goo blog サービス終了のお知らせ 

師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

今日という、同じ一日

2008年08月04日 | 天意の実践

師匠 「神さまが言われた、

    一日にのみ ひとは生くる

    という、教えって、ひょっとして、とーっても、難しい

    ことなのかな。」

私  「ひょっとしなくても、普通に難しいことですよ。

    師匠、簡単に言わないで下さい。」

師匠 「できているひとは、一握りだもんなあ。

    一日をこころを込めて、生きる。

    何事にも大切に扱う。起こることひとつひとつにもね。」

イチローというひとを見ていると、神さまの言う、

一日にのみ生きているひとなのだなあ、と思います。

ある一点のために、その日一日を過ごす。

すべてのトレーニングも、一点のためですからね。

私たちも一点のために、トレーニングを続けている

わけです。

     

臣でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イセの道

2008年08月01日 | 天意の実践

イセというと、伊勢神宮を思い出しますが

本来のイセの道とは、夫婦の道です。

夫婦が仲良く在る様であり、夫婦が成り立って、

道を歩んでこそ、より良い国家が成立する。

というのが、古神道の教えです。

夫婦和合を説いてこそ、国家あり、なのですね。

神社に桜と橘が植えられているのは、この教えに

添っています。

よき夫婦の家では桜がとてもよく育つ。

だから、桜が咲く家が在るようの願いを込めて

桜を植えて、

よい国家では、橘はよく育つ。

だから、橘が栄える国家で在るようの願いを

こめて、植えられているのです。

これは以前、記事に書きましたが、

蜜柑が不作の年は、たしかにあまりよい年では

なかったですね。

それと、自分に正直で円満な人は、確かに夫婦そして家族が

仲がいいように思えます。

今の世の中の流れは、個人へ行っていますが、その行き着く先には

何があるというのでしょうねえ。

神社の境内の植物さんと話している師匠を見ながら、ふと、

それを思い出した、臣でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする