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《読書》石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』新潮選書(その1)

2006-06-29 05:31:22 | 読書

●〔43〕石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』新潮選書 1999
(2006.06.21読了)
 2002年2月に買った本です。いつか役に立つのではと思って買いました。今年、息子は小6になりました。中学受験を念頭において塾へ行かせています。「いつか」は今だと思って読みました。
 著者の石原千秋は漱石論を専門とする国文学者。「カミソリ石原」の異名があるそうです。この本を書いた時は成城大学助教授でしたが、現在は早稲田大学教授です。こう言っちゃあ悪いですが、成城大学出身で学者として有名になる人も珍しいかと思います。
 この本は2部から成り立っています。
 第1部は「僕たちの中学受験」で息子の中学受験の体験記です。面白く読めました。
 以下に、思ったことをランダムに。

○東京は選択肢がたくさんあって中学受験が大変である。
 地方だと受験できる学校の数が限られているので、どこをどのように受けるか、あまり悩む必要がありません(少なくともウチに関しては)。

○中学受験に関しては石原家はかなり恵まれた環境にあった。
 1.中学受験のために塾に行かせ、さらに中高一貫私立校へ行かせることができるだけの経済力がある。
 2.親に知的能力がある。
  ・受験に関する情報を収集し、分析することができる。
  ・子どもに勉強を教えることができる。
 3.親が子どもの受験に関わる時間的余裕がある。
 逆に言えば、これだけの条件が揃わなければ中学受験を成功させることはできないのでしょうか?
 石原自身も次のように言っています。

 社会学で用いる考え方の一つにハビトゥスがある。慣習と訳されることもあるが、ハビトゥスとはその人の身についた文化の型のことである。ハビトゥスは、ある階層が他の階層とは違っていることを示す徴(しるし)となる一方、自分たちと同じハビトゥスを持つ階層をコピーのように再生産する働きも持つ。したがって、ハビトゥスという概念は社会階層が存在することを前提としている。日本には階層がないと言われることもあるが、全くないわけではないのである。
 たとえば、東京大学の学生の保護者は、学歴でも、収入でも、社会的地位でもトップクラスにあることは周知の事実である。東大生の保護者の八割近くは、医師、弁護士、大学教授(僕は助教授だ!)や、大企業・官庁の管理職、中小企業の経営者などいわゆる「専門・管理職」に就いていると言う。極端に言えば、東大はある特定の階層の子供が通う大学なのだ。(中略)
 つまり、こういうことだ。僕たちは、塾の費用や中高一貫校の授業料といった経済的負担だけで、高学校歴を手にすることができるわけではないということである。その程度の負担になら、いまや中流家庭でも十分に耐えられるだろう。だから、東大生の親たちの階層は高収入以外の何かを持っていることになる。その何かがハビトゥスと呼ばれるのである。この階層のハビトゥスとは、学校制度に対する適応力であろう。この階層の子供たちは、戦後一貫して学業成績がいいのだ。それは一つの「文化」である。
 中学受験で純粋に子供の能力だけが試されていると考えるのは、むしろ甘い夢にすぎないのではないだろうか。偏差値とは、子供の学校制度への適応力という「文化」を測る物差しではないのか。公立中学では四十人学級でも荒れるのに、進学校では五十人学級でも荒れないのは、だから当然なのである。中学受験で子供の能力が試されていないとは言わない。そのことも含めて、もっと大きな力が試されているのである。(pp.38~39)

 要するに金があるだけではダメだと言っているのでしょうか。ますます「格差社会」が広がっていくような気がします。

○かなり赤裸々が記述がされている。
 息子とのやりとりも克明に記され、答案まで載せられています。また、塾の講師との軋轢や息子が通う小学校での学級崩壊の様子も書かれています。もちろん、実名は出ていませんが、読む人が読めばわかるでしょう。関係者にとってはあまり愉快ではない本かもしれません。

「wad's 読書メモ」では次のように評されています。

 いろんな意味で悲惨な本である。まず何よりも、この人の息子は今後そうとう長い間、「入試を親に手伝ってもらった男」という烙印を押されることになるだろう。親がこんな本を書きさえしなければばれなかったかもしれないのに。たぶんグレる。

 ちなみに石原親子が第一志望とし、そして合格したのは桐朋中学校です。

〈To be continued.〉