すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

「愚痴を言う」を考察する。

2015-03-07 07:16:50 | My メソッド
みなさんは、愚痴っぽい方ですか?それともめったに愚痴を言わないタイプですか?

私は、タイプでいうとその中間かな、という感じです。

ものの本によると、「愚痴はとにかく吐き出した方がいい」というアドバイスがある一方で、「愚痴は言わない方がいい。そういう波動を持つ人ばかりが集まってくるから」という真逆のアドバイスもよく見かけます。

個人的には、どっちも正解、って考えています。つまり時と場合、自分の状態によって、愚痴を言った方がいい時と、愚痴を言うのはやめておいた方がいい時の両方があるということです。

自分が今現在どっちの状態にあるかということがわかれば、「愚痴を言う」ということと上手く付き合えるようになる気がしています。

最近私は、意図的にこの「愚痴を言う」ことの使い分けをしています。

私の方法を書いてみますね。

ある出来事に遭遇して、「嫌われた」「馬鹿にされた」「私はダメなやつなんだ」と負の思考をすると、「腹が立つ」「悲しい」「許せない」という激しい負の感情が自動的に自分の中で吹き荒れます。

出来事→思考→感情の流れは、ほとんと意識できないくらいの速さです、


たとえば、

いつも仲良くしていた仲間の女子会に自分だけ誘われなかった。(出来事)
→嫌われたんだ。仲間外れだ。ひどい。(思考)
→苦しい、悲しい、不安、怒り(感情)


姑に「赤ちゃんから保育園に預けるなんてかわいそうよ」と言われた。(出来事)
→やっぱり仕事をやめるべき?私はひどい母親?(思考)

→苦しい、怒り、惨め、不安(感情)

こうした場面になんとも思わない人は、そもそも苦しい思考をしない人なので、激しい感情にさらされることもありません。けれど多くの人は、大なり小なりマイナスな思考が起きて、気持ちが動くもので、中にはものすごく激しいマイナス感情を抱え込んでしまう人もいます。

こういう状態の時には、愚痴を言ってもいい、あるいは言った方がいい時です。

必要なことは、たまった感情を吐き出すこと、それのみですから、負の感情を出すこと、つまり愚痴ることを最大限スムーズに行える相手を選ぶことです。

間違っても、「あなたも悪いんじゃない?」とか「もう、それくらいにしといたら」とか「気のせいだよ」というなだめ方をしてくるような相手に愚痴るのは得策ではありません。

愚痴るほどに、傷つく体験をする人はおそらく、相手を間違えています。リスクを最小限にするために「意見は言わないで、ただ聞いてくれる?」と前置きして愚痴るのもおすすめです。

体調不良で胃にあるものを吐き戻す時に、背中をなでながら「吐いていいよ。大丈夫だよ」と優しくて囁いてくれる人がいると温かい気持ちになって吐きやすくなるものですが、そんな感じを味わわせてくれる人が理想です。

感情をある程度吐き出して、すっきりしたら、その時点で大切なことがあります。

その出来事に、理性的な決着をつけておくことです。ニュートラルな自分が一番落ち着く、気に入った思考を決めておくんです。楽天的な人や小さな事に振り回されないな、という人を選んで、「こんな場面ではどう考えるか」と意見を聞くのも早道かもしれません。たとえば、

「友達が誰を誘うかは、友達の自由。つまり、私も、誰を誘ってもいいし、誰を誘わなくてもいいんだ」


「どうして誘ってくれなかったか聞いてみよう。もしはぐらかされたら、そんな人たちとは、少しずつ、距離を置くことにしよう」


「嫌味の好きな義母の言うことは半分に聞いてたらいいや。なんなら反論してもいい」

「仕事をすることで、子育ても充実する例を私はたくさん知っている。子育てだけしてて辛い思いをしてるお母さんもいる。私は私にとっての最良を選択している。大丈夫」



古い思考はしつこいし、新しい思考は自分にすぐに根付きませんが、ようは訓練です。筋トレ、脳トレと一緒。いや、じっさい脳トレなんですよね。

まずは、使い慣れた苦しい「思考→感情」の自動装置を意識的に外していく努力です。感情に落ちる前に、その思考の暴走を止める努力です。

私が最近使っているのは、こんな方法。

「あのことをまた考えようとしてるな」という感じが萌してきたら、まずは「来てる、来てる」と反射的に自覚して思考をブロックして、「あの時は、こう言われて、こんな風に苦しかったんだな(今の感情ではないので過去形です)」ということをはっきりと認めます。

そして、出来事と思考と感情の全てを、頭上にイメージしたベルトコンベヤーの棚に乗せて左から右手に流していく様を頭の中に描きます。川の葉っぱや、滝の時をイメージする時もあります。

ここで大事なのは、苦しい思考にアクセスしようとする自分も、そこから生じる過去と現在の感情も、責めたり、励ましたりしません。ただ、淡々と、観察して流す。私の脳はこういう働きをするんだなー、と他者目線を濃くします。

これが結構効果あって、最近は、めったに感情まで届かなくなりました。感情まで届かないと、苦しい思考をする脳の回路が薄れていくので、自分を苦しめた出来事や思考にも自動的に近寄るということが減ってきています。「ついつい考えちゃう」というのが少なくなるんです。

苦しい思考をしそうになったとりあえず散歩する、買い物に行く、という体を動かすやり方や、忙しくして思考を強制終了するのもありだと思います。

ちなみに、古い思考にアクセスしようとする動きが何かのきっかけで強くなったり頻回になった時にも、もう一度新しく思考し直したりはしません。愚痴を吐き出した時に手に入れた思考をもってきて、「もう、答えは出てますよ」とばかりに対抗してみます。こうした時は、あんまりこねくり回さないほうがいいのです。

こうして「観察・流す」と「新しい思考で対抗」を臨機応変に使うと、古い思考は徐々に勢いを失っていき、不思議と頭の中が鎮まります。新しい思考の馴染みやすい環境が頭の中で整います。


そして、愚痴の話にやっと戻っていきますが、こんな風に自分が体験した出来事について思考を止める作業を意識的に行っている段階では、誰かに愚痴を言って盛り上がることは逆効果になります。

それは、古い、苦しい思考にわざわざ自分からアクセスする行為で、その思考回路が再び強化されて感情も動いてしまうからです。他人に話す行為は刺激が強い分、頭の中の自動思考よりもやっかいです。それが繰り返されると、一時的なすっきり感を求めて、愚痴中毒に陥るかもしれません。

こうした時の愚痴は、みっともないからでもなく、波動が下がるからでもなく、余計な雑音を再び自分の中で響かせないために避けるべきです。依存症の一種だと思うと分かりやすいです。

「この件の愚痴は十分言ったから、もう言わない」「しばらくは愚痴を言いたくなる環境には出向かない」。腹の底でそう決めると、案外そうなります。そっちの方が結果的に自分を守ることになることを心は知っているからです。




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