鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

御本社から七高山

2021年10月28日 | 鳥海山

 御本社を出立し七高山に向かいます。此処にも出てきます破方口。大物忌神社に問い合わせても、蕨岡の古老に問い合わせても、鳥海山専門に登っている方に聞いてもわからなかった破方口、当時は普通に言われていたようです。戸口大神、猪山大神などは「史跡鳥海山」でも触れられていません。姉崎岩蔵の「鳥海山史」橋本賢助の「鳥海登山案内」まではいろいろな学者先生の研究論文や資料で言及されますがこの太田宣賢の「鳥海山登山案内記」について記されたものはありません。特に橋本賢助の「鳥海登山案内」では「尚一部は太田氏著『島海山登山案內記』に倣つた所も少くない。」と記しているのですから。国会図書館にあるのですからね。ただの素人の疑問です。


御本社の附近には〇戶口とぐちの大神〇猪山ゐやま大神〇新山しんさんの大神〇秋葉あきはの大神〇天照大御神あまてらすおほみかみ胎内たいないの大神(おほかみ)〇切通きりとほしの大神等の諸社碁布ごふす〇切通きりとほし巨巖きよがん左右に兩斷ふたつにわれ其間鳥道ほそみちとほらし高さ十數丈斷裂われ奇態ふしぎのさま造化至妙かみのふしぎ神工はたらきにあらずんばいづくんく斯の如くなることを得んや通るものしんおそ足震あしふる片言雙辭いちごんはんく諧謔おどけもらすものなし〇胎内たいない奇洞ほらあな通過とほりぬけし少しく下り更に破方口はほうぐちに登れば七高山しちかうさん蟲穴むしあな御嶽みたけ等の諸社彎形ゆみなりして點在てんざいし〇七高山しちかうさん陸軍りくぐん參謀さんばう本部ほんぶ陸地りくち測量部そくりやうぶ大三角點だいさんかくてんの在る處にして西飛島とびしま三角點さんかくてん旭日嶽あさひだけの三角點を望む


 七高山の三角点櫓。国土地理院のHPによれば(三角点の)「選点が終わると、観測地点が相手から見えるように、観測がしやすいように「やぐら(一時標識)」を作ります(造標)」とありますのでこの葉書は丁度七高山に三角点を設置したときのものでしょう。YamaRecoによれば「三角点櫓を入れた写真は数枚のみ」ということですので大変珍しい写真だと思います。三角測量に用いる経緯儀は箱を入れると60㎏にもなるそうで、それを人力で運んだということです。もちろん櫓の資材もこの当時は人力で運んだでしょうから三角点設置は大変な作業だったことがわかります。それにしても測量に携わる方はそんじょそこらの登山愛好家など逆立ちしてもかなわない山登の技術と体力と熱意を持っていたのですね。三角点以外では地質調査、これもどこまで山の中まで踏み込んで作成したのでしょうか。この範囲が七高山熔岩かなどと何気なく見ていてもどうやってその範囲を決定したのでしょうか。まさか隅々まで歩いて?ちなみに下の図でⅠ、Ⅱ、Ⅲとあるのはそのできた順です。


コメントを投稿