鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

御本社

2021年10月27日 | 鳥海山

 やっと御本社に到着です。神仏分離前はどのように薬師如来が祀られていたのでしょう。神仏混淆の時代でも御本社、長床といった造りだったので神社建築の様式だったのですね。


〇御本社はうしろろに尨大ぼうだいなる巨巖傲然きよがんごうぜんとしてそばだ莊重さうぢう石壘せきるゐは高く四周を圍繞いぎやうなか蕭潔しやうけつ森々しんゝ莊麗瀟洒そうれいしょうしやたる神殿しんでんあり是實に大物忌の大神を鎭齋ちんさいする處にして神境しんきやう靈域れいゐきたり顙稽さうけい拜伏はいふくすべからくつゝしみて天下てんか泰平たいへい國家こくか安穩あんをん五穀ごこく豐饒ぶによういのべつしては寶祚の天壤無窮を祝禱てんしさまのみくらゐのきはまりなからんことをいのりし尙各自てんゞ懇祈ねがひぬきんであはせて日夕ひごろ御恩賴みたまのふゆ報賽むくひし奉るべしあなかしこ穴賢あなかしこ

御本社の前面まへやゝひくき處之右側みぎがはに參拜者の休憩所あり又左側に神職しんしよく詰所つめしよあり又其側に炊事屋かしきやあり御本社と共に二十一年每に式年の御造營を爲す維新前は專蕨岡に於て經營けいえいせり其後は直ちに社務所に於て經營す用材は悉く檜木ひのきにしていやしく他材よのきまじへず造營中百時謹愼なにごともつつしみ工匠冶工だいくかぢやに到る迄皆沐浴もくよく齋戒さいかい苟且かりそめにも觸穢を免さずけがれにふるゝことならず而して建築の材料を一々山上に運送うんさうするは至難しなんに似たりと雖ども實は然らず卽ち遠近えんきん信徒しんときそふて負荷かつぐの勞にふくせんことをねがふ以て其歸嚮きかう深甚しんじんなるを見るべし


 炊事を「かしき」と言っていました。今も山頂で炊事をしていた蕨岡の方は「かしき」と言っています。占有を奪われた蕨岡の無念さも上の文には表れています。檜材も今では国産材で調達するのは不可能でしょう。それに今も「競ふて負荷の勞に服せんことを樂ふ」方はいるのでしょうか。以前聞いたことがありますが神社の工事で入札形式にしても地元工務店一社しか入札に参加しないのだとか。

 橋本賢助の鳥海登山案内には次のようにあります。


こうして御本社にいつたら恭しく参拜して宿所に這入るのである。斯く 廻れば丁度入日の時刻だから、石段の所に出て眺めるがよい、實に奇麗なものである。兎に角寒いこと、飯のまづい事は驚かない様に、但お酒と味噌汁の美味には驚かざるを得まい。


 「飯のまづい事は驚かない様に」というのには思わず頬が緩んでしまいます。どうやら「飯のまづい」のは伝統だったようです。山の食事といえば池田昭二さんは「私が昭和二〇年の暮れに大陸から引き上げてきて、二一年に初めて鳥海山に登りました。その頃、鳥海山に登って鯨の缶詰を開けて食べていたところ、こっぴどく小屋のおじさんの鳥海さんに叱られました。精進料理でしか山に登らせない時代でしたから。」と書いています。食事が質素なのはその伝統なのかもしれません。???

 御本社の写真はあまり手元にないのですが、これはこのとき社務所にいた權禰宜Tさんから「お参りするときは本当は裸足でするもんだぞ」と言われてこれから裸足でお参りするところです。このお二方はこの後石段を裸足で駆け上がり御本社に参拝いたしました。神主さんニコニコしながら「そごまでしねたっていいんだぞ」。

 これは火合わせ(鳥海山御濱出神事)の日だったと思います。御神事が終わって「ごくろめ」です。酒しかないというより酒だらけ。山に長い事閉じ込められれば酒、酒、酒、それが楽しみです。一升瓶は吹浦のお酒東北泉です。


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