今朝、新聞を見たら坪内祐三さんが亡くなったという記事がありました。坪内さんの作品に一九七二という作品があり、その中にも「あさま山荘事件」が取り上げられていますが、1972年という年は大変思い入れのある年であり、70年代もまた忘れがたい時代でした。
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そのころ、東京までは寝台急行鳥海で12時間かかりました。普通座席もついていたため、最初は背もたれの直角の座席に座って東京まで行きました。もちろん、満席でトイレの中にまで乗客がいたくらいです。松本清張原作、 野村芳太郎 監督の昔の映画「張り込み」を見るとその当時の状況が良く分かります。
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背もたれが直角の座席というのは上の写真のようなものです。ここに12時間座りっぱなしです。
寝台車も使いましたが、もちろんB寝台の最上段。安いんです。三段式のため上段は天井が狭く圧迫感のあるものでした。
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1972年、それまで非電化行だった羽越本線が電化され、自分の住む街から東京まで9時間かかっていた「特急いなほ」が6時間で行くようになりました。写真は後年のいなほですが、72年には485系という電車でした。
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485系というのは上の写真の型の車両です。まだ食堂車もついていました。車内販売といえば、新津名産笹団子は今も変わりません、ただしかなりの値上がり。
当時は白新線で新潟は経由していません。羽越本線で新津経由、そこから信越本線 ・上越線 ・高崎線 を通って上野につきます。今は上越新幹線を使えば4時間半で行くのですから当初の半分の時間で東京に行くことが出来ます。
あのころ学割は安かった、何割引きだったか、5割引きより安かったと記憶しています。たしか7~8割引きだったような気がします。上野まで1,980円だったかそのくらいでした。安いとは言っても懐は電車代を払うともう珈琲を飲むお金も残らないという状況が多かったです。今でも東京へ行き、赤羽を過ぎ田端・日暮里あたりの線路わきの景色を見ると当時のことが思い出されます。上野駅も内装は化粧してきれいになったとは言っても骨組が昔のままなのはよくわかります。天井のやたらと低い山の手線へと向かう通路は昔のままですね。
あさま山荘事件の報道されたあの日、当時の国鉄公安官だった松戸にいた叔父の家にいたのですが、当初は上野まで送ると言われていたのに、叔父は中継に夢中になり、一人で帰れといわれ上野から特急いなほにのりました。さすがに家に着くころには事件も終わっていましたが、のちに影にあれほどの出来事があったとは知る由もありません。
半世紀近く経った今でも、この1972年を中心とした前後の時間は今なお忘れることが出来ません。
今は国鉄も鉄道公安官もありませんね。当時東京の山の手線は初乗り30円、大江健三郎の小説に出てくる少し前の時代は10円だったようです。東京の銭湯は1972年で45円、その後すぐ48円になり、それからどんどん上がっていきました。山の手線の初乗りもすぐに40円となり、今はいったいいくらなのやら、今は都内フリー乗車券を使うのでいくらかわかりません。
写真はすべてフリー素材(サイト写真ACによる。)ですが作者の方は著作権を放棄していませんので二次利用はできません。
追加で最近の上野駅構内の写真です。(これは自分で撮った写真、上野駅へ着くとつい写真を撮りたくなります。)
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左に見えるのが夜行寝台の到着する13番線、現在は四季島という豪華列車の発着場。あの頃は夜行列車の乗客の捨てた弁当をあさる浮浪者がこのホームにいっぱい集まりました。
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13番線の薄暗く汚い便所のあったところはコーヒーショップに。
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上野駅の天井の低い通路です。今も当時の薄汚さは残していますが、それでもだいぶきれいになりました。ぶつからないとはわかっていてもつい頭を引っ込めたくなります。
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上野駅を出たところの大衆食堂「聚楽台」があったのはここでしょうか。