教育利権

2008-07-16 | news
<教員採用汚職>新潟など4県でも合否事前連絡 県教委毎日新聞

「事前連絡」をうけることにより県議や国会議員たちは、教育委員会につながりや影響力があることを支持者やその周辺に誇示できる。そのことを伝え聞いた人々が、プラス、マイナスどちらの意味でも「ははー」と思うのは確実。罪作りな。関係した教育委員会のメンバーは全員、懲戒の上別の部署に移すべき。 大分では不正採用の人々はすべて解雇とか。それなら、懲戒・左遷くらいは当然。

あの夏

2008-07-16 | news
桑田さん・清原 最強のライバル・石田さん死去に大きなショック
  1984年夏の甲子園で優勝した取手二高(茨城)のエースで、大洋、横浜で活躍した石田文樹現横浜打撃投手が15日、直腸がんのため横浜市内の病院で亡くなった。41歳だった。石田さんは、2年生エースの桑田真澄(現スポーツ報知評論家)、4番の清原和博(現オリックス)を中心に当時、高校野球史上最強とうたわれたPL学園を相手に決勝戦で好投。延長戦の末、県勢初の全国制覇を達成した。

 まだ若いのに、残念だ。あの夏のことは覚えている。畠山・水野を擁した全盛期の蔦監督率いる池田「やまびこ打線」に挑戦したのが2年生桑田・清原のPL学園。水野がKOされた試合はラジオで聴いていた。そのPL学園を84年の夏の決勝で負かしたのが取手二高(木内監督)。ピンチで石田をライトに回して左腕投手をワンポイントで使い、その後石田をもどす木内采配だった。延長10回豪快な「ダイコン切り」ホームランで決着をつけた。石田は低めにコントロールよく投げればOKの投手という印象をもった。ちょっと吉井(現日ハムコーチ)に似ていた。その後やや中途半端な野球人生だったようで、しばらく心配していた記憶がある。横浜の打撃投手をつとめていたことは知らなかった。若い人が亡くなるのは困る。