鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

斎藤重一1997年発行「鳥海山」より

2021年07月22日 | 鳥海山

 

 斎藤重一1997年発行「鳥海山」より「Ⅷ鳥海山の自然をまもるとりくみ」のうち、「5 おわりに・これからの課題も... 」全文を紹介させていただきます。人の本ばっかり、と思われるかもしれませんが入手ほぼ不可能ですし、その中身を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思い掲載します。以下、


 一九九四年秋、矢島町の商工観光課から、鳥海山の登山道の整備についての意見聴取があった。

 とくに、矢島道の最上部にあたる舎利坂の崩落、侵食への対策については、町としても苦慮しているところで、どのように手だてを講じたらよいかとのことだった。ほんとうに、国、県、地元公共団体としてなすべき仕事は 山のようにあるのだ。

 いま、鳥海山の秋田県側登山道には、高山植物への踏みつけ、雨水による侵食、麓からの植物の侵入など、多くの問題がある。登山道周辺のゴミの量は減ったけれども、それでも山頂からの帰路、ビニール袋いっぱいのゴミを拾ってしまう。植物の無断採集、盗掘は依然としてあとを断たない。

 山に多くの人々が登って、大自然のすばらしい景観に接することは好ましい。

 事実、鳥海山には全国から登山者が訪れる。みな、鳥海山の自然を見ることを目的としてくる。だから、第一に必要なことは、自然が自然なままで残っていることだ。

 道路、スキー場、ゴルフ場、売店などを見るために、鳥海山を訪ねてくるのではないということを肝に銘じなくてはならない。もちろん、登山者の安全のための登山道、山小屋、道標の整備なども必要であるが、これも自然との調和を損ねないように細心の配慮をすべきである。雪が吹きこんで使用不能な避難小屋、舗装道路化した歩道、なにを案内しているのかわからない道標、ゴミを捨てるのを奨励するような屑かごの設置、...

 これらは、みんな行政のワッパカ仕事の結果である。

 鳥海山のヘリスキーは、山形県側での事故のためにいまはおこなわれていない。しかし、残雪期の鳥海山上部への雪上車やスノーモービルによるスキーヤーの登山は野放しである。ワシ、タカをはじめとする鳥類や、その餌となる動物への爆音による影響を考えたら、放置すべきことではない。一定の制限をすべき問題である。

 鳥海山で悲しいこと、それは、山麓からの歩道が失われてしまったこと...

 鉾立、祓川まで、自動車道路がのぼったのは利便だが、それまでの下の歩道はまったく役にたたなくなった。ふるくから使われてきた歩道は自動車道路に寸断されて、いまは歩くこともできない。

 山歩きは、かならずしも頂上をめざすだけではないと思う。四季おりおりの自然のよさを満喫しながら、自らの体力に合った歩きかたで、鳥海山の山麓や中腹を一周できるような歩道がほしい。

 鳥海山でいえば、象潟の蝉満寺なり、三崎公園なりをスタートして、奈曽の白滝を経て元滝へいき、観音森、 猿穴、鉾立から霊峰をとおって横岡にもどる歩道。横岡から横岡高原、獅子ガ鼻、矢櫃の滝、そして、白雪川を わたって飯ガ森、祓川にはいる歩道。祓川から鶯川左岸の旧道を経て堰口、袖川、百宅へでる歩道。百宅から手代沢、遠上山、水無大森、丁岳、甑山、松の木峠へつながる歩道、などが歩道としてりっぱに整備されて、多数の利用者が三日も、四日もかけて歩けるようにしたらどんなにいいだろう。

 一九九五年の六、七月に、一カ月余にわたってスイスを放浪してきた。この小さな国のなかに、数万㌖の歩道があるのはうらやましいことだった。町や村を結ぶ歩道を「エーデルワイスの道」、「エンチアンの道」、「ソルダネラの道」、「アルペンローゼの道」などのニックネームをつけて、車などに煩わされることなく、ゆっくりゆっくり歩ける道はたのしいものだった。

 たとえば、「ブナの道」、「ダケカンバの道」、「ヤマドリの道」、「サラサドウダンの道」、「ナナカマドの道」などが、鳥海山にもできないものだろうか。


 いかがでしょうか、あえてアンダーライン、太文字、文字の色などの強調はしません。一九九四年を現在に置き換えても今と変わりありません。


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