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日々是好日~にちにちこれこうにち

 幸せ住空間&木の架構の家を提案します!
 小野綾子の日々ブログです。

室温計測

2012-02-13 12:51:02 | 日々の建築考

先日、温湿度計を購入しました。

 

3色あったので、全色入手。

 

 

 

大きなデジタル表示なので見やすいし、デザインもかわいいです。

 

これらで脱衣室の室温を測り、

 ・室温度

 ・暖房器具の有無

 ・建物(室内)の断熱性

 との関係性を調べます。

 

今までのお客様や周りの知人達に、計測をお願いしていまして、

こちらの温湿度計たちは、順次、巡回中。

 

やり方は簡単で、入浴前の脱衣室の室温を合計5日間、測定します。

連続5日間でなくて、かまいません。(2月中であれば)

温度計も、精度にこだわらず、家にあるものでOK。

 

詳しくは、こちらをご覧ください!「脱衣室の温度調査 2012

 


石畳

2012-02-10 14:33:48 | 日々の建築考

ここ数日、調査で地元をめぐっていたときに出会った、

お寺の石畳。

 

 

大、小の石を上手く並べてできた、

綺麗な幾何学模様。

 

素敵だな~と感じました。

 

ここは、地元にあるお寺ですが、

小山の上に建ち、大木に囲まれて、

さながら室生寺やミニ高野山のよう・・。

 

そんな雰囲気を醸し出していました。

静かで落ち着いたお寺でした。

 


「方丈」=“面積”から雄飛して

2011-07-15 08:15:02 | 日々の建築考
鴨長明の方丈記に触発されて書いた方丈記という境地の住居論その1以来、すっかり続編がご無沙汰していますが、その間、周囲の皆さんから様々な意見や感想をいただき、有難い限りです。

続編再開前に、少し独り言・・。

「方丈」とは言葉通り「1丈(10尺=3.03m)四方」(約9.18平方メートル)の面積を表すのですが、京都の寺院や塔頭を巡ると、“方丈の間”というのが幾らでも出て来ます。そして、面積はかなり大きい(笑)

wikipediaによると

「維摩(ゆいま)詰の方丈を訪れた文殊菩薩とその一行が、その狭い空間に全員収容できたという逸話から、仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方がされ、そこから寺院の住職が生活する建物を、特に方丈と呼ぶようになった。

とのことで、その謎が解けました。

そこから“方丈の間”に始まって、“方丈庭園”(龍安寺のものは幅 22 メートル、奥行 10 メートルもあるとか)なども出現し、今後も“方丈の○○”と色々派生してゆくかもしれません。


話が逸れましたが、方丈に全宇宙が内在しているという考え方は、もともと方丈面積に全員収容できたという逸話からとのことですから“足るを知る”ということなのでしょうか?。禁欲的な感じも受けますが、しかし一方でミニマム空間というのは自分のテリトリーを隅々まで感じられる“私的空間”であり、そこには独自の心地良さを併せ持つものなのではないかと思います。


そんな中、知人のNさんより、
「方丈=小屋?」として見ると仮定して、中村好文さんのお話を紹介してくれました。

“営巣本能”というキーワードに、ドキッとしてしまいました。
中村好文さんが求めていたもの、と紹介されていましたが、実は私も「これ」だったのかも・・(?)


~中村好文~
“「小屋」には、ともすれば人間が忘れかけている《営巣本能》が鮮やかに、しかも直接的に投影されており、それが私の胸を騒がせ心をくすぐるのです。

・・中略・・

ワンルーム住宅のプランはごく単純でなければなりません。しかも機能的であり合理的でなければ住宅として成り立ちません。そして大切なのは、そこで営まれる生活も、とりわけ簡素でなければならないことです。

無駄のないシンプルな建物に、虚飾のない自然体の暮らし。それは棲み家と人の生き方が分かちがたく結び合った理想的な関係だと思うのですが、いかがでしょう。”


ワンルームにあらゆる要素を内包している。
これこそ、まさに現代の方丈庵ではないでしょうか。
Nさんのご意見に、私も賛同します。(^_^)


そして、震災前後から自分の中での“方丈庵”イメージに近かったのが、ダンボールハウスやキャンピングカー、テント生活などでしたが、中村好文さんのように素敵な建築を提案するのが楽しいし、きっと面白そうだと今更ながら気づいた次第です(笑)

(Nさんありがとう)

木造住宅耐震補強考

2011-04-15 23:54:32 | 日々の建築考
先日、昭和建設さんとのご縁により、
一般の方に向けて、耐震補強のお話をさせて頂く機会がありました。

阪神・淡路大地震を経て出来た
現在の建築基準法の耐震のとらえ方、
耐震の構造、昔の建物の耐震補強の方法、
地盤についてのお話を中心に紹介しました。

ところで、You Tubeに耐震補強をした建物とそうでない建物の
振動実験の動画があります。

在来木造住宅震動台実験



**********************************************************

防災科学技術研究所のデータによると、
地震動は兵庫県南部地震のJR鷹取駅で観測された実波形、通称「鷹取波」
 南北方向最大641.7ガル
 東西方向最大666.2ガル
 上下方向最大289.5ガル


この実験に使用された建物は明石から移築されたもので、

【補強していない建物の保有耐力充足率】
 2階X 1.09
 2階Y 0.75
 1階X 1.01
 1階Y 0.43 (分かりやすいように順番を入れ替えて表示)

【補強済み建物の保有耐力充足率】
 2階X 1.64
 2階Y 1.53
 1階X 1.55
 1階Y 1.57 (分かりやすいように順番を入れ替えて表示)

**********************************************************

データを見た感想としては、
なかなか構造的に恵まれた建築だと思いました。

というのも、補強されていない建物の保有耐力充足率が、
X方向は上下階とも1.0を下回らないですし、
2階X方向は0.75とまあまあ。
1階Y方向が0.43と低いです。

横浜市の耐震診断士として数年調査してきましたが、
有利な2階だけでも1.0を超えた物件は稀だったように思います。
0.75という高い数値も比較的少ないです。

一方、補強済みの建物の保有耐力充足率が、
全て1.5を下回らないのは凄い。

この建物は
間口3間・奥行3間のバランスの良い建物であり、
かつ、柱の直下率も良い方。
上下階の構造線も揃っているので耐震補強が有利に働きやすい。
最初から充足率1.5倍以上を狙ったというより、
そうなってしまった、なり易かったのかと思いきや、
「建築基準法で定める極めて希に起こる地震を上回る、兵庫県南部地震
の激震に対しても倒壊に至らぬよう、上部構造評点1.5を目指す」
ことだったようです。


この動画を見て、
補強あり、なしの建物とも1階右下の壁モルタルが
剥離落下するタイミングは若干時間差があるものの、
補強ありの建物は、筋交いと構造用合板が効き崩落を逃れていますが、
補強なしの建物は、このタイミングで耐力壁を失うのか以後倒壊します。

落下したモルタルは後で塗り直せば大丈夫。
大切なのは、躯体が倒壊しないことですね。


ところで、充足率1.0ギリギリの試験体動画はあるでしょうか。
引き続き調べて見たいと思います。

「方丈記」という境地の住居論 その1~序章を読んで

2011-02-22 07:21:25 | 日々の建築考
「方丈記」鴨長明

“行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

 よどみに浮かぶ、うたかた[=水の泡]は、かつ消え、かつ結びて、

 久しくとどまりたる例(ためし)なし。

 世の中にある人と、栖(すみか)と、またかくの如し。”


有名な方丈記の出だしを書いてみました。

“行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず”は
よく知られていますが、その次の文章まで読んでみると、
これは「人と栖(すみか)」について語るための序文だと分かります。


「方丈記」は
平安から鎌倉時代へ移りゆく乱世を生きた鴨長明が、
晩年に書いた随筆。
自身の精神性を体現した「方丈の庵」を結び、
そこでの生活と、そこに至るまでの無常感が語られています。


ところで、私は古文とか日本文学に実は疎く、
父より「建築の記述が初めて出てくる書物は方丈記ではないか」と
以前教えてもらったことがあって興味を持ったのですが、
昨年あたりから読み始めたところ、これが、なかなか面白い。


住居とは何か、
何のために建てるのか、
生き方(精神性)は住まいに反映する、と

日頃、住宅建築に携わる者として一度は思うことを、
明瞭・簡潔で美しい文章で表現してくれています。
また、建築的描写も詳細で的確なため、どんな建物だったんだろうと
想像しやすくて、建築好きには堪らない。
そんな方丈記を読んで、今更ですが感動したという次第です(笑)

それに、例えば序章を読んでも、
これが本当に、今から800年前に書かれたものなのか?と
思わず疑ってしまうほど、現在の状況と照らし合わせて
読み進められるところが、また面白いのです。


まずは、方丈記の序章について、
上記の出だしに続く内容を、以下に紹介します。


~~
立派な都市に、棟を並べ(われも、われもという感じでしょうか)
高貴な人も凡人も同じように、屋根の高さを競い合うような家が並んでいます。

年月が過ぎても家は残るものですが、それは本当かとよく観察してみれば、
昔からある住宅は、稀にしか存在していない。
去年火事にあって、今年新築したばかりの家であったり、
大きな家が滅んでしまって、その跡地に小さな家が建ったものだったり・・。

家ばかりではありません。
そこの住人にも同じことが言えます。
今も昔も場所は変わっていませんし、人も多いですが、
昔から居る人は、せいぜい20~30人中の1~2人です。
朝にこの世を去る人間がいるかと思えば、
一方で夕方になれば、この世に生まれてくる人間がいる。
まるで、川の水の泡が、消えては現れる形相と同じと言えます。

生まれてくる人はどこから来たのか、
死んだ人はどこへ行くのか、分かりません。
(迷いの中で輪廻転生を繰り返している、という意味でしょうか)

また分からないことは、この世は仮の宿だというのに、
誰のために心を悩まして造り、
何のために飾り立てるのか。


人と住居が無常を争うように、変化・流転をくりかえす様子は、
言ってみれば、朝顔と露の関係に他ならないのです。
露(人)が落ちても、朝顔(住居)は残る、
朝顔が残るといっても、朝日に当たれば枯れてしまうもの。
あるいは、
朝顔がしぼんでしまっても、露だけが残っていることもありますが、
夕方までもつことはありません。

~~

いかがでしょう?私は、

「昔からある住宅は、稀にしか存在していない」
「去年火事にあって、今年新築したばかりの家であったり、
大きな家が滅んでしまって、その跡地に小さな家が建ったものだったり」
という意味の文を読んだとき、ドキッとしたものです。

昔からある家=例えば古民家、は稀にしか存在していませんし、
大きな家が、相続税が払えなくなって手放さざるを得ず、
その跡地が何分割かされて、小さな分譲住宅が建っている、という
現状と少しも変わらない描写です。

また都市の有り様は、
「棟を並べ・・」は、次々と進む開発行為だったり、
「屋根の高さを競うように・・」は、例えば住宅の天井高を大きくとることが
一種のステイタスに思われていなくもない状況で、
その結果、階高や屋根の高さが上がることに反映されることだったり、と
今も昔も同じなのでは?と思わせる描写に、
古典と言えども親近感が湧くのです。


さらに、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
から始まる諸行無常の形相と、続いて
「世の中にある人と、栖(すみか)と、またかくの如し」から、
ここで言う「人」が、肉体的形相を表現しているようであり、
その列記としての「栖(すみか)」は、表面的な形態として言い当てていると
連想されるのです。

人は肉体だけの存在ではない、という示唆を含み、
同じく、家も形態だけの存在では無いんだよ。
・・・と受け止めました(笑)

その2に続く・・

方丈記の一節から

2011-02-21 20:17:29 | 日々の建築考
先週、関東は久しぶりの積雪。
春間近、と思った矢先の出来ごとでした。

ジャンジャン降る雪に、帰宅が心配になった人も多いはず。
あっというまに、あたりは真っ白な風景に様変わりしました。

しかし、あれだけ降った雪ですが、
次の日の昼前には、日陰を残して殆ど雪解けしてしまいましたね。


この変化の速さ(?)
そんな雪の姿を見て、鴨長明の「方丈記」の一節を思い出しました。


「冬は、雪をあわれぶ。
 積(つも)り消ゆるさま、罪障に喩(たと)えつべし」

冬は、雪を賞美する。
降り積もっては消えてゆくその様子は、まるで罪障が出ては消えてゆくかのようである。


鴨長明は、晩年、日野の山に自分の庵を建てます。
庵の大きさは方丈(1丈角=10尺角=3,030mm×3,030mm)、
その庵でつづった随筆なので「方丈記」。

ここ最近、方丈記にハマっています。
しばらく、この話題でブログをつづってゆきたいと思います。