鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

食物園

2022年08月24日 | 鳥海山

 行ったことはないし、これからも行くことはないでしょう清吉新道。その清吉新道にある食物園。なんで食物園なんだろう、食べ物に何か関係が?と思った方も多いでしょう。


昭文社「山と高原地図 鳥海山 1976年」より

 ところがこれ、斎藤清吉さんの「山男のひとりごと」を読むと


 七月二十七日 第十四日 曇り時々晴

 熊岩の東は細い尾根になる。それが目前に見えながら 中々進む事が出来ない。橅の潅木密生地帯をさけて標高九百メートル付近から左 に降りる。雪渓が左に延びていたから、それをたどって進んだは良いが、方角違いらしいのでまた戻る。尾根の降り口から五十メ—トルの地点で、かなり濃い 薮を切り払いながら右手に登る。急に視界が開け広い原っぱに出る。あちこちに水溜りがあり、黄色いミズギク、白いチン グルマが咲き乱れている。水のある所にはモウセンゴケ やエゾホソィ等の高山植物、そして低山性のゼンマイ、シノブショーマ、シキミ等もある。 ここには高山から低山性のものまで入り乱れているから「世界植物園だな」と二人で笑い合った。(以下略)


  八月になると、


 八月五日 第二十日 曇り

 植物園の北を伐り、右手にルートをとる。「少々無理 かな?」とはおもいつつ尾根にとっつく急坂に挑む。 こうした作業程、単独ではらちがあかない。骨ばかり が折れて、はかのゆかないこと。小舎に戻ったら、酒田山岳会の奥山、阿部の両君が「手伝いに来た」と、食糧と酒を背負って来てくれた。「助ける神」ありで、先の本間先生といい、絶妙のタイミン グで協力者が現れるものだ。


 本当は植物園だったことがわかります。それがいつの間にか食物園、そのいきさつについては不明です。

 また南物見については、同日記に記載があります。


 八月八日 第二十四日 曇り後時々晴

 八時出発。多人数だから歩くのに時間がかかる。しか し手が揃っているから、現場では私が先導して薮こぎし ながら細かな指図さえすれば良いので、楽なものだ。 さすがに能率の良いこと。一挙に標高差で二百五メー トルも刈り登る。途中見事なダケヵンバがあり、中でも 幹の「三ツ又」岐れた奴を「天狗ガンビ」と命名することにした。 一行は今日中に酒田に帰るので、三時頃別れを告げて 下山して行った。私だけは一人で千三百メートルの展望所のような所 (後に酒田東高校の生徒によって「南物見」と呼び慣らされるようになる)まで登ったので、鶴間池 や南の山なみを眺めることが出来た。 


 ちなみに、鶴間池から池沢の上流を通って南物見に向かう道、破線で示してありますがこれが本来の勘助道、筍採りの道だそうです。今も実線で示されているところは踏み跡らしきものはありますが池沢に出会う先は踏み跡もありません。最初に載せた地図の鶴間池へ注ぎこむ池沢、その流れの初め、車道終点と書いてある道の文字の下あたりが池沢の源流。崖からの二つの湧水だそうです。昨年途中まで連れて行ってもらいましたが真夏だったため、あまりの草木の繁茂のため断念。興味のある方はどうぞ。草や木の葉が茂る前か枯れてからの方が見通しが良いでしょう。

 鶴間池へ注ぎこむ池沢。

 清吉新道の他の破線の道については、清吉新道の途中から河原宿の上方へ向かう横道、これを歩いた人は一人しか知りません。文殊嶽からの破線は千畳へ続く道、今は無し。西物見に見える破線はソブ谷地から続く道ですがこれも廃道。

 その他にも地図を見れば太右衛門沢、白沢(シラソ)、ビヤ沢(ビヤソ)等々おもしろい名前がいっぱい出てきます。

 ついでながら、この当時の「山と高原地図」にももちろん磁北線、偏差の数値は書いてありますが現在の「山と高原地図」には磁北線が朱色で引いてあります。


6 コメント

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食物園 (大江進)
2022-08-28 09:21:47
植物園が食物園になったのは、主稜線にあがる枝尾根なので清吉新道の下部はわりあい急斜面。しかし植物園のところは道がややトラバース気味になっていていてわずかながら平坦になっており、若干の水も流れているので、休憩するには絶好の場所。おやつを食べたりしたこともよくあり、それでいつのまにか「食物園」となったような記憶があります。
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Unknown (ayasiiojisann)
2022-08-28 09:25:28
清吉新道には酒東山岳部が大いに活躍していたのですね。「食物園」の謎が解けました。ありがとうございます。
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無名滝 (大江進)
2022-08-28 21:08:24
清吉新道の上のほうにある無名滝は名前がないのではなく、無名滝という名前の滝です。「二十滝」なんてものはありませんし、F20は沢登りなどの際の番号であって滝の名称ではありません。これをすぎて間もなく道はまっすぐ大股雪渓を登っていって行者岳に至るコースと、無名滝を右に眺めながら左に折れて河原宿の上の大雪路の下部に出る「横道」にわかれます。昔ですらわかりにくい道だったので、今はもう跡形もないでしょう。
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Unknown (ayasiiojisann)
2022-08-28 22:26:18
再度のご教示ありがとうございます。
沢登りのFでしたか。沢登りは全く暗いので失礼しました。なぜか池昭さんの地図、ビヤソとシラソだけFが振ってあります。かつてはこの沢を遡行したのでしょうか。
二十滝と記載があるのは手持ちの山と高原地図では1976年版だけです。昭文社が編集の際にF20とあったのを二十滝と書いてしまったのかもしれません。他の版は無名滝とあるかあるいは滝そのものというより清吉新道の記載が南物見までしかありません。(池昭版)
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沢登りのF (大江進)
2022-08-29 20:10:42
シラソやビヤソのような深い渓谷の場合は、どこに滝があるかは実際その川を遡行してみないとわかりません。池昭は沢登りのエキスパートでもあったので、当然この二つの沢は遡行しています。私も完全遡行ではありませんが、二つの沢は経験しています。無名滝のF20で番号が止まっているのは、それより上には滝がないという意味ではなく、背後からすぐに大股雪渓という、おそらく鳥海山では最大級と目される雪渓が始まるので、渓谷のようすが不明だからです。
 あとシラメノカッチはうろ覚えですが、むき出しの白っぽい露頭のことだったような。笙ヶ岳東面にも「白山岩(はくさんがん)」というのがあるので、それと同様なものかもしれません。
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カッチ (ayasiiojisann)
2022-08-29 21:18:08
シラソやビヤソはどこから遡行したのでしょう。升田の取り入れ口見張り小屋のあたりからでしょうか。大股雪渓は他の雪渓よりはるかに大きいのですね。カッチは調べてみると全国の山に○○ノカッチというのがありました。上高地という地名も上カッチの転靴という説もありますし水源地を指し、無理やり文字を割り当てれば「川内、甲子、河内」となるそうです。昔は沢の上流。水源地をカッチと呼んでいたそうです。十代はじめから山岳部に入っていればもっと鳥海山に入っていることが出来たのになあと思います。他の人からは聞くことが出来ない貴重な経験、いろいろ伺いたいものです。
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