師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ぶれない生き方 結果としての、ぶれない生き方

2011年11月30日 | 天意の実践

自分のことのみに集中する。

自分の行きたい方向へのみ歩く。

そう決めると、生き方はとてもシンプルになる。

必要なものなどは、多くはない。

むしろ、持つべき荷物など、少ないに限る。

自分の在るべき姿でいる人の生活もまた、シンプルだ。

そして、ぶれない生き方を実践している人は、毎日、同じものを

食べている。

毎日、毎日、決まったものだけをカラダに入れる。

ほかはいらない、いれない。

生き方を決めると、シンプルな生き方におのずと変わっていく。

何年も、何十年も、同じことを続けられるひとほど、

同じもの、同じメニューのものを食べる。

同じものを食べることで、自分の感覚は磨かれる。

同じものなのに、味覚が違っていたりなどのサインに

気づく。

感覚はさらに、研ぎ澄まされるのだ。

自分自身で在ることの道を極めると、結果として、

思考はぶれないものだ。

選択がぶれなくなるのだから。

あれやこれやと迷っているうちは、自分の部屋も、

こころの部屋も、雑多で、外へばかり目を向け、

他者の生き方ばかりが気になり、思いやることなく、非難する。

そういう思考でいるから、自分へも思いやれない。

それが自分の生き方で、自分にはそんな生き方しかできない

と、言うのも、決めるのも、自由。

ただ、この世界はよくできていて、大事にするという思考を

持てないでいると、施餓鬼会に描かれるような亡者の面相に

なっていく。生き方もまた同じ。

自分で生き方を決めて、同じことを続けているが、

光に向かい、大事にすることを旨として続けるものと、

闇に棲まい、文句や非難を垂れ流すことを旨として続けるものの

行き先は、この世界にあっても、光を見るものには天国。

闇を見るものには地獄を体現できるのだ。

究極のシンプルな生き方は、真理のみ。

その他はいらない。

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