鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

焼山峠、蛇石

2021年04月18日 | 鳥海山

 破方口のほかにもう一か所、鳥海山中に現在は伝えられていない地名があります。

 鳥海山の古絵図を見ると、象潟道に焼石峠、蛇石じゃいしとあります。

 上の図は鳥海山信仰史に載っていたものですがもう一枚見てみましょう。(右に御田原とあるのは河原宿から幸次郎沢へ向かう道の一帯のことです。この当時幸次郎沢は道として拓かれていません。)

 こちらは飽海郡誌にある図です。象潟道がここでは仁賀保道となっています。

 最初の図にある弥三郎岩は御浜小屋の側にある大きな岩です。いずれの図も扇子森の先に焼石峠、蛇石じゃいしとあります。先日蕨岡の山本坊さんと話していて蛇石というとやはり蛇石流じゃいしながれを互いに連想したのですが飽海郡誌の図を見るとどうやら違います。扇子森の先のピークが焼石峠となっています。その先の大きな岩か山が蛇石のように見ることができます。

 鳥海山の頂上をめぐる境界争いの記録を見ると、矢島側では外輪の虫穴を蛇石と呼んでいたことがわかります。

 「矢嶋百姓申す所、峯通りの証據一円これなし、今度新規の総図面に峯境相知らざる由、これを記すに付、正保年中の古絵図點検せしめ候、庄内領百姓申す趣と符合せしめ候、その上蛇石を限り両郡境の由申すといへども、膀示より八拾間余り北方に件の石これあり、糾明せしめ候処、蛇石より南は飽海郡の由証文これあり候、此石庄内領においては、虫穴と名付けている旨申すに付、由利郡鳥海山麓の者並びに小瀧村衆徒に相尋候処、蛇石は焼石峠の所で仁加保道にこれあり、矢嶋百姓申す処の蛇石は、虫穴と号し由、これを申し、不毛の地、麓之村々並びに由利郡本郷村庄屋不致進退旨これを申す。」(引用は松本良一「鳥海山信仰史」)

 庄内と矢嶋の境界争いの時の話ですが、蛇石を両郡の境とするという話を聴き取ると矢嶋百姓のいうところの蛇石と庄内百姓のいうところの蛇石が違っていたということです。矢嶋でいう蛇石は庄内でいうところの虫穴(決して虫穴岩ではありません。)で由利郡鳥海山麓の者並びに小瀧村衆徒に尋ねたところ蛇石は焼石峠のところで仁賀保道(象潟口)にあるということだったのです。その時の張り抜き模型にも焼石峠と蛇石、虫穴ははっきりと書かれています。

 はたしてこの焼石峠とはどこをさすのか、また蛇石とはどの岩をさすのか。虫穴も一つの大きな岩ですが蛇石もそれなりの大岩だと考えられます。図面、模型上の指し示すあたり、今の象潟道では目立つ大きな岩はあるでしょうか。登山道から外れたところに大岩のあるところはその辺に一か所あります。それが蛇石なのかどうかはわかりません。もしかすると扇子森より先、外輪にとりつくまでの間現在の登山道とは道が違っていたということも考えられます。どなたかご存じの方、聞き覚えのある方はぜひご一報ください。


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