スリランカと日本の関係&季節の花

2017年03月15日 19時06分50秒 | その他

 日差しは暖かいのに風は強くて寒い毎日です。

そして、午前中は晴れますが午後からは大抵曇ります。

 

 最近(1か月前の2月14日より)、スリランカの人と知り合いメール交換をしています。

あとは昨年の9月からアメリカとインドの人と交流が続いています。

そのような中、今日、スリランカの友人からスリランカと日本との関係について

「あなたは知っているかもしれないが・・・」とメールが来ました。

恥ずかしながら私はほとんど知りませんでした。

第二次大戦後のサンフランシスコサミットにおいて、当時のスリランカの大臣のスピーチが

日本を救ってくれたこと。

「何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。

それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、

日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、

日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります」

 

「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。

実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない」

 

http://eedu.jp/blog/2014/01/14/srilanka-story/ より

 

https://matome.naver.jp/odai/2134863009521091401

 

もし日本が分割されていたら、私の住む岡山はイギリスの管轄でした、

彼は2代目の大統領となったジャヤワルダナ氏(Junius Richard Jayewardene)。

彼は以前クリスチャンだったようです。(影響を受けたとだけ書かれているところもありました)

彼は遺言で「右目をスリランカの人に、左目を日本人に」と言い残し、実際に彼の角膜は長野県の女性に提供されたそうです。
 
その後も角膜はスリランカから送り続けられているそうです。
 
 また、私はアナガーリカ・ダルマパーラ氏(Anagarika Dharmapala)についても調べました。
 
彼は神智学に通じていたようです。
 
彼は何度も日本を訪れ、次の世では日本に生まれたいとよく言っていたそうです。
 
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h21/jog598.html
 
 
戦後一番最初に外交を結んだのもスリランカだったようです。
 
日本はスリランカに英軍の基地があったのでスリランカを空爆したそうです。
 
この賠償についてもスリランカは放棄したそうです。
 
私はこれらの一連の話を知り、涙を止めることが出来ませんでした。
 
私は何度も泣きました。
 
スリランカが日本にしてくれたことについて感謝し、日本がスリランカに対してしたことについて
 
心から謝罪したいと思いました。
 
午後から教会に行きましたが、私は祈りながらまた泣きました。
 
もちろんスリランカだけではないでしょう。
 
実際、震災の時には多くの国が助けてくれました。
 
私は心から感謝し、私に出来ることはないかと考えています。
 
 

 

 ご近所ウオッチングに出掛けました。

ママ友ガーデン

 

 

 

 

 

 

 

ママ友ガーデンを出てご近所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の木

 

いつものように教会経由で家に戻りました。

 

 ここから我が家のお花

 

 

今年は昨年よりも寒くお花が咲くのが遅いです。

 

今日の頂き物

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