鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和27年の鳥海山に登ってみる

2024年08月28日 | 鳥海山

 明治末、大正期の鳥海山案内資料はありますが昭和初めころの資料がありません。今までに見た昭和の鳥海山案内でふるいものは昭和36年。今回見つけたのが昭和27年です。

 広げると大判地図が出てきます。

 まだまだ麓から歩いて登る健全な山です。

 宿泊施設情報も興味深いです。湯ノ台杉本屋は蕨岡の僧坊山本坊が経営していたもの。山頂小屋は神仏分離前は蕨岡のものでしたがこのころは完全に吹浦大物忌神社の管理下になっています。横堂小屋と河原宿小屋が蕨岡共栄社道者部となっています。昭和三十年ころまで蕨岡からの登拝が盛んでした。

 河原宿もこのころは小屋の前がニッコウキスゲの群落でした。川宿の小屋の先の草原はその後の幕営により荒廃地となりその後回復しないまま今に至っています。

 


登山十戒

2024年08月26日 | 鳥海山

 古い鳥海山案内地図より

 七、の焚火は現在の登山で焚火することそのものが論外ですがそれ以外は時代が変わっても変わりません。今や登山のルールもマナーも守らない以前に知らないもので山はあふれかえっていることでしょう。


イヌワシ

2024年08月19日 | 鳥海山

 撮影された方が「猛禽類保護センター 鳥海イヌワシみらい館」へ早速動画を送り鑑定を依頼したそうです。

 結果は、・上空に抜ける場面からバチ型の尾羽が確認できる ・翼にも特有の白斑が見える 以上から、おそらく「トビ」と思われる、との回答だったそうです。

 尾羽を見てもしやと思いましたがやはり違いました。ブルーライン沿いに生息地を変えたのではなかったということでしょう。

 もしかすると鳥海山のイヌワシはもはや絶滅してしまったかもしれません。原因はおそらくスノーモービル。生息地を爆音出して走ってはそうなるでしょう。