚組のCDに網羅。
そして76年、レコード・デヴュー時のライブを収録したCDを加えたものがこのセットです。
このバンド、解散したかと思えば再結成ライブを行う、噂を聞かないと思えば今年も来日していたとか、メンバーは替われど未だ存続しているバンドです。
しかし一番の黄金メンバーがこの時期、ブライアン・ジェームス、デイブ・ヴィニアン、キャプテン・センシブル、そして個人的にはダムドの象徴だと思っているのが、ツェッペリンのボンゾも大ファンで親友だったと言われるラット・スキャビーズ。
この時期の音源です、CDプレイヤーをランダムに設定、どの曲が出てきても最高のロックン・ロールが聴けます。
とくに「ニュー・ローズ」、この曲のイントロを聴くだけで、俺のどこかのスイッチがオン、体内でアドレナリンが流出するのを感じます。
こんなダムドの初来日が告知されたのが85年くらいだったと思います。
どういう経緯だか知りませんが、チケットは青山にあったパイド・パイパー・ハウスという、俺に言わせれば大した品揃えではなかったけど、一部では伝説のレコード店なんて言われる小さい店で優先的に発売。
そこまで買いに行きました。
嫌な予感はありました。
当時のダムドはキャプテンも抜けていて、デイブとラットがオリジナル・メンバー。
その頃出したレコードが、なんだか中世ヨーロッパを思わせるような大言壮語な音で最悪。
渋谷公会堂の結構よい席で観たのですが、白い衣装をまとったデイブがヒラヒラと彷徨っていたイメージしかありません。
あんなに恋焦がれたダムドを目の前に、私と友人口をポカーンと空けてしまいました。
その後です、前回はごめんなさい状態のダムド、今度はクラブ・チッタで、しかもブライアンを含めたスティッフ時代のメンバーで来るという。
燃えました、今度は間違いないだろう。
だけど少し不安がありました、ブライアン来るのかな?
不安は的中、来日直前になってブライアンは俺は行かねーよと言ったとか(笑)。
しかし今度は大丈夫だろう、なにしろキャプテン・センシブル、おりこう船長も来る事だし。
いやはや壮絶なライブでした、なにしろステージ前にいた俺、人の頭にダイビングなんて無茶苦茶に楽しいGigでした。
大乗のキャプテンもズボンを下ろして尻を出すという大サービス。
目の前にいた俺、キャプテンのチンポもしっかり見させてもらいました。
来日したバンドのメンバーで、ステージでチンチン出したの見たのはキャプテンとイギー・ポップだけです、見たくはないけどね。
デイブはヒラヒラの白い服はやめて、吸血鬼スタイルで顔も真っ白にしてました。
クラブ・チッタでのリハ終えて、本番前にメンバーみんなで近くのマックに行ったらしいんですね。
すでにみなさんお化粧済みでステージ衣装も着込んで。
デイブとキャプテンがあの状態なんで、近くの女子高生に(きゃ~、アダムス・ファミリ~!!)なんて叫ばれたらしいんですが、メンバーはニコニコ喜んで脅かしていたそうです。
こなかったブライアン・ジェームスは、多分それの少し前、デッド・ボーイズのスティーブ・ベイターズと、ロード・オブ・ニュー・チャーチの中心メンバーとして来日。
ツバキ・ハウスの一番前で見ましたが最高にイカしてました。
ニューヨーク・アンダーグラウンドで産声をあげたパンクなる音楽、それに呼応するようにイギリスでもいろいろなパンク・バンドが登場してきます。
パンク・バンドと、それに近いそれ以前のバンド、どこで線を引くかはとても難しいような気がします。
パブ・ロックと呼ばれるドクター・フィールグッドなんかもパンクに近いし、当時の日本での紹介のされかたもパンクに括られていたような気がします。
では実際に、一般的にUKパンク・バンドで最初にレコードを出したと言われるのが「ダムド」です。
私なんかが思い浮かべる、典型的なパンク・バンドの原型がこのバンドです。
少し前からの、過去作品のボーナス・トラックを加えての再発も気にはなっていました。
で、今回のこの3枚組CD、これはさすがに見逃せないリリースでした。
ダムドは1976年に、スティッフからレコード・デヴューします。
シングル「ニュー・ローズ」「ニート・ニート・ニート」、そしてアルバム「ダムド・ダムド・ダムド」。
UKパンク最初のレコードでした。
そのスティッフ時代のシングル、アルバムからの抜粋、ピール・セッション、デモ、ライブ音源を2枚組のCDに網羅。
そして76年、レコード・デヴュー時のライブを収録したCDを加えたものがこのセットです。
このバンド、解散したかと思えば再結成ライブを行う、噂を聞かないと思えば今年も来日していたとか、メンバーは替われど未だ存続しているバンドです。
しかし一番の黄金メンバーがこの時期、ブライアン・ジェームス、デイブ・ヴィニアン、キャプテン・センシブル、そして個人的にはダムドの象徴だと思っているのが、ツェッペリンのボンゾも大ファンで親友だったと言われるラット・スキャビーズ。
この時期の音源です、CDプレイヤーをランダムに設定、どの曲が出てきても最高のロックン・ロールが聴けます。
とくに「ニュー・ローズ」、この曲のイントロを聴くだけで、俺のどこかのスイッチがオン、体内でアドレナリンが流出するのを感じます。
こんなダムドの初来日が告知されたのが85年くらいだったと思います。
どういう経緯だか知りませんが、チケットは青山にあったパイド・パイパー・ハウスという、俺に言わせれば大した品揃えではなかったけど、一部では伝説のレコード店なんて言われる小さい店で優先的に発売。
そこまで買いに行きました。
嫌な予感はありました。
当時のダムドはキャプテンも抜けていて、デイブとラットがオリジナル・メンバー。
その頃出したレコードが、なんだか中世ヨーロッパを思わせるような大言壮語な音で最悪。
渋谷公会堂の結構よい席で観たのですが、白い衣装をまとったデイブがヒラヒラと彷徨っていたイメージしかありません。
あんなに恋焦がれたダムドを目の前に、私と友人口をポカーンと空けてしまいました。
その後です、前回はごめんなさい状態のダムド、今度はクラブ・チッタで、しかもブライアンを含めたスティッフ時代のメンバーで来るという。
燃えました、今度は間違いないだろう。
だけど少し不安がありました、ブライアン来るのかな?
不安は的中、来日直前になってブライアンは俺は行かねーよと言ったとか(笑)。
しかし今度は大丈夫だろう、なにしろキャプテン・センシブル、おりこう船長も来る事だし。
いやはや壮絶なライブでした、なにしろステージ前にいた俺、人の頭にダイビングなんて無茶苦茶に楽しいGigでした。
大乗のキャプテンもズボンを下ろして尻を出すという大サービス。
目の前にいた俺、キャプテンのチンポもしっかり見させてもらいました。
来日したバンドのメンバーで、ステージでチンチン出したの見たのはキャプテンとイギー・ポップだけです、見たくはないけどね。
デイブはヒラヒラの白い服はやめて、吸血鬼スタイルで顔も真っ白にしてました。
クラブ・チッタでのリハ終えて、本番前にメンバーみんなで近くのマックに行ったらしいんですね。
すでにみなさんお化粧済みでステージ衣装も着込んで。
デイブとキャプテンがあの状態なんで、近くの女子高生に(きゃ~、アダムス・ファミリ~!!)なんて叫ばれたらしいんですが、メンバーはニコニコ喜んで脅かしていたそうです。
こなかったブライアン・ジェームスは、多分それの少し前、デッド・ボーイズのスティーブ・ベイターズと、ロード・オブ・ニュー・チャーチの中心メンバーとして来日。
ツバキ・ハウスの一番前で見ましたが最高にイカしてました。