沖深み釣する海人の漁火のほのかに見てぞ思ひ初めてし

2006-09-04 | 親鸞

 

「法然の哀しみ」を読んで、法然の周辺に関心をもち、ネットをチェックしてみた。犬も歩けば棒にあたる?二つのよいサイトがあった。

一つは、浄土宗公式サイト。とくに「平家物語新聞」、なかでも「次々に法然門下となっていく登場人物たち」が面白かった。(http://www.jodo.or.jp/heike/4heike/1.html

如 是 我 聞
平家物語全編に色濃く影を落とす無常観は、法然浄土教の哲理に深く根ざしている。
物語の謎の作者群はことごとく法然ゆかりの人々であり、そして登場人物は実際に次々に法然門下となっていく。
虚しい戦いの後に開ける静かな残照。西方へ西方へ。人々は思いを一にして口称念仏の道を歩む。最初は数人が声高らかに。そして続く人々が和して次第に低く、しかし大きなうねりとなり、やがて全国に拡がり、地を揺るがすごとき

平家物語が法然浄土思想にねざす文学である,ということは「法然の哀しみ」を読むまで気づかなかった。「物語の謎の作者群はことごとく法然ゆかりの人々であり、そして登場人物は実際に次々に法然門下となっていく」は興味ある見方だ。

同じ「平家物語新聞」の

式子内親王と法然上人はメル友だった!
    聖如房あるいは承如房、あるいは正如房。伝によって表記はことなるがこの尼僧が式子内親王であることがこのたび判明した。
内親王は和歌の名手。新古今集や千載集にも幾首も採られ、生涯394首も詠んだことが知られる。百人一首でも知られている高貴の婦人である。この内親王と法然上人の間で往復書簡が交わされている。

同じ仏の国にまいりあひて、蓮のうえにてこの世のいぶせさも、ともに過去の因縁をもかたり、たがひに、未来の化導をたすけむ事こそ、返す返すも詮にて候べきと、はじめより申しおき候しが……

も面白い(「メル友」とは、浄土宗にはなかなか楽しい人がおられる)。石丸晶子氏の「式子内親王ー面影人は法然」は,題名にひかれ以前手に取ったことがあるが・・・上は、死が近く、会いたいという内親王の頼みにこたえられない法然が書いた長い手紙の一節。「はじめより申しおき候しが」という句が印象的だ。

いま一つは、そのヒロイン式子(しょくし)内親王を解説したサイト。http://light21.s26.xrea.com/shikishi/shikishi01.html

彼女の生涯と歌のいくつかを鑑賞することができる(美しい写真付き)。冒頭の歌はそこから。次はサイト作者によるその読み。

沖合遙か、釣りをしている漁師の焚く漁り火が、岸辺に立って眺めるとほのかに点滅して見えるけれど、そのようにわたしは、あのお方を遠くからほのかに垣間見て以来、心を寄せるようになったことだ。沖合遠く漁り火を焚いて漁をする海人と、岸辺に立って遠く海人を眺める女の間には大海原という障害が立ちはだかっている。

とりあげられている歌はどれも名歌だが,私はとりわけ次がすばらしいと思った。

色々の花も紅葉もさもあらばあれ冬の夜(よ)深き松風の音(おと)

冬の夜、松の枝をならす風の音に聞き入っています。花も紅葉も美しいと思うけれども、やはり心にしみいるのは冬の夜の風の音なのです。

深い覚悟を感じさせる。さすがは後白河法皇皇女。


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