明治の終わり頃、親鸞についての客観的記述が本願寺宗門以外にみられないことを理由に、「親鸞」は実在せず,本願寺によるフィクションではないかという議論がなされたことがあった。これを最終的にくつがえしたのが、親鸞の妻、恵信尼の手紙の発見である。鷲尾教導という学者が京都,西本願寺の宝庫を整理中に、親鸞の死後,越後にいた恵信尼が京都の末娘覚信尼にあてて書き送った8通の手紙を発見した。それが「恵信尼消息」である。「妻恵信尼からみた親鸞ー「恵信尼消息」を読むー(上)(下)」(日本放送協会)は,恵信尼消息をテキストに、山崎龍明氏が、親鸞の人と暮らし、家族、信仰についてわかりやすく解説した本である。2004年10月から2005年3月までのNHKラジオ放送のテキストとして使われた。非常にこなれたすぐれた本、というのが読みながらの感想。たとえば、「五重の石塔」をつくりたいと望んだ恵信尼の信仰が、夫である親鸞の信仰と同じものであったかいなか、というような問題について、バランスのよい、十分了解できる説明がなされている、と感じた。山崎氏はテキストの分析のみならず、夫婦関係等の一般的問題についてご自分の考えを積極的に述べられているが、ほとんどすべてが私にも納得いくものだった。自力他力の問題を扱った箇所(第十五講)で、小林一茶の
ともかくもあなた任せのとしの暮
という名句が紹介されているが、これもたのしい。
恵信尼消息から
さて、常陸の下妻と申し候ふところに、さかいの郷と申すところに候ひしとき、夢をみて候ひしやうは、堂供養かとおぼえて、東向きに御堂はたちて候ふに、しんがくとおぼえて、御堂のまへにはたてあかししろく候ふに、たてあかしの西に、御堂のまへに、鳥居のやうなるによこさまにわたりたるものに、仏を掛けまゐらせて候ふが、一体はただ仏の御顔にてはわたらせたまはで、ただひかりのま中、仏の頭光のやうにて、まさしき御かたちはみえさせたまはず、ただひかりばかりにてわたらせたまふ。いま一体はまさしき仏の御顔にてわたらせたまひ候ひしかば、「これはなに仏にてわたらせたまふぞ」と申し候へば、申す人はなに人ともおぼえず、「あのひかりばかりにてわたらせたまふは、あれこそ法然上人にてわたらせたまへ。勢至菩薩にてわたらせたまふぞかし」と申せば、「さてまた、いま一体は」と申せば、「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房(親鸞)よ」と申すとおぼえて、うちおどろきて候ひしにこそ、夢にて候ひけりとは思ひて候ひしか。
さは候へども、さやうのことをば人にも申さぬときき候ひしうへ、尼(恵信尼)がさやうのこと申し候ふらんはげにげにしく人も思ふまじく候へば、てんせい人にも申さで、上人(源空)の御事ばかりをば、殿に申して候ひしかば、「夢にはしなわいあまたあるなかに、これぞ実夢にてある。上人をば、所所に勢至菩薩の化身と夢にもみまゐらすることあまたありと申すうへ、勢至菩薩は智慧のかぎりにて、しかしながら光にてわたらせたまふ」と候ひしかども、観音の御事は申さず候ひしかども、心ばかりはそののちうちまかせては思ひまゐらせず候ひしなり。かく御こころえ候ふべし。
ー常陸の下妻「境の郷」にいたとき恵信尼が見た夢の記述。法然と夫親鸞をそれぞれ、阿弥陀如来の左右に仕える勢至菩薩(知恵の菩薩)、観音菩薩(慈悲の菩薩)の化身とする夢を,ある夜恵信尼は見た。法然を勢至菩薩とみる夢を見たことは夫親鸞に告げたが、夫を観音菩薩とみる夢のほうは告げなかった。手紙の最後の部分は、「殿(親鸞)を観音とみたことは申しませんでしたが、心のうちでだけは、その後は決して普通の方と思うことは、ありませんでした。あなたもこのように心得てください」(山崎氏訳)。亡くなった父親(親鸞)に対する敬意を末娘にもとめている。立派な手紙だ。
ともかくもあなた任せのとしの暮
という名句が紹介されているが、これもたのしい。
恵信尼消息から
さて、常陸の下妻と申し候ふところに、さかいの郷と申すところに候ひしとき、夢をみて候ひしやうは、堂供養かとおぼえて、東向きに御堂はたちて候ふに、しんがくとおぼえて、御堂のまへにはたてあかししろく候ふに、たてあかしの西に、御堂のまへに、鳥居のやうなるによこさまにわたりたるものに、仏を掛けまゐらせて候ふが、一体はただ仏の御顔にてはわたらせたまはで、ただひかりのま中、仏の頭光のやうにて、まさしき御かたちはみえさせたまはず、ただひかりばかりにてわたらせたまふ。いま一体はまさしき仏の御顔にてわたらせたまひ候ひしかば、「これはなに仏にてわたらせたまふぞ」と申し候へば、申す人はなに人ともおぼえず、「あのひかりばかりにてわたらせたまふは、あれこそ法然上人にてわたらせたまへ。勢至菩薩にてわたらせたまふぞかし」と申せば、「さてまた、いま一体は」と申せば、「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房(親鸞)よ」と申すとおぼえて、うちおどろきて候ひしにこそ、夢にて候ひけりとは思ひて候ひしか。
さは候へども、さやうのことをば人にも申さぬときき候ひしうへ、尼(恵信尼)がさやうのこと申し候ふらんはげにげにしく人も思ふまじく候へば、てんせい人にも申さで、上人(源空)の御事ばかりをば、殿に申して候ひしかば、「夢にはしなわいあまたあるなかに、これぞ実夢にてある。上人をば、所所に勢至菩薩の化身と夢にもみまゐらすることあまたありと申すうへ、勢至菩薩は智慧のかぎりにて、しかしながら光にてわたらせたまふ」と候ひしかども、観音の御事は申さず候ひしかども、心ばかりはそののちうちまかせては思ひまゐらせず候ひしなり。かく御こころえ候ふべし。
ー常陸の下妻「境の郷」にいたとき恵信尼が見た夢の記述。法然と夫親鸞をそれぞれ、阿弥陀如来の左右に仕える勢至菩薩(知恵の菩薩)、観音菩薩(慈悲の菩薩)の化身とする夢を,ある夜恵信尼は見た。法然を勢至菩薩とみる夢を見たことは夫親鸞に告げたが、夫を観音菩薩とみる夢のほうは告げなかった。手紙の最後の部分は、「殿(親鸞)を観音とみたことは申しませんでしたが、心のうちでだけは、その後は決して普通の方と思うことは、ありませんでした。あなたもこのように心得てください」(山崎氏訳)。亡くなった父親(親鸞)に対する敬意を末娘にもとめている。立派な手紙だ。
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