道徳教育推進教師

2008-07-21 | news

道徳教育」はどう変わるの.新学習指導要領案【Benesse(ベネッセ ...

 文部科学省が小・中学校の新しい学習指導要領の案を公表しましたが、改訂の柱の一つに、道徳教育の充実があります。その具体策の目玉が、「道徳教育推進教師」の配置です。今後、道徳教育はどう変わっていくのでしょうか。
 まず、道徳教育の現状を見てみましょう。今、「道徳」は教科ではなく、特別活動(学級活動、児童・生徒会活動、クラブ活動、学校行事)と同じように「領域」という位置づけです。小・中学校では週に1時間の「道徳の時間」がありますが、この授業だけが道徳教育なのではなく、学校の教育活動全体で道徳教育をするということになっています。また、高校には「道徳の時間」はなく、現代社会や倫理を中心にして、学校の教育活動全体をとおして実施するとされています。
 これに対して政府の教育再生会議は、小・中学校の道徳の時間を教科「徳育」として、教科書も作るよう提言したのですが、文科省の中央教育審議会は、道徳の教科化を見送りました。道徳の充実を主張する立場の人々からは、教科化の見送りについて強い不満が出されています。一方で、「学校の教育活動全体を通じて行う」という現行の位置づけは、ある意味で教科よりも重要であることを示しているとして、教科化に慎重な姿勢を示す道徳教育の専門家も少なくありません。
 教科書もなく評価もしないということで、一部の学校現場では指導の「手抜き」が行われていたことも確かです。かつて「道徳の時間」は、教育番組のビデオを見せるだけでおしまい、という例も多かったようです。また、道徳教育の年間指導計画を作成していなかったり、作成していても教員同士で周知徹底していなかったりする学校もありました。つまり、学校として統一した道徳の指導がされていなかった、ということになります。この背景には、道徳教育の実務上の責任者が誰かあいまいで、実質的には直接指導に当たる学級担任の先生にすべて任されていた、という事情があります。
 このため、各学校で道徳教育の責任者である「道徳教育推進教師」を置き、年間指導計画の作成や各教員に指導内容を周知徹底することをとおして、道徳教育を充実させようというのが、新学習指導要領のねらいです。「学校の教育活動全体を通じて行う」ということは変わりませんが、その前に「道徳の時間を要として」という言葉が追加され、道徳の時間の位置づけがより強化されています。
 ただ、「道徳教育推進教師」を置くといっても、先生が一人増えるわけではありませんし、特別な資格ができるわけでもありません。職員室の中の「役割分担」に過ぎない、とも受け取れます。結局のところ、道徳教育の充実は、学校全体としてどれだけ熱心に取り組むか、校長先生のリーダーシップと、先生方の意識にかかっている、と言えるでしょう。
<参考>
道徳教育について(文部科学省)

コメント
少し前の記事だが、勉強のため全文引用させていただいた。
「道徳の時間を要として」という言葉の追加と「道徳教育推進教師」を置く、というのがポイントのようだ。
これまで学校教育全体で徳育を行うというのを少し教科っぽくするのが前者、リーダーをつくるというのが後者。
ピンとこないなあ、というのが現場の反応ではないか。
とくに安倍さん辞職後の伝え聞く「教育再生会議」の地盤沈下を考えると、どこまで本気で取り組まなくてはいけないのか迷う、というところもあるだろう。
厚労省の年金偽装や周辺の混乱ぶり、さきの文部科学大臣の(有権者に対する)「目くらまし」必要発言などみると、生徒たちに道徳を教えて大丈夫かしら、という心配が先に立とう。
「約束した年金はきちんと支給すべきだ」、「政治家たるものは国民に目くらましすべきでない」などと生徒たちは言い出すかもしれない。
教育委員会の不正採用試験、不正昇任疑惑などを聞いた生徒たちは、そうか道徳の教科書に書いてあるのは建前なのだ、世の中には建前と本音、表と裏があるんだ、と「学ぶ」かもしれない。
こういう当然の心配がある。
世の中に不正はある。ただしそれは正される、というところを生徒たちに見せる必要がある。


 


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1 コメント

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Unknown (沙汰)
2008-09-09 06:09:59
これ流行の大麻とか強姦とか万引きとか、生徒側の犯罪だったら、どうなりますか?そこには警察のごとく、勝ち誇った教師の厳格な取り調べがあります。例えば、くるくるぱーの暴力にものを言わせる犯罪者顔の体育教師なら、刑事ドラマもどきの横柄な態度をやらかすだろうし、その後は事があれば嫌疑をかけるだろう。頭でっかちの国語教師ならば、犯罪贖罪後も、陰湿に生徒側をイジメたり、無視を決め込むだろう。特に嫌いな生徒ならば、後々の人格形成に多大な影響を与えることも考えもせずに、執拗ないやがらせを続けます。
そういう教師に限って「犯罪は、殺人であれ、盗みであれ、すべて平等である」とかいって問題の本質を遠ざけます。理解力、想像力も当然欠けるものです。教わった生徒側は、そうとうな心の傷がつくでしょう。感受性とロゴスの海を繊細に渡ろうとする多感な生徒ならば。あほはだめかもしれないけど(笑)。そういうクソ教員は、即刻、社会的精神的に殺せばいい。被害者の気持ちが分かるまで教師たちを精神的に殺しまくる。くるくるぱーは死ぬまでわかりませんので。誤謬性をでっち上げ頑固な理解に固執します。
そこには日本の教育の欠陥と問題点が存在しているように思います。
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